2018年09月14日

一口話 2 連と聯    雁井里香

 「連座」といふ言葉があります。江戸時代には、犯罪を犯すと、親や子も連帯責任で罰せられるといふ前近代的な規定がありました。今でも、選挙違反にはこの「連座制」が適用されることがあります。有力運動員が選挙違反で有罪になると候補者が當選取り消しになることがあるといふ規定です。
 「連座」とは「連なつて座る」です。縄で縛られてお白洲に横並びに座らされてゐる様子を表してゐます。前回、「連」は「もしくは縦に、まつすぐ一本につながつてゐる」(一次元的)、「聯」は「四方八方から呼び寄せて一緒になる」(二次元的)といふ説明をしました。「連座」の場合はに並んで座るのですから、當然、「聯」ではなく「連」を使ひます。
 ふつうの國語辞典を引くと、「連座」の場合は「連」を使へ、「連合」の場合は「連」でも「聯」でもいいと出てゐます。(「聯」には常用漢字でないといふ印がついてゐますが)
 これは、國語辞典がややこしい説明を避けるための苦肉の策なのです。「連座」の場合は戦前から「連」でなければいけなかつたのです。「聯」は駄目でした。それに對して「連合」の場合は本當は(戦前は)「聯」。戦後「『聯』は駄目、『連』でなければいけない」となつたために、戰前の漢字を知りたい人のために、「どちらでもいい」といふ書き方をしてゐるのです。

posted by 國語問題協議會 at 21:50| Comment(0) | 市川浩

2018年06月25日

「つたへること・つたはるもの」(27) 原山建郎

四角い漢語、とんがつたカタカナ語、まるい和語

『主婦の友』編集部時代、「記事の見出しは漢字とひらがな(カタカナ)のバランスを考へろ。原稿用紙を離して薄目で見ると、字画が多い漢字は四角く墨つぽい、ひらがなはまるく透明な感じ、カタカナは鋭角でとんがつた感じがする」と指導され、新前記者の私は「なるほど、そうか!」と妙に納得したものだ。
なるほど、日本語の文章(書き言葉)は、表意文字の「漢字」を主体として、これに「ひらがな(カタカナ)」を交じへて書かれた「漢字かな交じり文」である。さらに詳しく見てゆくと、日本語による會話(話しことば)もまた、漢語(中國製漢語+和製漢語)+和語(やまとことば)+カタカナ語(外來語+カタカナ表記語+和製英語など)で構成されてゐることがわかる。これを編集工學の創始者・松岡正剛さんふうに言へば、漢字あるいは英語(ヨーロつパ言語)といふ「外來のコード(文化や技術の基本要素)」を、日本古來の話しことば文化である和語(やまとことば)の文脈にとり入れて、日本文化にふさはしい「内生のモード(樣式)」に編集し直して「日本語」を作るといふ、世界に類例のない快擧を成し遂げたのである。

表意文字である漢字を組み合わせた「漢語」は、四角く堅苦しい感じを與へるが、その文章を讀んだり言葉で聞いた瞬間に、漢語の〈意味〉がすぐに理解できる。
公式の會議や挨拶の言葉にはたくさんの漢語が用ゐられるが、そこで重要なのは發表者の〈思ひ〉ではなく、傳へる〈意味〉である。
業務報告などの社内文書、取引先への挨拶寔などの社外文書でも、やはり〈意味〉が最優先事項となる。
たとへば、國土交通大臣、住宅・不動産業界團體トップの二〇一七年「年頭所感」(一部抜粹)には、たくさんの漢語が登場する。
★社會資本整備には、移動時間の短縮等を通じて生産性を高めて民間投資を促進する効果、災害リスク等を低減させる効果、国民生活の質を向上させる効果といつた「ストック効果」があります。(國土交通大臣 石井啓一氏)
★喫緊の課題である既存住宅流通活性化対策としては、税制面で住宅や土地の所有権移転登記に係る登録免許税の軽減措置や事業用買換へ特例など各種流通課税の特例が延長されました。空き家対策として本會が要望してきた所有者情報開示は……(全國宅地建物取引業協會連合會會長 伊藤 博氏)
業務報告書(社内文書)や挨拶寔(社外文書)もまた、〈意味〉を的確に傳へる漢語が主役。
●A社営業部のB部長と面會、發注量變更の情報を聴取。製品Cを月間200セット發注するとのこと。生産管理部のD課長に増産の依頼をすませた。(商談の業務報告書)
●貴社、ますますご清榮の由、大慶に存じます。平素は格別のご愛顧を賜り、深く感謝申し上げます。さて〜(取引先への挨拶寔の書き出し)

これらの漢語をもつと噛み砕いた表現に直すことはできるが、一〇分の挨拶が三〇分に延び、一枚の報告書が二枚に増えるなど、ただでさへ多忙を極める業務遂行に支障をきたす。また、上記の漢語に「喫緊(正しくは「吃緊」)があるが、これは「緊急(即座に對應すべき)の課題」よりはゆるやかで、「吃緊(できるだけ早く對應したい)課題」を〈意味〉するビジネス用語である。

昨秋、「小池都知事のカタカナ語、日本語にしてみました」を本コラムでとりあげたが、「カタカナ語」には〈硬〉〈軟〉二つの側面がある。小池都知事が多用する「英單語のカタカナ表記」は〈硬〉である。英語が得意な人には歓迎されるが、普通の人ならカチンときて「そのカタカナ、日本語にしてほしい」と思ふだらう。ワンランク上をめざす人なら『カタカナ・外來語・略語辞典』(自由国民社)に飛びつくはずだ。
もうひとつ、〈軟〉の方は「そのカタカナ、日本語にしてほしい」とは眞逆になるが、「直譯の日本語より、カタカナ表記のままがいい」場合だ。たとへば、「デジタルとアナログ」の言換へは「離散量と連續量」となるが、かへつて難解な言葉になつてしまふ。また、「コミュニケーションをとる」は「交流(通信)を圖る」、「イメージを描く」は「情景(印象)を想像する」あたりだらうが、いまひとつしつくりこない。

平成一八年三月、國立國語研究所から發表された『「外來語」言ひ換へ提案』リストには、デジタルデバイド(情報格差)、コミュニティー(地域社會、共同体)、コミュニケ(共同聲明)はあるのだが、上記に示した外來語は出てこない。なぜか? おそらく、デジタル、アナログ、コミュニケーション、イメージなどは、わざわざ言ひ換へるまでもなく、かなり以前から「日本語化」してゐる外來語だからではないか。つまり、「イメージ」は「情景(印象)」ではなく、すでに「イメージ」といふ日本語で〈イメージ〉できてゐる。
もとは漢文の送り假名だつたカタカナだが、明治の文明開化とともに流入した外來語(カタカナ語)に變身し、いまでは外国語のニュアンスを〈イメージ〉で傳へる言葉に成長した。また、カタカナ表記の和製英語(カッコ内は英語)、キャッチボール(プレイキャッチ)、バトンタッチ(バトンパス)なども誕生した。

和語(ひらがな)は、傳へる〈思ひ〉が相手の心に「やはらかく、あたたかく」届く。漢語の多い會話は堅苦しいが、それをひらがなに置き換へるだけで、四角い會話がまるくなる。そのことを、感性アナリストの黒川伊保子さんは『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書、二〇〇七年)で、次のやうに書いてゐる。
人間關係の中では、相手と距離をとりたいこともある。踏み込ませない、甘えさせない會話を作るときは、子音の強く響くことばを使ふことだ。日本語は、すべての拍に母音がもれなくついてゐる(拍は日本語の發音最小単位。カナ一文字にあたる)。このため、基本的にはこころを開き合ふことばが多いのだが、その中でも中國由來のことば、すなはち音讀みの(漢字)熟語は子音が多く、強く響く。
たとへば、仕事で同席した女性に、「ご一緒できて嬉(うれ)しかつた。ありがとうございました」と言はれるのと、「ご臨席(リンセキ)いただき、光榮(コウエイ)でした。感謝(カンシャ)いたしてをります」と言はれるのでは、ずいぶん雰圍氣が違ひます。前者の場合なら「歸りにお茶でも」と誘へても、後者の場合では「つけ入る隙」がありません。 
   (同書一六一〜一六二ページ)
また、國際線客室乗務員のキャリアをもつ、話し方インストラクターの下平久美子さんは、『1日1分、30日で人生が変わる「話し方」「聴き方」の法則』(ダイヤモンド社、二〇一一年)の中で、ひらがなの「すみません」を「ありがとう」に言ひ換へてみようと提案してゐる。
例へば、ビジネスで何か人に頼みごとをしたとき。
「忙しいのにすみません」。このやうに謝つてはゐませんか。
「忙しいのに、ありがたうございます」、かう言つた方が相手も快く協力してくれるのではないでせうか。
ほかにも、訪問したオフィスでお茶を出されたら、出してくれた人に對して「すみません」ではなく「ありがたう」と傳へてみませう。恐縮して「すみません」ばかり言ふと、相手にも緊張を強いることになります。
(同書七七ページ)
四角い漢語は〈意味〉を、とんがつたカタカナ語は〈イメージ〉を、まるい和語は〈思ひ〉を傳へる。
(武藏野大學非常勤講師『ゴム報知新聞』電子版コラム (2016年10月11日)


posted by 國語問題協議會 at 11:07| Comment(0) | 市川浩

2018年02月03日

歴史的假名遣事始め (三十八) 市川 浩

前囘提示しました問題、出版社の「賣れない」、SNSでの「難しい」、「讀めない」といつた感情論的攻撃への對處法を御一所に考へて見ませう。

先づこれらの攻撃が本當に事實に基いてゐるのか、考へてみるまでもなく、新かなで出版したら賣れる保障はありませんし、現在中學、高校での古文學習では歴史的假名遣の古典國文や學年別配當表以外の漢字が澤山交ざる漢文を學んでゐるといふ「事實」しかありません。第一正字・正かなの文を一瞥して「これは公用文作成の要領違反だ」などと摘發するやうな人でなければ、こんな攻撃は出來ない筈です。恐らくこの攻撃者の方は「俺は讀めるよ、だが一般の人に讀めない表記を強制する「知的エリート」ぶりに腹が立つてこのやうに發言するのだ」といふことではないでせうか。でも「これつて」ずいぶん「一般の人」の知的レベルを低く見てゐないでせうか。
これで反論は十分なのですが、放置してゐますと「賣れない」、「難しい」、「讀めない」が恰も實在の現象と誤解され、取返しのつかない結果となる恐れがあります。その一例が文語文や漢文に於ける新かなルビの跋扈です。「加へる」の語幹「加」に「くわ」と新かなでルビを振つて「くわへる」はをかしいと抗議しても、「今の人は「くはへる」では讀めません」、といふ答が返つて來ます。送り假名の「へ」に「え」とルビを振ればいいのではと言ふ人もゐる始末です。正字・正かなは「難しい」、「讀めない」が定著した結果でなくて何でありませう。
又一方で一旦かういふ「書込」があると、忽ち同調の書込が殺到、「炎上」して、正統表記を斷念せざるを得ない事例が多く語られてゐます。何だか戰時中の「敵性思想狩」みたいで嫌な豫感を抱かざるを得ません。特に此處には「新かな順應の善意の一般人」と「學識を誇示する惡意の舊かな知識人」とに國民をdivided controle「分斷支配」する戰略を感じさせるものがあります。これに就いては次囘にゆづりますが、是非皆さんも御考へ下されば幸ひです。
posted by 國語問題協議會 at 10:52| Comment(0) | 市川浩