京都市圖書館讀書友の會二月(平成十一年)例會は泉鏡花作『高野聖』が課題圖書。
當作の講述に備へて百年前の文章を五度十度と讀むうちに、違和感は失せ、逆にその巧みな表現にしばし感じ入る。鏡花の評價は好惡相半ばするといはれるが、研究家村松定孝氏は、鏡花は言葉の錬金術師と言つていいほどに表現の彫琢に類ひ稀な才を発揮し、思ひを獨特の文體に託して多くの優れた作品を創作したと言つてゐる。
『高野聖』の主題は「魔性の美女に魅せられた凡夫修行者の苦惱と見たが、更に他の著名な作品によつて鏡花を深讀みすれば、そのロマンと幻想の深淵に格段に多くの人が引き込まれるのではないかと思はれた。美しくこよなく優しい女性への憧憬とお化けを信ずる心向きは超自然と神秘の世界へ讀者を誘ふのである。
廣く讀まれてゐる漱石・藤村・龍之介などと同様に鏡花はもつとよく知られてもよいのではないかといふ思ひを新たにする。今日、若い作家の現代的感覺に學びつつも明治大正の文學を讀み直すおもしろさもまた盡きることはないものと確信する。
☆ 情景は一落の別天地、陰々として深山の気が籠つて來たところ。
生ぬるい風のやうな気勢がすると思ふと、左の肩から片膚を脱いだが、右の手を脱して、前へ廻し、ふくらんだ胸のあたりで着てゐたその単衣(ひとえ)を円(まろ)げて持ち、霞も絡(まと)はぬ姿になつた。
『高野聖』のクライマックスに近い件(くだり)。女の描寫の妙を讀む。☆
2016年05月16日
【☆はがき一枚の國語】 泉鏡花 大喜多俊一
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| 大喜多俊一
2016年03月21日
【☆はがき一枚の國語】 國語教科書第一頁の印象 A中學校 大喜多俊一
舊制中學校の國語教科書は小學校用のサクラに對比してか、富士山が登場する。萬葉集巻三にある、山部宿禰赤人の富士の山を望み、かつ稱へる歌一首ならびに反歌である。
「天地の分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き駿河なる 富士の高嶺を天の原
振りさけ見れば渡る日の 影もかくろひ 照る月の光も見えず 白雲もい行きはばかり
時じくそ 雪は降りける 語り繼ぎ言ひ繼ぎ行かむ 富士の高嶺は」
ここで初めて和歌に長歌なる形式があることを學ぶ。
中學校で習った國語の先生の該博な知識と熱心な研究の姿勢、そして懇切な指導を得て、生徒は萬葉集のみならず、古典への誘ひを受けたことを喜び、これまた後々までのよき話題となつた。櫻の花と富士の山。忘れ得ぬよき思ひ出の一章である。
舊制中學校の國定の國語教科書は「中等國文」といつた。小學校の學習内容に比して古典の文語文や近代の文章が増え、一氣にむづかしくなつてゐる、といふ印象を受ける。夏目漱石や森鷗外の文章も登場したし、ラフカディオ・ハーンなる日本の風情を愛した西洋人がゐたことを初めて知る。
在學の途中、新制度の高等學校の生徒となり、「高等國語」といふ名の教科書で學ぶ。
ホイットマン、洪自誠、ロマン・ローラン、中村眞一郎、小山内薫らの文人や舞台藝術人らから多々教へられた。
「天地の分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き駿河なる 富士の高嶺を天の原
振りさけ見れば渡る日の 影もかくろひ 照る月の光も見えず 白雲もい行きはばかり
時じくそ 雪は降りける 語り繼ぎ言ひ繼ぎ行かむ 富士の高嶺は」
ここで初めて和歌に長歌なる形式があることを學ぶ。
中學校で習った國語の先生の該博な知識と熱心な研究の姿勢、そして懇切な指導を得て、生徒は萬葉集のみならず、古典への誘ひを受けたことを喜び、これまた後々までのよき話題となつた。櫻の花と富士の山。忘れ得ぬよき思ひ出の一章である。
舊制中學校の國定の國語教科書は「中等國文」といつた。小學校の學習内容に比して古典の文語文や近代の文章が増え、一氣にむづかしくなつてゐる、といふ印象を受ける。夏目漱石や森鷗外の文章も登場したし、ラフカディオ・ハーンなる日本の風情を愛した西洋人がゐたことを初めて知る。
在學の途中、新制度の高等學校の生徒となり、「高等國語」といふ名の教科書で學ぶ。
ホイットマン、洪自誠、ロマン・ローラン、中村眞一郎、小山内薫らの文人や舞台藝術人らから多々教へられた。
posted by 國語問題協議會 at 09:47| Comment(0)
| 大喜多俊一
2016年01月27日
【★はがき一枚の國語】 國語教科書第一頁の印象 @小學校 大喜多俊一
サイタ サイタ サクラガ サイタ
の一文は兩開き二頁に滿開のソメイヨシノの繪を背景に書かれてゐた。力タカナ先習
の時代のことであつた。一世代前の教科書は「ハナ ハト マメ」、一世代後は「アカイ アカイ アサヒ」、そのあとは「おはなをかざる みんな いいこ」という言葉から始まつた。
サクラ讀本の特色は、繰り返し表現を十數ページにわつて取り上げて、言葉の學習の方途の一端を示したことである。「コイ コイ シロ コイ」「オヒサマ アカイ アサヒガ アカイ」等。
「サクラ讀本」の世代もすべての人が八十歳を超えてしまつた。教科書が國定であつた時代、昭和八年から十年間用ゐられた「小學國語讀本 巻一」の最初の文言は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であつた。この短い文章が大方すべての児童に覺え込まれ、この鮮やかな印象のゆゑにか、この教科書は後々まで「サクラ讀本」と呼ばれてきた。
文言は單純なやうに見えながら、實はよく考へられた言葉であることは、大人になつてから理解されたことであつた。入學を喜ぶ一年生に與へられた季節の言葉が、生命の囘歸を自覺させるものであることがカギであり、それを簡潔な反復表現で表してあるところに鮮烈な印象を與へるのである。まことの逸文であると言はれよう。開巻第一頁というのは
いつまても印象に殘るものである。
の一文は兩開き二頁に滿開のソメイヨシノの繪を背景に書かれてゐた。力タカナ先習
の時代のことであつた。一世代前の教科書は「ハナ ハト マメ」、一世代後は「アカイ アカイ アサヒ」、そのあとは「おはなをかざる みんな いいこ」という言葉から始まつた。
サクラ讀本の特色は、繰り返し表現を十數ページにわつて取り上げて、言葉の學習の方途の一端を示したことである。「コイ コイ シロ コイ」「オヒサマ アカイ アサヒガ アカイ」等。
「サクラ讀本」の世代もすべての人が八十歳を超えてしまつた。教科書が國定であつた時代、昭和八年から十年間用ゐられた「小學國語讀本 巻一」の最初の文言は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であつた。この短い文章が大方すべての児童に覺え込まれ、この鮮やかな印象のゆゑにか、この教科書は後々まで「サクラ讀本」と呼ばれてきた。
文言は單純なやうに見えながら、實はよく考へられた言葉であることは、大人になつてから理解されたことであつた。入學を喜ぶ一年生に與へられた季節の言葉が、生命の囘歸を自覺させるものであることがカギであり、それを簡潔な反復表現で表してあるところに鮮烈な印象を與へるのである。まことの逸文であると言はれよう。開巻第一頁というのは
いつまても印象に殘るものである。
posted by 國語問題協議會 at 21:16| Comment(0)
| 大喜多俊一