2015年01月24日

文とり(2) 大人子供・子供大人

反対語を強引に結びつけて一つの単語にする矛盾語法・オクシモロンは、しかし、水が酸素と水素に分解され得、逆に水素と酸素が化合して水になるといつた可逆反応が起こることはほとんどないやうです。

「利口馬鹿」とはいつても、「馬鹿利口」といつた単純な逆接の云ひかたはなささうです。しかしよくしたもので「愚直」といふことばがあります。「馬鹿正直」、つまり気がきかない愚か者の意味ですが、果たしてそればかりだらうか。
方丈記の最後の方に「たもつ所はわづかに周梨槃特(しゆり・はんどく、パンタカ)が行にだも及ばず」といふ文が出てきます。鴨長明は、愚か者と人にいはれた周梨槃特の行ひにも及ばないと己を嘆きます。この周梨槃特、お釈迦様の弟子でしたがどれほど愚かだつたかといふと、まづ自分の名前が覚えられない、ましてやお釈迦様が覚えるやうにといつて授ける短い呪文・偈(げ)がどうしても覺えられない。

かう聞くとどこか安心する人が出てくるのではないでせうか。物覺えのわるい筆者なども仲間意識をもつたものです。鴨長明にもその氣があつたのでせうか。パンタカは日本では、ついに茗荷と結びつけて物忘れネタの落語にまでなつてゐます。そこで御釋迦樣、パンタカに箒を持たせ、毎日「塵を払はん、垢を除かん」と唱へて掃除するやうに云はれます。それを守つて掃除し、心の塵も拂つてついにはパンタカ、悟りを得て皆から聖者と云はれるまでになりました。餘りにも有名な話ですが、つまりは「利口馬鹿」の逆を行つたもので、「馬鹿利口」とでも表現される事例です。賢愚もあれば愚賢もあり得るのです。

「大人子供」といふ語もあります。「あいつは大人になつても子供と同じだ」といふ意味で、藝術家などに見られるものです。いつまでも精神年齡が若くて成長がある一點で停つてしまつたと見える人です。いはゆる童心を持ち續けてゐるわけで、一概にわるいことだとはいひきれません。
その逆に「子供大人」と言へる、子供なのに大人のやうな振舞をする「大人びた子供」もゐます。
江戸幕府には「若年寄」といふ役割があつて、最高位の老中に次ぐ要職を意味してゐました。若旦那、若大將、若おかみといつた類の「次」の意味からなのでせうか。しかしこの「若年寄」にはオクシモロンとして使はれることも多く、「若いのに年寄りじみたことを言つたり、したりする者」あるいは「爺むさい若者」の意に使はれます。

posted by 國語問題協議會 at 13:03| Comment(0) | 中谷信男

2015年01月04日

文とり(1) 賢愚經 中谷信男

 賢愚經といふ、仏教の御經といふより、賢者や愚者の話を集めた一種の説話集があります。東大寺に傳來したため聖武天皇の宸翰(御筆跡)との傳承があり、その經本は國寶にまでなつてゐます。ここに使はれてゐる「賢愚」といふことばは、「賢い」と「愚か」といふ反對語をならべて一字になつてゐることばですが、もう一つ別の意味も考へられます。つまり大和ことばにすると「かしこいばか」となり、つまりは「りこうばか」ともとれるものです。

この「利口馬鹿」は辭書にも登録されてゐて、自分では利口のつもりでゐても、人からはまぬけた行動をしてゐるやうに見えることを意味します。
「學者馬鹿」といふ言葉もあつて、一般には、智能指數は高いが、常識となるとまるきり駄目な人、自分ではそのことがわからない人のことを指します。

このやうに、まるで正反対の意味のことば(對義語)を強引に一つに結びつけて一つの單語にするので「對義結合」とも呼ばれる語法ですが、このやうな用法に名前をつけたのは古代のギリシャ人でした。
その「オクシ賢モロン愚」がそのまま英語”OXYMORON”になつて、日本では「矛楯語法」と譯されてゐます。

世界一よく出来たオクシモロンは何か、それがこの「矛楯」だといつてよいでせう。日本人なら誰もが自家藥籠中のものとして、「お前さんの言つてゐることは矛楯してゐるよ」などとよく使ふ單語ですが、ここで改めて由來を述べておきませう。

西紀前三世紀頃にあつた楚の國で、この矛はどんな楯をも貫き通す、こちらの楯はどんな矛も通さないと自慢しながら矛と楯を賣つてゐる男がゐましたが、それを聞いた人がその矛でその楯を突いたらどうなるとたづねたところ男は返答に窮したといふ話(「韓非子」)、それが語源です。

話が少し横道にそれますが、利口馬鹿の馬と鹿は反對語とは言へないにしても、秦の權臣が皇帝に「鹿」を「馬」と言つて獻上したら、群臣は權勢におもねつてその矛楯に反對しなかつた、それが「鹿を指して馬となす」といふ成語になり、馬鹿バカの語源とされたものです。

しかし、鹿を〔カ〕と讀むのは和語であつて、音は〔ロク〕、愚者の〔バカ〕とはなりません。元は印度の梵語からきたもので moha〔モハ〕、馬が〔マ〕ともバ〕とも讀まれ、海がハイ〕とも〔カイ〕とも發音されることからも、〔バカ〕の音が出てきたものです。モハは無智を指すことばで、佛僧が人をおとしめるやうな言葉「愚か者」を使ふ譯には行かないので、隱語のやうに〔バカ〕と言つたものとされてゐます。俗界の人にはわからない言葉でした。人前で「あの人は御利口な御〔バカ〕さんですね」とは大聲で言へたわけです。

「公然の祕密」"Open Secret"といふオクシモロンの慣用句があります。表向きは祕密にされてゐるが、實は誰でも真実は知つてゐることを指します。内外を問はず政治家に多いのが表向きは祕密なはずの「隱し子」です。以前のある政黨ではその長であつた政治家が二人とも「隱し子」のゐたことを公表しましたが、これは「祕密」を「公然」のものにしたことです。しかし、その後の隱し子がどうなつたかは祕密にされてゐるやうです。
posted by 國語問題協議會 at 13:12| Comment(0) | 中谷信男