2018年12月01日

日本語ウォッチング(8)  かんぱつをいれず   織田多宇人

「間髪を容れず」をテレビなどでも、「かんぱつをいれず」と言つているのを時々耳にする。正しくは「かん、はつをいれず」だ。髪の毛一筋の合間もないこと、つまり「すぐさま」とか、「すかさず」と言ひたい時に使ふ。此に關聯した「間一髮」と言ふ成句がある。時々「間一發」と誤記されるが、「かんいっぱつ」とは、一筋の髮の毛が入るほどのすきまもないこと、つまり、「非常に切迫してあやふいさま」で、「間一髮のところで敵陣から救出された」のやうに使はれる。
posted by 國語問題協議會 at 13:56| Comment(0) | 市川浩

2018年11月24日

ほとけごころ (その二)  原山建郎

ほとけごころ (その二)

4.エリザベス・キューブラー・ロス、
「許しのレッスン」がすごい。
エリザベス・キュブラー・ロス(精神科醫)は、ターミナルケア(終末期醫療)、サナトロジー(死の科學)のパイオニアです。その成果をまとめた『死ぬ瞬間』(中公文庫、一九七一年)は世界的なベストセラーになりました。
亡くなる四年前、二〇〇〇年の著作『ライフ・レッスン』(エリザベス・キューブラー・ロス、デーヴィッド・ケスラー共著、上野圭一訳、角川文庫、二〇〇五年)のはじめに、彼女はかう書いてゐます。
【わたしたちひとりひとりのなかにガンジーとヒトラーが住んでゐる。もちろん象徴的な意味でだ。ガンジーは人間のなかにある最良のもの、もっとも慈悲ぶかいものをあらはし、ヒトラーは最惡のもの、人間のなかにある否定性と卑小性をあらはしてゐる。人生のレッスンとは、みづからの卑小性にはたらきかけ、否定性をとりのぞいて、自己のなかにも他者のなかにもある最良のものをみいだす作業にかかはるものだ。人生の暴風にも似たそのレッスンは、わたしたちを本来のわたしたちに立ちかへらせてくれる。わたしたちはたがひに癒しあい、また自己を癒すために地上に生れてきた。それは身體症状の回復といふ意味での癒しではなく、はるかに深いレベルでの癒し、精神の、そしてたましひの癒しである。】
(同書「エリザベスからのメッセージ」九ページ)

『ライフ・レッスン』のなかから、本日のテーマにかかはる「許しのレッスン」を紹介します。
【一九四〇年代の後半、イギリスから獨立する準備をすすめてゐたインドの國内は宗教戰争の嵐が吹き荒れてゐた。内戰でイスラム教徒に息子を殺されたヒンドゥー教徒の男が、マハトマ・ガンジーにかういった。
「どうしたらイスラム教徒を許すことができるでせうか? ひとり息子を殺されて憎悪に燃えてゐるこのこころに、どうしたら平安がとりもどせるのでせうか?」
ガンジーはその男にいった。「イスラム教徒の戰争孤児を養子にしなさい。そして、自分の息子として育てなさい」
人生をまっとうするためには許すことを學ばなければならない。許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己とを結びつける方法である。人はだれでも傷ついたことがある。たとへいはれのない事情によるものであっても、傷つくときは傷つく。そして、わたしたちはほぼ全員、他人を傷つけたことがあるはずだ。問題は傷つけたり傷ついたりすることよりもむしろ、その經驗が忘れられないこと、それを忘れようとしないことのほうにある。傷の痛さはそこにあるのだ。わたしたちは傷をためこみながら生きてゐるが、その傷を手放す方法はだれからも教わってゐない。許しが必要とされる理由はそこにある。
許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。だれもがそのいずれかを選択することができる。皮肉にも、傷つけた人より傷ついた人にとって重要な問題であり、傷ついた人が癒されるといふ意味で、許しは自愛的な好意だともいへる。(中略)
許さないといふことは、むかしの傷や怒りにしがみついてゐるといふことである。恨みの感情に榮養を補給して、過去の不幸な部分を生かしつづけることである。許すことができなければ、自分自身の奴隷になるしかない。
許しからは多くのものを得ることができる。許すことによって、自分を傷つけた人に奪はれたと感じてゐた全體性の感覺をとりもどすことができる。ほんたうの自己にもどるための自由を得ることができる。人はだれでも自分自身に、そして他者との關係に、再出發するチャンスをあたへることができる。そのチャンスこそ、許しがもたらす魔法なのだ。相手を、あるいは自分を許しさへすれば、恩寵の世界に立ちかへることができる。折れた骨が治ったときに骨折以前よりつよくなるやうに、許しによって傷が癒えたときは、相手との関係が以前よりつよいものになる。(中略)
許しにはさまざまな障害がある。なかでも大きな障害は、許せば自分を傷つけた行為をみとめることになってしまふのではないかといふ感情である。しかし許しとは、相手に「わたしを傷つけてもいいのよ」といふことではない。許しとは、恨みをいだいてゐると不幸な人生を送ることになると氣づいて、自分自身のために、うけた傷を手放すことである。許せないと思ってゐる人は、自分が罰してゐる對象がほかならぬ自分自身であることをおもひだす必要がある。
許しとは相手を好き放題にさせておくことではない。それはことばの最良の意味での博愛の行爲である。自分を傷つけたときの相手はけっして満足な状態ではなかったのだといふことにおもひいたった瞬間に、許す氣もちが生まれる。相手は過ちを犯したが、それは相手の本來の状態ではなかった。人間である以上、相手も過ちを犯す。そのことで相手も自分とおなじやうに傷ついてゐる。そこに気づいたとき、許しが生まれる。けっきょくのところ、人は自分を癒すために許すのだ。相手の行爲は、ただの行爲でしかない。その行爲を許すのではない。人を許すのだ。
もうひとつ許しの障害となってゐるのは、報復してやりたいといふ欲望である。たとえ報復をとげたとしても、一時的な満足しか得られない。報復といふ低次元な行爲をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。自分を傷つけた人に自分の苦痛をおもひ知らせるためにとった攻撃的な行爲が、けっきょくはまた自分を傷つける。傷のいひ分に耳をかたむけて傷を吟味するのはいいが、傷にしがみついてゐては自己處罰の方向にむかふだけだ。
許すことはむづかしい。傷を無視してしまふ方がまだ樂だといふときもある。何回も許したいとおもひながら、つい先のばしにしてしまふ。傷つけられたみじめさが、どうしても忘れられないのだ。その先のばしに期限がくるのは、こんな氣もちのままで生きてゐたくない、いつまでもわだかまりをひきずっていたくないといふ、自分の本心に氣づくときである。
許せないといふ気もちは人を固着させる。傷をかかえこんだままの状態と馴れあひすぎて、大決心をしなければ許すことができなくなる。人間關係を修復するよりは相手を責めたはうが樂になる。相手の過ちだけをみてゐるあひだは、自分自身の内面を見つめる必要がないからだ。相手を許したとき、はじめて人生に力がよみがへり、傷を乗りこえて花ひらくことができるやうになる。傷をかかへたまま生きることはたえず犠牲者の立場にとどまることであり、その立場から脱出するには許すといふ道しかないのだ。だれかによって自分が永久に傷ついていなければならない理由はどこにもない。その氣づきのなかに大きな力がひそんでゐる。(中略)
許しの第一ステップは、相手をふたたび人間としてみるといふことにある。弱氣になってゐる時、配慮を失ったとき、混亂してゐるとき、苦しんでゐるとき、人間である相手は過ちを犯す。傷つけた相手は缺陷があり、もろく、孤獨で、貧弱で、感情的に未成熟な人間であり、いはば、自分とおなじやうな存在である。自分もさうであるやうに、相手もまた浮沈をくりかへしながら、たましひの旅路の途中にあるのだ。
相手が人間であることをみとめさえすれば、自分の内面をみつめる余裕が生まれ、許しがはじまる。内面には怒りがたまってゐる。だからまづ、枕をなぐりつける、ひとりで大聲をあげる、友人に心境を打ちあけるなどして、そのブロックされたエネルギーを解放してやる必要がある。怒りの感情を解放すると、怒りの奥に隱れてゐた悲しみや憎しみなどが噴出してくることがある。そのときは、それぞれの感情にひたればいい。そのつぎのステップがむづかしいのだが、そこをとほりぬける必要がある。それらの感情を手放すといふステップである。許しは自分を傷つけた相手の問題ではない。相手のことは心配しなくていい。相手が何をしようと、傷ついたのは自分である。それは相手の問題ではなく自分の問題なのだ。だから、相手への否定的なおもひを手放すことのなかに自由がある。だれもが對處すべき問題をかかえてゐるが、それは自分の問題ではない。自分が問題にすべきなのは、こころの平安や幸福を手にすることなのだ。】
(同書「許しのレッスン」318〜324ページ)
(武藏野大學非常勤講師)
posted by 國語問題協議會 at 11:46| Comment(0) | 市川浩

2018年10月25日

〈ほとけごころ〉その一 原山建郎

「むづかしいことを、やさしく。やさしいことを、ふかく。ふかいことを、ひろく。」

五木寛之さんは、『他力』(講談社、1998年)のなかで、法然上人は「むづかしいことをやさしく」=易(い)行(ぎやう)往生(わうじやう)、親鸞聖人はそれを「やさしいことをふかく」=自然法爾(じねんほうに)、さらに蓮如上人は「ふかいことをひろく」=本願(ほんがん)他力(たりき)といふところに惹きつけられる、そして、この三つの言葉の背後には、「わがはからひにあらず」といふ他力の聲が響いてゐるやうに思へてならない、と書いてゐます。
武蔵野大學佛教文化研究所客員研究員である私は、數年前の『研究紀要』第32号に、『和語(わご)が啓く「ほとけ」の世界』と題する論文を發表しました。これは、紀元前6世紀の古代インドで生まれたブつダ(buddha)は、その後中國にわたつて佛陀(ぶつだ)と漢譯(漢音寫)され、さらに朝鮮半島(高句麗、新羅、百済)を經てもたらされた6世紀の日本では、漢字(呉音)の佛陀(ぶつだ)・佛(ぶつ)(ブつ)の音讀とともに、和語の訓讀で「ほとけ」と讀まれた民俗學的な背景、和語(ひらがな)で育まれた上古代日本の身體感覺、和語「ほどけ(ほとけ)」と佛教との接點についてまとめたものです。
編集工學の創始者、松岡正剛さんは、『17歳のための 世界と日本の見方』(春秋社、2006年)のなかで、インド發・中國(朝鮮半島)經由でもたらされた佛教傳來の流れについて、【このやうにして、佛教は發祥の地、インドを離れて、その類ひ稀な普遍主義や平等主義の思想と慈愛の枝を、西域や中國や東南アジアのはうに伸ばすことになつていつた。その枝に稔つたいくつもの果實が、ぽとりぽとりと中國や日本の大地に落ちたとき、そこには非ヒンドゥ(※講座のなかでその意味を解説します)でもない佛教が「挿し木」された。このことが、佛教がインドから遠い中國でその葉を豊かに茂らせ、朝鮮半島を經由して、日本で美しい花を咲かせる理由になつていく】と書いてゐます。
注目すべき言葉は、「挿し木」です。インドで誕生した佛教(木)のひと枝が、直接インドから移送された土(原産地の培地)ではなく、日本にもともとあつた土(上古代日本の精神的・文化的な土壌)に挿し木された、つまりインドで芽吹いた木(佛教のDNA)と同じ遺伝子を持つクローン體(教義)が、日本で美しい花(華)を咲かせたのです。
「美しい大輪の佛花は、日本で豊かな實を結ぶ」と書いたのは、過去完了形の「實を結んだ」ではなく、未来完了形の「實を結ぶ」、つまり「やがて實を結ぶ」であらう、「おそらく實を結ぶ」にちがひない、日本佛教の近未来のすがたについても、皆さんといつしよに考へてみたいと思ひます。

2.中國語で書かれた佛典を日本のことばで説き、書く
日本佛教學の泰斗、中村元さんは、『佛教のことば 生きる智慧』(主婦の友社、1995年)「はじめに」に、こう書いてゐます。
【極東の孤島・日本に生まれ育つたわれわれが、日本人のことばをもつて普遍的な宗教の眞理をかたるといふのは、當然のことであり、つとめでなければならない。ところが學者のあひだには、古來一つの迷信が支配してゐて、漢文をもつて書かれた典籍が尊いといふのである。邦文(※和語=日本語)をもつて書かれた佛教書は、古來「假名法語」と呼ばれ、佛教の典籍のうちでは、從屬的な地位しか與へられていなかつた。
 しかし、われわれは日本人なのだから、日本のことばをもつて説き、書くのが當たり前ではなからうか。
佛教の教へは難しいといふのが、世間一般の印象である。しかし難しくて何のことかわからぬものであつたら、アジアの人々の心から心へと傳へられることはなかつたであらう。佛教の開祖・釋尊(しやくそん)(ゴータマ・ブッタ)は、人びとのために當時の口語(はなしことば)で教へを説いた。當時の諸言語が消滅したから解らなくなつてしまつたといふだけである。實際に説かれたことは解りやすいものであつた。
佛教は漢譯されたが、それは主として隋唐時代の中華民族の言語に飜譯されたのであつて、現在の中華民族にはもう解らなくなつてゐる。まして海を隔てた異國である日本人一般には、ますます解らなくなつてゐるのは當然である。】
(同書1〜2ページ)

3・「日本的靈性」のはたらき  日本の淨土系思想、禪的生活
禪についての著作を英語で著し、日本の禪文化を海外に廣く知らしめた佛教學者、鈴木大拙さんは、その著書『日本的靈性』(岩波文庫、1972年。原著は大東出版社、1944年)で、「靈性」をかう解説してゐます。
【靈性と言つても、特別なはたらきをする力かなにかがあるわけではないが、それは普通に精神と言つているはたらきと違ふものである。精神には倫理性があるが、靈性はそれを超越してゐる。超越は否定の義ではない。精神は分別意識を基礎としてゐるが、靈性は無分別智である。(中略)靈性なるものを精神の外において、物質と精神の對峙の上にいまひとつの對峙を考へる人があるかも知れぬ。さうすると頭上に頭を重ねるわけで、甚だ持つて回つたことになる。それゆゑ簡単に、靈性は精神の奥に潜在してゐるはたらきで、これが目覺めると精神の二元性は解消して、精神はその本體の上において感覺し思惟し意志し行爲し能うものと言つておくのがよいかも知れん。即ち普通に言ふ精神は、精神の主體、自己の正體に觸れてゐないものだと言つてよいのである】
(同書17・19ページ)
そして、「日本的靈性」の解説です。
【上來の所述で、靈性は何を意味するかが大體においてわかると思ふ。(中略)靈性はそれ故に普遍性をもつてゐて、どこの民族に限られたといふわけのものでないことがわかる。漢民族の靈性もヨーロッパ諸民族の靈性も日本民族の靈性も、靈性である限り、變つたものであつてはならぬ。しかし靈性の目覺めから、それが精神活動の諸事象の上に現れる様式には、各民族に相違するものがある。即ち日本的靈性なるものが話され得るのである。
 それなら靈性の日本的なものは何か。自分の考へでは、淨土系思想と禪とが、もつとも純粹な姿でそれであると言ひたいのである。それはなぜかと言ふに、理由は簡單である。淨土系も禪も佛教の一角を占めてゐて、その佛教は外來の宗教だから純粹に日本的な靈性の覺醒とその表現ではないと思はれるかもしれない。が、自分はだいいち佛教を以て外来の宗教だとは考へない、從つて禪も淨土系も、外來性をもつてゐない。(中略)
 禪が日本的靈性を表詮(ひょうせん)してゐるといふのは、禪が日本人の生活に根深く食ひ込んでゐるといふ意味ではない。それよりもむしろ日本人の生活そのものが、禪的であると言つた方がよい。禪宗の渡來は、日本的靈性に發火の機縁を與へたのではあるが、發火すべき主體そのものは、そのころ十分に成熟してゐたのである。(中略)
 なるほど眞宗教徒は、淨土三部經を所依(しょえ)の經典としてゐる。が、それならば眞宗は何故にシナまたはインドで展開しなかつたか。淨土教の起こりは、シナでは六朝時代(222〜589年)だと思ふが、それから今日に至るまで少なくとも千五百年を經過してゐる。それにも拘らず千五百年前の淨土教は、千五百年後の淨土教である。それから眞宗的横(おう)超(ちょう)經験および彌陀の絶對他力的救濟觀は生まれなかつたのである。これに反して日本では、法然上人が天台教義より獨立させて一宗の面目を保たしめんとするや否や、彼の會下(えか)には親鸞聖人が出現した、さうして彼の所説に一大飛躍を與へてゐるのである。鎌倉時代における日本的靈性の活動は、法然上人の淨土観にも止まることを許さなかつたのである。それは親鸞聖人を起(た)さなければ已まなかつたのである。これは決して偶然の事象だと考へてはならぬ。日本的靈性でなければ、この飛躍的經験は淨土系思想の中に生まれ出なかつたのである。淨土系思想は、インドにもありシナにもあつたが、日本で初めてそれが法然と親鸞とを經て眞宗的形態を取つたといふ事實は、日本的靈性即ち日本的宗教意識の能動的活動に由るものといはねばらならぬ。(中略)大いに有力な力のはたらきかけが、日本的靈性の中から出たと斷定しなくてはならぬのである。このはたらきが淨土系思想を通して表現されたとき、淨土眞宗は生まれた。眞宗經験は、實に日本的靈性の發動にほかならぬのである。それが佛教的構想の中に出たといふことは歴史的偶然であつて、その本質の日本的靈性なることを妨げるものではない。】
(同書20〜24ページ)

4.やまとことば(ひらがな) ほとけごころ(いつくしみ)
4〜5世紀(※諸説あり)に中國から漢字が傳來するまで、文字のない上古代日本では、もつぱらやまとことば(話しことば)によるコミュニケーションでした。やまとことばの發音を、傳來した漢字の音韻を借りて表したのが萬葉假名です。音讀は中國語の發音で讀む漢語、訓讀はやまとことばの發音で讀む和語ですが、その後、草體(崩し字)の變體假名を經て、明治時代に現在の「ひらがな(カタカナ)」となりました。
ひらがなで書く〈ほとけごころ〉は、もちろん日本のことば、やまとことばです。
漢字の「佛(ぶつ)心(しん) @佛の大慈悲心、A衆生のなかに本來備はつてゐる佛性)」よりも、ひらがなの「ほとけごころ(ほとけさまのやうにいつくしむ、なさけぶかいこころ)」の方が、日本人の情感に響きます。

@ と(溶)く/ほど(解)く
→と(融)ける/ほど(解)ける
A ゆる(許)す/ゆる(弛)む
→ゆ(搖)れる/ゆる(緩)める
B たす(助)く/すく(救)ふ
→ま(負)ける/まか(任)せる
C つつ(包)む/さら(晒)す
→あら(洗)ふ/すす(濯)ぐ
D な(成)る/な(鳴)る/な(生)る
→あ(生)る/あ(顯)る

全五回、「たのしい」講座を心がけます。

posted by 國語問題協議會 at 21:28| Comment(0) | 市川浩