2019年11月15日

きゃりこの戀(56) 假名遣の論理(1)

きゃりこ: 先生いつも、たとへば「笑う」を「笑ふ」、「いる(居)」を「ゐる」とか書くぢゃありませんか。最初、外人だから間違へるのかな、と思ったんですけど、先生賢いから、間違へるはずないな、と思ふやうになったの。優ちゃんに訊いたら、昔の書き方だって言ふの。昔はそんなふうに書いたんですか。わざわざ面倒なことをしたのね。昔の人って、馬鹿だったのかしら。
オスカー:わざわざ面倒なことをしたわけぢゃありません。自然にできてきた日本語のスペリングなんですよ。
きゃりこ: 發音するとほりに、「わらう」「いる」って書けばいいぢゃありませんか。こんな馬鹿なことやってゐたの、日本だけでせう。
オスカー:日本だけぢゃありませんよ。英語だって、「テイク」と發音するのに、teikではなくて、takeって書きます。おんなじですよ。どこの國のスペリングもさうなの。
きゃりこ: さう言はれればさうですね。英語習ったとき、スペリング見ても發音できませんでしたものね。考へれば、一語一語、發音まで暗記させられたんですね。
 さうだ。knifeは「クナイフ」でなく、「ナイフ」。nifeって書けば濟むことなのにね。
オスカー:knowも「クノウ」でなく、「ノウ」。
きゃりこ: ほんとだ。--------------はッ。もしかして、knで始まる單語はみんなさうなのかな。
オスカー:よく氣が付きました。knee「膝」 knuckle「指關節」 knock「叩く」。みんなkを讀まずに、ノウ、ナックル、ノックですね。實は「knで始まる單語はkを讀まない」といふルールには、例外がないのです。
きゃりこ: すごいね。
オスカー:古い英語では、kを讀んでゐました。knowは「クノウ」だったのです。
きゃりこ: 嘘でせう。馬鹿なこと言って、お馬鹿の私を馬鹿にしてるんだ。怒らせるなよ。あたし、先生に手荒なことはしたくないんだ。それとも、美女に毆られると嬉しいか。
オスカー:本當ですよ。ついでに、takeは「ターケ」と讀んでました。
 よく考へてね。takeを「ターケ」と讀むのは、「思ひます(omohimasu)」を「おもいます(omoimasu)」と發音するのと理窟が似てゐると思ひませんか。
ねね:こんにちは。遲れまして。
きゃりこ: わわわ。今日、鬼姉が來るの忘れてた。
ねね:今、「オニなんとかって言った?」
きゃりこ: 「おにゃあさまがいらしたって言ったんだよ。三河辯でお姉さまのことをおにゃあさまって言ふんだって、家康ドラマで言ってゐたよ」(讀者の皆樣へ。これ嘘です)
オスカー:今、takeを「ターケ」と讀むのは、「思ひます」を「おもいます」と發音するのと同じだって話してゐたのです。
ねね:昔はスペリングどほりに發音してゐた。まあ、發音が先にあったのですから、「發音どほりに書いてゐた」と言った方が理窟に合ふかな。
オスカー:そのうち、だんだんと發音とスペリングが乖離(かいり)してきた。
ねね:あるときから、「eの前の母音はアイウエオでなく、エイ・アイ・ユー・イー・オウと讀む」ことになったんですね。
きゃりこ: 何言ってゐるのか全然分からない。だいたいお姉ちゃん、國際政治學の大學院で、そんなこと教はったの?
ねね:どこでも教はらないよ。そんなこと、中學の時から氣づいてゐたよ。
きゃりこ: チュ、チュー學?! ああん。なんで姉妹なのに、こんなに頭が違ふんだろ。おねえちゃんの英語の實力、中學三年のときには、今の私より上だったんだね。
ねね:馬鹿にするんぢゃないよ。英語始めてから一週間で、あんたの六年分マスターしたからね。
きゃりこ: そこまで言はなくても-------------。しくしく。
ねね:そのかはり、顏はあたしの勝だって、いつも言ってるんだろ。優ちゃん、誘惑してやる。
きゃりこ: いや、いや、いや。言ってないよおお。
オスカー:takeのaはeの前にあるから(kを挾んではゐるが)、アでなくエイと發音するのです。tieやpileはiもeの前にあるからイでなくアイ。tube, Peter, poleのu, e, oもユー、イー、オウですね。アルファベットの表にある讀み方だから、「アルファベット讀み」と言ひます。
ねね:そして、knで始まる單語のkは讀まない。psで始まる單語もpは讀まない。さういふ變化がある時期に一齊に起ったんですね。
きゃりこ: psで始まる單語って?
ねね:psychology(心理學)はなんて發音する?
きゃりこ: プシチョロジーでしょ。當然。
ねね:サイコロジ。
きゃりこ: えええ? それって、賭博のことぢゃないの。
ねね: 一方、日本語では、omohimasuがomoimasuになったのを考へると、「語中のhは發音しない」といふ變化が、これも一齊に起ったのですね。
きゃりこ: よく分からないけど、日本語の昔の假名遣は--------。
オスカー:「歴史的假名遣」って、呼んで下さいね。
きゃりこ: 歴史的假名遣は、英語のスペリングに似てゐるんですね。
オスカー:世界中、どこの國でも、スペリングにはさういふ傳統があるのです。ところが、日本だけ、戰爭に負けたドサクサで、傳統重視の氣持がなくなって、發音記號みたいな「現代仮名遣い」を捏造したのです。
 ところで、ねねさん。さっきの、「語中のhは發音しない」といふのをもう少し正確に言ってもらへますか。
ねね:ううん。ちょっと考へさせて下さいね。----------------「語中のhはaの前ではwになり、i,u,e,oの前ではサイレントになる」
オスカー:おみごと。ううん。これほど見事な定義はないね。
きゃりこ: 説明してよ。
オスカー:「思はず(omohazu)」は「おもわず(omowazu)」と發音しますね。ほら、haがwaになってゐるのは、aの前のhがwの發音に變はってゐるぢゃないですか。
きゃりこ: なるほど。少し分かる。
ねね:そして、omohimasu, omohu (思ふomofu), omohe(思へ)では、hはu, eの前にあるから、サイレント(無音)になって、omoimau, omou, omoeになるといふわけ。
きゃりこ: さうすると、「思はず」は昔は「オモハズ」って發音してゐたわけ?
オスカー:大雜把に假名で書くと、さう言っていいのですが、「オモハズ」と書いても、omohazuではなく、omofazu、もつと昔だとomopazuだったのです。
ねね:ハ行子音がfだったことは知ってゐましたが、もっと前にはpだったのですか。
オスカー:奈良時代にはp。「はひふへほ」は「パピプペポ」といふ發音だった。
 きゃりこさん。「近江」は何と讀みますか。
きゃりこ: チカエ。女の子の名前にしちゃちょっとへんだね。
オスカー:「オウミ」つて讀むんですよ。
きゃりこ: ああ、聞いたことはあるね。名前ぢゃなくて苗字かな。
オスカー:これを奈良時代にはなんと發音してゐたでせう。
きゃりこ: え。え。え。?????
ねね:「アプミ」って讀んでゐたんだよ。
きゃりこ: ほんと? オスカー先生。
ねね:今。私を侮辱したね。今日、家に歸ってからが楽しみだね。
きゃりこ: ごめんよ。ごめんよ。許して。
オスカー:「近江」は歴史的假名遣では、「あふみ」と書きます。「近江」は琵琶湖のこと。語源は「淡水の海」といふことで、「淡海」。「あはうみ」だったのですが、「は」は奈良時代にはpaだったから、apaumi。ところが、古代日本語には「母音連續を嫌ふ」といふ傾向があったので、auが連續するのを嫌って、apumi。それを歴史的假名遣で書くと、「あふみ」になる。後はねねさんに任せよう。ハ行子音がpだったことは知らないと言ったけど、ねねさんなら想像で説明できるでしょ。
きゃりこ: ふん。勝手にしやがれ。
ねね:pがfになり、そのあと、語中ではhまたはサイレントになった。apumiがafumiになり、aumiになり、さらにauが「オー」といふ長音になって、「オーミ(オウミ)」になったといふ次第ですね。
オスカー:そして、「あふみ」を「オーミ(オウミ)」と發音するのはそれほど無理な飛躍ではありません。假名遣と發音の變遷を頭に入れた上で、無理のない範圍に收まるスペリングにしたのが歴史的假名遣なのです。そして、英語のスペリングもそれと同じ、無理のない範圍に收まった綴字法といふことができます。
ねね:つまり、昭和二十一年に、歴史的假名遣を現代假名遣に變へたのは、何の必要もない無駄なことだったといふわけですね。
posted by 國語問題協議會 at 12:22| Comment(0) | 雁井理香

2018年09月14日

一口話 2 連と聯    雁井里香

 「連座」といふ言葉があります。江戸時代には、犯罪を犯すと、親や子も連帯責任で罰せられるといふ前近代的な規定がありました。今でも、選挙違反にはこの「連座制」が適用されることがあります。有力運動員が選挙違反で有罪になると候補者が當選取り消しになることがあるといふ規定です。
 「連座」とは「連なつて座る」です。縄で縛られてお白洲に横並びに座らされてゐる様子を表してゐます。前回、「連」は「もしくは縦に、まつすぐ一本につながつてゐる」(一次元的)、「聯」は「四方八方から呼び寄せて一緒になる」(二次元的)といふ説明をしました。「連座」の場合はに並んで座るのですから、當然、「聯」ではなく「連」を使ひます。
 ふつうの國語辞典を引くと、「連座」の場合は「連」を使へ、「連合」の場合は「連」でも「聯」でもいいと出てゐます。(「聯」には常用漢字でないといふ印がついてゐますが)
 これは、國語辞典がややこしい説明を避けるための苦肉の策なのです。「連座」の場合は戦前から「連」でなければいけなかつたのです。「聯」は駄目でした。それに對して「連合」の場合は本當は(戦前は)「聯」。戦後「『聯』は駄目、『連』でなければいけない」となつたために、戰前の漢字を知りたい人のために、「どちらでもいい」といふ書き方をしてゐるのです。

posted by 國語問題協議會 at 21:50| Comment(0) | 雁井理香

2018年08月18日

一口話(一)   雁井理香

1.戦前の日本海軍の「連合艦隊」を「聯合艦隊」と書いてあるのをごらんになつた記憶のある方もいらつしやるでせう。たいていの方は「連」が新漢字(略字)で、「聯」が舊漢字(正字)だと思つていらつしやるやうですが、さうではないのです。
 實は、「連」と「聯」は別字です。「連」は「もしくは縦に、まつすぐ一本につながつてゐる」(一次元的)様子を表し、「聯」は「四方八方とのつながりがある」(二次元的)様子を表してゐます。戦前はちやんと使ひ分けてゐたのに、敗戰後當用漢字を定めた際に、區別をやめて、いはば「聯」を「連」に吸収させてしまつたのです。
 「連続」は「連」、「聯合」は「聯」です。「連續」は「一本につながつている」、「聯合」は「四方八方から呼び寄せて一緒になる」といふニュアンスがお分かりになるでせう。因みに、戰前の「國際レン盟」は當時は「國際聯盟」と書いてゐました。「國際レン合」は一九四五年に結成されたときには、「國際聯合」と書いたのに、その後當用漢字で漢字の使用が制限されたために「国際連合」になりました。
 「国際連合」のことを英語ではthe United Nationsと言ひますが、これは戰時中の「連合國(聯合國)」のことです。連合國がそのまま國際連合になつたので、歐米人の意識としては、「連合國」と「國際連合」は同じものなのです。だからこそ、「敵國條項」といふのがあつて、戰時中に連合國に敵對した日本などは、いまだに差別待遇を受けてゐます。
 中國語では、「連合國」も「國際連合」も「聯合國」と呼ぶのが面白い所です。台湾ではこの漢字(正漢字)のままですが、大陸では簡体字を使ひます。
 ただ、「連」も「聯」も發音は同じ(lianリェン)で、聲調(四聲・アクセント)まで同じですから、もともとは同じ單語だつたのかも知れません。
posted by 國語問題協議會 at 14:41| Comment(0) | 雁井理香