2017年05月16日

きゃりこの戀(47) くれなゐ 雁井理香  

V講  くれなゐ

きゃりこ:
 ちょっといい歌見つけた。意味が全然分からないけど、なんか口調がいいんだ。
  「くれなゐに涙の色のなりゆくをいくしほまでと君に問はばや」
 「くれなゐ」って、紅色(べにいろ)のことだろ。
 涙の色が紅色になるって、なんぢや。
オスカー:
 あんまり泣いたために、血の涙が出て來たことをいふんですよ。
きゃりこ:
 和歌で「涙」と言つたら戀の涙のことだと教はりました。戀の涙が血の涙になるつて、大袈裟すぎて嘘っぽい。
 最後の「君に問はばや」は「あなたに質問してみたい」だね。でも、その前の「いくしほまでと」がちんぷんかんぷんだ。
オスカー:
 漢字で書けば、「幾入までと」。
きゃりこ:
 「入」を「しほ」って讀むの。
オスカー:
 「嬉しさも一入(ひとしほ)だ」って言ふぢやない。染色の言葉なのです。染色液の中に入れるのを「入(しほ)」と言ひます。語源的には「潮が満ちて來て、また引いて行く」ことになぞらへて「しほ」といふ言葉が出来たのでせうけど。「嬉しさも一入だ」は、「もう一回染色液に浸(つ)けて、色が濃くなるやうに、嬉しさが一層増して来る」といふ意味です。
 語源的に考へると「一潮」と書いてもいいと思ひますが、「入」を「しほ」と讀むやうな無茶苦茶な讀み方を見ると、「日本語っていいな」と思ひますよ。世界中で、こんな無茶できるの日本人だけですからね。でも、染色液の中に「入れる」んだから、この字を使つてもをかしくないんだ。
きゃりこ:
 ヘンな外人。よつぽど日本が好きなのね。私がゐるからかな。
オスカー:
 この歌では、袖が涙の色で赤くなるのを染色に譬へてゐます。
きゃりこ:
 分かつて來たよ。「君」といふのは冷たい彼女のことだ。あれッ。彼のことかも知れないね。「あんたの冷たさのおかげで、涙の色が濃い赤になつて來た。あと何回染めさせれば氣がすむのか」 これからもまだ冷たくして、涙の赤い色をもつと濃くさせるつもりなのか、といふ恨みの歌だね。
オスカー:
 見事です。凄い実力になつて來ましたね。
きゃりこ:
 作者は誰?
オスカー:
 道因法師。百人一首に、「思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり」が入つてゐる人。
きゃりこ:
 「法師」って、坊さんでせう。坊さんが戀の歌を作るの? いやだ。
オスカー:
 坊さんだつて戀をしてもいいぢやないですか。それに、和歌といふのは、藝術のつもりで作るのだから、戀をしなくても戀の歌は作れるのです。
きゃりこ:
 感情の籠らない歌になつてしまはない?
オスカー:
 思つたままを歌にするといふのは、日本の自然主義の考へ過ぎの思想なの。藝術といふのは創造なんですから、現実には一致してゐなくていいのです。男が女の身になつた戀の歌を作る。京都にゐて白河の関の歌を作る。いいぢやないですか。
きゃりこ:
 さう言はれればそれが正しいやうにも思へる。
 ところで、「べに」と「くれなゐ」とは違ふの?
オスカー:
 まあ、同じ色を指すと言つていいでせう。「あか」はちよつと違ふやうだけど、その違ひは説明できません。
 もともとは、「丹(に)」が赤い色を指しました。その丹を延ばして、布に付けたり、脣に塗る(延べる)ことから、「延べ丹」といふやうになり、縮めて「べに」になりました。
 「赤」の語源は「明るい」と同じ。眼を瞑つて太陽のはうを見ると、赤く見えるぢやないですか。「あかい」と「あかるい」は同じだつたのです。ついでに、「黒」は「暗(くらし)」、「白」は「著(いちじるし・しるし)」から来てゐます。
 もう一つついでに、「緑」は「みづみづしい」と関係があります。
きゃりこ:
 ぢやあ、「くれなゐ」は?
オスカー:
 「呉(くれ)」の「藍(あゐ)」。
 「藍」といふのは色の名前ですが、同時に染色のことをも言ひました。もともとは染色と言へば藍色に決つてゐたから。やがて、中國から紅色の染色法が傳はりました。そこで、紅色の染色のことを、「呉の藍」といふことで、「くれのあゐ」。古代には、母音の連続を避ける傾向があつたので、kurenoawiのoが脱落して、kurenawiといふ言葉ができたのです。
きゃりこ:
 「くれ」って、中國の地名なの?
オスカー:
 「呉」は「ご」といふ中國の地名なのですが、無理矢理「くれ」と《訓讀み》したのです。しかも、本當に呉の地方から傳はつて來たのではなく、單に中國のことを「呉」だと考へたやうですね。昔のことですから、大らかでいいぢやないですか。
きゃりこ:
 なるほど。それが戀の涙にまで使はれるとは日本語って凄いですね。
オスカー:
 さうですよ。日本は「言靈(ことだま)の國」と言はれますが、本當に日本語って神秘的だ。「神の國」と言つてもいいと思ひますよ。
きゃりこ:
 外人からそんなことを言はれると戸惑つてしまふね。
オスカー:
 日本人は戰爭に負けてから、プライドも自信もなくしてしまつたのです。もつと胸を張つて下さい。中國人だつて、中國のことを「神の國」と言つてゐるんだから。
きゃりこ:
 ほんと??
オスカー:
 本當ですよ。日本では戦前は日本のことを「神洲」と言ひましたが、中國では、今でも中國のことを「神洲」と言ふんですよ。どこの国でも自分の国のことは特別だと思つてゐるのに、日本人だけ、特別だと思つてはいけないといふ国際主義が強すぎるのです。
 中国では、人工衛星に「神舟」といふ名を附けましたが、「しんしう」だから、「神洲」をもじつたのです。
きゃりこ:
 中国語では違ふ発音なんぢやないの?
オスカー:
 中國語でも、どちらもshenzhouといふ同じ発音です。

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2017年04月28日

きゃりこの戀(46)

オスカー:
 []遠き別れに堪へかねて この高樓(たかどの)に昇るかな
  悲しむなかれ我が姉よ 旅の衣を調(ととの)へよ
きゃりこ:
 聞いたことあるけど、綺麗な歌だね
 でも「悲しむなかれ我が友よ」だつたと思ふんだけど。「姉」ぢやなくて。
オスカー:
 「惜別の歌」といふのですが、もともとは、島崎藤村の詩なのです。タイトルも「高樓(たかどの)」で、全部で八聯。内容も、姉が嫁いで行くのを妹が悲しんで送る歌なのです。それを、戦時中に中央大学の学生が、学徒出陣に出て行く友人を送る歌にして曲を附け、「惜別の歌」といふタイトルに變へました。そのとき、歌詞も「我が姉よ」も「我が友よ」になつてしまひました。僕は藤村が好きだから、原文で歌つてゐます。
 歌ふときの歌詞は「惜別の歌」としては、三番または四番までだといふことになつてゐますが、「高樓」としては、原文どほり八番まで歌つてもいいでせう。
 さて、二番です。
 []別れといへば昔より 此の人の世の常なるを
  流るる水を眺むれば 夢恥づかしき涙かな
きゃりこ:
 確かに、出陣の餞(はなむけ)といふには餘りにも女性的な歌詞だね。
 なるほど、なるほど、雁井さんのおかげで、おバカでも意味が分かる。
 「昔から愛する人と別れなければならなくなる例はいくらでもある。水が流れるやうに世の中は移つて行くのだ。それを考へると、お姉ちゃんとの別れに涙を流すのは恥づかしいことなんだ」
 うううん。寧々みたいな鬼姉でも、別れるとなると悲しいんだらうな。それにしても、現代では、嫁いだつていつでも會へるんだから、そもそも嫁ぐのと別れるのと關係がないんだね。寧々、早く嫁に行つてしまへ。
 ところで、「夢恥づかしき」の「夢」つて何?
オスカー:
 「ゆめ忘るるなかれ」といへば「決して忘れてはいけない」。「夢にも」といふことから來てゐるのですが、副詞として使はれるやうになりました。否定文に附いて、「決して〜ない」の意味ですが、藤村はこれを「決して泣いてはいけないのに泣いてしまつたのだから恥づかしい」といふ意味で肯定の文に轉用したのです。
きゃりこ:
 そんなに勝手に轉用してもいいの?
オスカー:
 藤村くらゐ偉くなると何をしてもいいのです。芭蕉も文法的な間違ひをしてゐますが、芭蕉が間違へたために、それが正しい用法となつてしまつたといふ例があります。
きゃりこ:
 ずゐぶんいい加減だね。
オスカー:
 国語といふのは文学者のリーダーシップで作り上げられて行くのですから、それはかまはないのです。それよりも、戦後の国語改革で、文部省や学者たちが、「副詞は假名で書くのを原則とする」などといふ規則を勝手に作つてしまつたことのはうがずつとひどい國語破壊なんですよ。
きゃりこ:
 なるほどね。政府主導で規制されたために、日本語は崩れて來たんだ。それに追従した学者たちも情ない連中だね。
 「夢恥づかしき」も文部科学省の命令では「ゆめ恥づかしき」としなきやいけないことになる。「夢恥づかしき」と書いたら、犯罪を犯してることになるんだ。
オスカー:
 []君がさやけき目の色も 君紅(くれなゐ)の脣も
  君がみどりの黒髪も またいつか見むこの別れ
きゃりこ:
 三番になると、もう完全に女との別れになつてゐるぢやない。出陣を送る歌ではないね。男の脣が紅だつたら気持悪い。美少年だつたらいいけど。
オスカー:
 一説によると、作曲者が勤労動員で工場で働かされてゐたときは、女学校の生徒もいっしょにゐたりしてたので、実感が籠つてゐたとも言ひます。
 この歌、いろんな歌手が歌つてゐます。インタネットで見ると、小林旭が歌つてゐるのがやたらにたくさん出て來ます。その中で「惜別の歌 小林旭 リメイク 動画」で検索すると、山の頂上の映つた画面が出て來ます。これが背景の絵が一番美しいので僕は好きです。
 山の頂上にある城跡の写真です。お城は廃却されてしまつたのですが、石垣がかなり完全な形で殘つてゐる。兵庫縣朝來(あさご)市和田山町にある「竹田城」の古跡なのですが、山の上にあるので、「天空の城」と呼ばれてゐます。雲海が城の下の方に見えるのですから、そのロマンティックなことは譬へやうもありません。今度訪ねて行つてみようと思つてゐます。
きゃりこ:
 そんな素敵な所がなんでもつと有名にならないのかしら。
 ちょっと、PC貸してね。インタネット見てみるから。「リメイク」って何だ。意味分からないけど、remakeのことだらうね。
 あ、これか。ひゃああ、綺麗な石垣だね。歌聞かせてね。
オスカー:
 一番二番が城跡だけど、三番の背景の絵がまたいいですよ。
きゃりこ:
 んみゃんみゃんみゃ。凄い美人の絵が出て來たね。オスカー先生の好きなのはこれだつたのか。「君がさやけき目の色は」では目を映し、「くれなゐの脣」では脣だ。リップスティック持つてる絵だ。いやあ、色っぽい女性だね。
 あんまり美人だから絵かと思つたら、やつぱり寫眞だね。知らない顔だから、藝能人ぢやないよ。
オスカー:
 実はこの女性が雁井さんにそっくりなんですよ。
きゃりこ:
 ぱみゅぱみゅぱみゅぱみゅ。この人二十代前半だよ。雁井さんっていくつなの? お世辞言はされる可哀想なオスカー先生。
オスカー:
 雁井さんに逆つたら、僕もきゃりこさんも消されてしまふ運命なのですよ。そしたら、次からは、寧々さんと優ちゃんの對談になつて、二人の間に愛が芽生えることになるでせうね。
きゃりこ:
 いやだあああああ。私も雁井さんにお世辞言ふよ。





posted by 國語問題協議會 at 21:04| Comment(0) | 雁井理香

2017年04月15日

三種神器の起源(45) 雁井理香

オスカー:
 今日は三種神器の話をしませう。
きゃりこ:
 ふつう「さんしゅのじんぎ」って言はない? なんで「さんしゅじんぎ」って言ふの?
オスカー:
 「さんしゅのじんぎ」って言ひましたよ。
きゃりこ:
 上に「三種神器」って、書いてあるぢやない。
オスカー:
 「の」がなくても、自然に「の」を入れて読むのが日本語のよく出來た所なの。「隱岐島」で「おきのしま」。「平清盛」で「たひらのきよもり」。これが日本の文化だつて、前に言つたぢやないですか。
きゃりこ:
 さて、三種神器って、「鏡」と「劒」と「勾玉」だといふことは知つてゐるんですが。いつごろどこで出来たのですか。
オスカー:
 天孫降臨の時に持つて降りて來たんだから、それよりも前ですよ。
きゃりこ:
 なに。それ。
オスカー:
 天津彦(あまつひこ)彦火(ひこほの)瓊瓊(にに)杵(ぎの)尊(みこと)が天から降りて來たことです。
きゃりこ:
 わたし、歴史の話を訊いてるつもりなんですが。
オスカー:
 だから、天照大神の孫のニニギノミコトが天から降りて來て、日本の歴史が始まつたんですよ。
きゃりこ:
 外人のくせに右翼なのね。史実と神話を混同しないでね。
 まあいい。その天孫降臨は今から何年前のことなのですか。さうだ! 紀元二六〇〇年とかいふから、そのくらゐの昔かな。
オスカー:
 それは、神武天皇の即位のこと。平成二十八(2017)年は紀元二六七七年なんです。紀元は「日本紀元」とも「皇紀」とも言ひます。下一桁(七)が西暦と同じだからヒントになります。
 因みに、昭和の大横綱・大鵬幸喜(かうき)は、昭和十五(1940)年つまり紀元二千六百年ちやうどの生れなので、「皇紀」と同じ発音の「幸喜」といふ名前を附けられたのです。
 天孫降臨でニニギノミコトが日向の「高千穂の嶺」に降りて來て、三代の間、そこで暮らしました。これを「日向三代」と言ひます。ニニギノミコトの息子が彦(ヒコ)火(ホ)火(ホ)出(デ)見(ミノ)尊(ミコト)。この人は「海彦・山彦」の「山彦」です。
きゃりこ:
 えッ。「海彦・山彦」って、童話ぢやないの?
オスカー:
 皇室の先祖なんですよ。古事記のお話が童話になつたのです。その山彦の息子が、日子(ひこ)波限(なぎさ)建鵜(たけう)葺(が)草葺(やふき)不合(あへずの)命(みこと)。そのまた息子が神武天皇なのです。
きゃりこ:
 ぢやあ、天孫降臨は神武天皇の三代前なんだから、せいぜい今から三千年前の出来事なのね。
オスカー:
 天孫降臨から神武即位まで、約百八十万年。正確に言へば、1792470年。今から何年前かを数へれば、1792470+660+2017=1795147となつて、今から百七十九万五千百四十七年前のことです。
 あ、660といふのは、神武天皇の即位が紀元前六六〇年だからです。660+2017がさっき出て來た2677になります。
きゃりこ:
 そんな端数まで分かつてゐるの?! 百八十万年前つていへば、まだ人類なんかゐなかつたぢやない。
オスカー:
 人類はゐませんでした。だから神だつたの。何の不思議もありません。神武天皇の曽祖父(ニニギ)も、祖父も、父親も神だつたのですから、何十万年も生きたのです。
 神武天皇からは人間なので、「人(にん)皇(わう)」と言ふことがあります。今上天皇は「人皇第百二十五代」です。「にんわう」と書いても、「ニンノウ」と發音してね。
きゃりこ:
 どうして、外人がそんな神がかったこと言ふの?
オスカー:
 「天の岩戸」の話は知つてゐますか?
きゃりこ:
 天照大神が岩に隠れた話でせう。
オスカー:
 弟の素戔嗚(すさのをの)尊(みこと)が暴れたので、怒つて洞窟に石の蓋をして、その中に隠れてしまつたのです。そこで~樣たちが相談して、蓋(扉)の隙間から鏡を差し出して、大神がなんだらうと思つてちょっと首を出した所を、腕を摑んで引きずりだしました。
 その鏡が三種神器の鏡なのです。
きゃりこ:
 馬鹿馬鹿しい。その鏡が今皇居にあるとでも言ひたいの?
オスカー:
 皇居ではありません。伊勢神宮にあるのです。
きゃりこ:
 えッ。三種神器って、皇居にあるんぢやないの?
オスカー:
 二セットあるのです。鏡のオリジナルは伊勢神宮にあるの。
きゃりこ:
 嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。そんな話、聞いたこともない。外人が日本の美女騙すのに、そんな子供騙し使ふのやめて。
オスカー:
 聞いたことのないのはきゃりこさんだけですよ。
きゃりこ:
 む、む、む、む。さう言はれるとそんな氣がして來た。
オスカー:
 では、この続きはまたいつか機会があつたらといふことで、これでおしまひ。次回は別の話に行きます。






posted by 國語問題協議會 at 14:51| Comment(0) | 雁井理香