2019年03月08日

數學における言語(43) 魂・無限と肉・有限(U) 河田直樹


 下村寅太郎は「我々は、有限な存在でありながら常に有限性を超えた欲求を持つ。これは人間にとつて根本的な事實である。このことが『心』を持つことに外ならないない」と述べてゐますが、海邊の砂濱で水平線を眺めやるとき、子供はその水平線の彼方を無想し、山國の少年は常に山の彼方の國を想はずにはゐられません。「死すべき有限な存在」だと自覺して私たちの「心」は、自分が生きてゐるこの限られた世界を飛び越えて滿天の星空の彼方にある別世界に憧れます。私は、人間のこの根本的な事實の不思議を思わずにはいられません。西行が「風になびく富士の煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひかな」とうたつたその「わが思ひ」の終の果てを思はずにはゐられません。
 前回私は、「有限と無限の問題は、時と場所とを問はず、どの人間にとつても普遍的なテーマだ」と述べましたが、卑近な言ひ方をすれば人生のすべての問題は「願ひ(魂)」と「現實(肉)」との、その亀裂の問題に収束していくと考へてゐます。このギャップが国家レベルで引き起こされることもあり、それがあの大東亜戦争における我が國の敗北でした。
 特攻作戰も空しく、「なぜ神風が吹かなかつたのか」といふ問ひは、現代日本人からすればほとんど滑稽な茶番でせうが、しかしこの問ひの根底には「すべての手段を奪はれ、すべての肉を削ぎ落とされた無限の魂」の最終、最後の形而上學的な問ひがあります。
 三島由紀夫に『海と夕焼』といふ、軟外風の文體で書かれた短編小説があります。これは少年時代、「聖地エルサレムを奪ひ返すのはお前だ、たくさんの同士を集めてマルセイユへ行けば、地中海の水が二つに分かれてお前たちを聖地に導くだらう」と豫言する基督の幻影を見たアンリの回想譚ですが、三島由紀夫は自作解題で次のやうに述べてゐます。
  『海と夕燒け』は、奇蹟の到來を信じながらそれが來なかつたといふ不思議、いや奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議といふ主題を、凝縮して示さうと思つたものである。(中略)人はもちろんただちに、「何故神風が吹かなかつたか」といふ大東亜戰爭のもつとも怖ろしい詩的絶望を想起するであらう。なぜ神助がなかつたか、といふことは、神を信ずる者にとつて終局的決定的な問ひかけなのである。
 さらに彼は、この短編小説は自分の戰爭體驗のそのままの寓話化ではなく、むしろ戰爭體驗は「奇跡待望が不可避なことと、同時にそれが不可能なこと」の問題性を明らかにしてくれた、といふ意味のことも記してゐます。殉教的特攻隊の現實がなんであれ、そこには上で述べたやうな「魂・無限」と「肉・有限」の普遍的な問題が内包されてゐます。
 高校生の頃、この自作解題を讀んで私がすぐに連想したのは、「双曲線とその漸近線」で、双曲線が漸近線に限りなく接近していくことは“不可避”ですが、しかし到達するのは“不可能”といふ幾何學的構造です。これはまた“非ユークリッド幾何”の構造でもあります。數學少年であつた私にとりその構造は實に不思議で、おまけに高校生の頃この構造をテーマにして「果てしない情欲は/無限に許容され/無限に拒絶されねばならない/漸近線の彌果て彌果てを漂ふ/連續への呪詛のやうに」などと西脇順三郎風の下手糞な詩を書いてゐます。この詩は、詩人山本太郎が選者をしてゐた「螢雪時代」といふヤクザな雜誌に掲載されましたが、ほとんど“觀念語”だけで書かれたその詩を選者は「器だけでは詩は書けない」と評してくれました。私は濕潤過多の日本の詩人の多くを嫌つてゐましたので、「詩は器がすべてではないか」と反感を持つたものです。
ともあれ、「魂・無限」と「肉・有限」の関係には、數學における無限と連続の問題からエロティシズムの問題まで、人間の多種多様な普遍的テーマが潜んでゐます。“エロチィシズム”と言へば唐突に感じられる方もいらつしやると思ひますが、その本質は九鬼周造(1888〜1941)が語つたやうに「異性間の二元的、動的可能性が可能性のままに絶對化されたもの」(『いきの構造』)で、それは「不可避と不可能」が同時に成立する場所ではじめて生まれるのです。  (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 12:13| Comment(0) | 河田直樹

2019年02月08日

數學における言語(41)(42) 河田直樹

射影幾何學と無限遠点(U)(41)
 前回は『ART & GEOMETRY A Study In Space Intuitions』といふ本を取り上げて、古代希臘の“造形藝術とユークリッド幾何の平行線”の關係性について考えてみましたが、希臘文化においては「藝術と哲學」はある意味では「水と油」でした。ブルクハルトも「哲學と藝術のあひだは、それこそ眞の意味で敵對關係にあった」(『文化史』第6章第3節)と述べてゐます。プラトンが彼の理想國家において、藝術を無用なものとして排除したのは有名な話です。また、アリストテレスは「『觀相學』や『詩學』、音樂についての多くの文章を殘したにもかかはらず、造形藝術には全く言及せずに沈黙」してゐます。
 ご承知のやうに、希臘藝術は「現前する可視的な調和と均衡美の體現」を徹底的に志向しますが、その一方で希臘哲學はソクラテスに代表されるやうに「論理的な言論によつて見えざる魂」を探究しました。言ふまでもなく「見えざる魂(=無限定なもの)」など、「完璧な調和と均衡美(=限定されたもの)」の前にあつては、はじめから敗北すべき運命(それを深く自覚するのが魂の倫理といふものである)を負つたものであり、希臘藝術にとつては唾棄すべきものでした。ブルクハルトはソクラテスを「外見と内面との極端に大きなコントラストによつて人目を惹きながら、友人たちの義捐によつて貧しく、かつ、つつましく生活しつつ、朝から晩までありとあらゆる場所で、ありとあらゆる事柄について問答をやつたのである」(『文化史』第8章第4節)と述べてゐますが、「外見と内面とのコントラスト(不調和、不均衡)」こそ、希臘藝術のもつとも忌避する無限定の姿であり、さうであれば、異形の奇人ソクラテスがアテナイ市民から、若者を誑かす者として忌み嫌われたのは當然でした。アリストパネスの『雲』のソクラテスは、その戯画に他なりません。
數學を「哲學」と規定してよいかどうかは疑問ですが、この「水と油」が、“無限”を介して「平行線の公理」に同居してゐた、といふことに、私は非常に興味深いものを感じます。なぜなら、この“水と油”の同居こそが「射影幾何」を生み、「非ユークリッド幾何」を創出せしめたからです。それは、ある意味では、敗北すべき「見えざる魂」のぎりぎりの地点における「完璧な調和と均衡美(筋肉触感)」に對する復讐であつたと見ることもできないわけではありません。『ART & GEOMETRY A Study In Space Intuitions』の第4章から最終章(10章)までは、プロティノス(204〜270)、ボエティウス(480〜524)、クザーヌス(1401〜1464)などにも言及しながら、「反‐筋肉触感」から生まれる透視画法や射影幾何が成立していく“復讐劇”を活寫してゐます。それはちやうど、希臘哲學が東方文化(MohammedanやByzantine)と出會ひ、ヘレニズム文化の洗禮をうけてやがて宗教色の強い中世哲學に至る時期と重なり、vanishing pointがGodに擬せられていく過程とも呼應してゐるやうに感じられます。実際、ソクラテスから始まる「精神の遠近法」の復讐劇は、キリストやプロティノスやアウグスティヌスによつて成功裡のうちに終つたやうにも思はれます。希臘の「觸覺文化」の後繼者であるローマ帝國は、「ミラノの勅令(313年)」によつてキリスト教を公認し、さらに392年にはつひに自國の「國教」としたのでした。
 それからおよそ1500年後、ソクラテスやキリストを敵視してゐた、これまた一人の奇人が「神は死んだ」と叫ぶことになります。新教徒の聖職者の家に生まれ、古代希臘の文獻學者がなぜこのやうに絶叫したのか。彼は『この人を見よ』(阿部六郎譯)で「生命に對して復讐をたくらむ者、それこそ不吉な、根本のところ不治な非人どもだ・・・私はさういふものの反對物であるつもりだ」と書き遺してゐます。「生命に對して復讐をたくらむもの」とは、「有限(肉、形式)」に對して反旗を翻した「無限(=魂、内容)」とみることもできますが、私はむしろそこに近代人の分を辨へぬ「魂(無限)」と「觸覺」との野合を見る思ひがします。魂は、現世ではそれ自體の存在證明は絶對に不可能であり、それは「祈り」といふ「形」をとる他はありません。


魂・無限と肉・有限(T)(42)
 2回に亘つて、「有限」に対して反旗を翻した「無限」という視点から、射影幾何を考へ、さらにこれに託けて「肉」と「魂」の問題にも言及しましたが、これから2回は“幕間”といふことで、この問題についていま少し論じてみたいと思ひます。
 「魂(=無限、内容)」と「肉(=有限、形式)」の問題は、私も若い頃から随分と考へてきたテーマでした。その問題とは、ひと言で言へば「なぜ、魂(心、霊、精神)は魂自身によつて自己證明できないのか、なぜそれは常に現世的な形を通してしか、その存在證明が不可能なのか」といふ問ひです。簡單に言へば、人の誠意(眞心)は、それ自身について百萬言を費やしても、つひには他人(自分にも?)には傳はらないものです。それゆゑ、昔から日本人は我が身の潔白や誠意を證明するために「己が魂を見せる(可視化する)」儀式として、“ハラキリ”といふ行爲を行つてきました。勿論、切腹はそれだけの理由からではありませんが、これに關聯して思ひ出すのが上田秋成の「菊花(きくくは)の約(ちぎり)」です。
 「菊花の約」は有名な話で、この小話について讀者の方に説明するのは釋迦に説法ですが、要するにこれは丈部(はせべ)左門と赤(あか)穴(な)宗右衛門との友情物語で、陰暦9月9日の重陽の節句に再會を約しながら、その約束を守ることが不可能と知つた赤穴が、自刃してその「魂」だけを丈部の所に届けるといふお話です。亡霊となつて、丈部を訪ふ赤穴は「吾は陽(うつ)世(せみ)の人にあらず、きたなき霊(たま)のかりに形を見えつるなり」と語り、さらに次のやうに話します。
   「人一日に千(ち)里をゆくことあたはず。魂(たま)よく一日に千里をもゆく」と。此のことわりを思ひ出て、みずから刃(やいば)に伏(ふし)、今(こよ)夜(ひ)陰風(かぜ)に乗(のり)てはるばる来り菊花の約(ちかひ)に赴(つく)。
 私のやうな數學屋にとつて、「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」といふ理屈は、即ち「有限と無限、肉と魂」の問題であり、「菊花の約」は魂の自己證明、存在證明の逸話にほかなりません。すべての手段を奪はれ、すべての肉を削ぎ落とされた赤剥けした「無限」の魂は、現實に“挫折”し、現世(肉)に“敗北”することによつてのみその「まこと」を證明できるといふわけです。もつとも“挫折”だの“敗北”だのと表現するのは、いささか感傷的かつ浪漫的過ぎる言ひ方だと私は感じてゐますが、一般的な現代人にとつてはやはりそのやうに感じられると言ふほかはないのでせう。
ともあれ、イエス・キリストはその“敗北者”の典型でしたが、「ぼくはひたすら快樂のためにのみ生きてきたものだ」と『獄中記』(福田恒存訳)で語るワイルドは、しかし同じ『獄中記』で「クリストの場所は、まさに詩人とともにあるべきだ」と述べて、次のやうに記してゐます。
  クリストがつねに探し求めてゐるものは人間の魂なのだ。「神の國」と呼んで、かれはそれをすべてのひとのなかに見いだしてゐる。ささやかなるもの、ちいさき種(たね)、ひと握りのパンだね、一粒の眞珠になぞらへてゐる。よかれあしかれ、あらゆる種類の情念、あらゆる後天的な教養、あらゆる外觀的な財産を捨て去つてはじめて、ひとはみずからの魂をそれと實感するからなのだ。
いかにも、藝術にも實生活にもその天才を捧げた耽美派の逆説家、ワイルドらしい言葉ですが、彼が「幸福な王子、ナイチンゲールと薔薇の花、忠實な友達」などのやうなペシミスティックな童話を書き殘したことと思ひあはせると、彼の實人生に對する癒しがたい悲哀が見えてきます。「ぼくは快樂のために生きてきたことを一瞬たりとも後悔しない」と豪語して憚らなかつたワイルドも、彼の内なる「ピレポス」と「ソクラテス」との葛藤に苦しんだに違ひありません。彼の「死刑囚にして死刑執行人」の物語である『ドリアングレイの肖像』や『社会主義のもとにおける人間の魂』といつた作品はその葛藤の軌跡と言ふべきです。ともあれ、ワイルドは「あらゆるものを捨て去る」といふ“敗北”を逆説的に生きた藝術家なのかもしれません。
  (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 19:11| Comment(0) | 河田直樹

2019年01月05日

數學における言語(39)(40)非ユークリッド幾何と日本ブンガク

非ユークリッド幾何と日本ブンガク(U)(39)

 「非ユークリッド」といふ言葉は直接出てきませんが、すでに第8回でも觸れたやうに、この幾何學の議論が登場する横光利一の『旅愁』もある意味では日本ブンガクの例外かもしれません。横光利一は、彼自身の分身ともおぼしき矢代といふ青年にこんなことを言はせてゐます。
  「やはり、地球といふものは球面をしてゐますよ。だから、ギリシャの平面の三角幾何學ばかりぢや、實社會といふ、つまり球面上の三角形を計るには誤りを犯すことも多いのですね。それはさうと、日本の昔からの幾何學は球面の三角形ですよ。リーマンだ。どうしたつて、平面と球面とは違ふなア」
 矢代は、この小説のもう一人の主人公である久慈とは對照的に、ヨーロッパ遊學後日本への思ひ入れがますます強くなつていく人物として描かれてゐますが、矢代の戀人千鶴子の兄である帝大の數學學徒槇三に「日本に昔、幾何學はあつたのですか」と問はせ、矢代に「ありましたとも、日本の古い祠の本體は弊帛ですからね。弊帛といふ一枚の白紙は、幾ら切つていつても無限に切れて下へ下へと降りてゆく幾何學ですよ。同時にまたあれは日本人の平和な祈りですね」と答へさせてゐます。
横光利一が川端康成の盟友で新感覺派の“偉い作家”の一人であるといつたことは、私にはどうでもよいことですが、しかし矢代の「平面と球面の三角形」にせよ、「無限に切れて下へ下へと降りてゆく幾何學」(まるでヘリコイド!)にせよ、二十代の頃この箇所をはじめて讀んで、言葉は惡いのですが私は「コノオッチャン、イッタイナニイッテンノカ」と嫌惡感を抱いたものです。私自身、微分幾何やリーマン幾何を學んでゐた時期と重なつてゐましたから「球面幾何學を實社會にたとへ、擧句にリーマン幾何とは恐れ入るね」と思つたのです。
 上に引用した箇所を讀むと、横光利一といふ人はいつたいどういふ觀點で數學や幾何學を見てゐたのか、と訝ります。かういふ文章を讀まされると、前回の三島由紀夫の「日本語獨特の抽象概念にあたるものは、いつも情緒の霧にまとひつかれ、感情の濕度に濕潤されて」といふことを痛感します。
 「なぜ日本には數理哲學の歴史がなかつたのか」−これについては第9回の「口惜しい思ひ」でも書きましたが、もう50年以上も前の少年時代に抱いたこの疑問に、私はいまだに繰り返し立ち返つてしまひます。
 高群逸枝(1894〜1964)は、アナーキズムの立場から女性解放を主張した、はつきり言へば私にとつては無縁の人ですが、しかし彼女は『女性の歴史』といふ本で、「日本文化は古來女性上位の文化だ」(全くその通りで、だとすればなぜ女性解放などといふお題目を唱へる必要があるのでせうか)と述べ、さらに「日本文化史」を書いたアメリカのある學者の言葉を引用しながら、次のやうに指摘します。すなはち「日本女性は男に從屬的でもなく、壓迫されてもゐず、情緒と本能と空想が働くままに自由に振舞ふことができた。男たちの使ふ漢文は、死んだコトバを使つてゐたのと同じだが、女性たちは子供のときから口にしてゐた生きたコトバで表現することができた。日本女性は自分自身の考へを書くことができたが、日本の男たちはシナ人の見たものを盗用、盗作したにすぎない」と。無縁の人とは言へ高群逸枝に脱帽するほかはありません。
三島由紀夫は『文章読本』で、「日本文學はよかれあしかれ、女性的理念、感情と情念の理念においては世界に冠絶してゐる」と指摘し、文學に登場する日本の男は「戀愛(肉欲)と行動にのみ寄與する存在」として描かれ、「男性の精神的世界は閑却され、この傳統は明治以後の近代文學にまで續いてゐる」と述べてゐます。こんなことを言へば、傲慢の謗りを免れませんが、そもそも日本の男に真の「形而上學的精神」があったかどうかは疑問です。かつて70年代には「戀愛と行動にのみ寄與」する「ヤクザ映画」の主人公が大衆の人氣を博し、一世を風靡しましたが、かういふところにも“日本ブンガク”の伝統がしぶとく生き延びてゐた、と言へるのかもしれません。 

射影幾何學と無限遠点(T)(40)
 「射影幾何學」といふ言葉を聞かれたことがあると思ひますが、これはイタリアの建築家ブルネレスキ(1377〜1446)によつて創始された「遠近法」を母胎として生まれた幾何學と言はれてゐます。言ふまでもなく、「遠近法」は「2本の平行線が無限の彼方で1点に融け合つてゐる」やうに見える、素朴で自然な“視覺”に依據した画法で、アルベルティ(1404〜1472)、フランチェスカ(1416〜1492)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519)、デューラー(1471〜1528)などの画家や建築家たちによつて實践的に研究されたやうです。特にフランチェスカは遠近法を理論的、數學的に探究したやうですが、遠近法の「實技」が確立された16世紀以降は、遠近法の研究は画家たちから顧みられなくなり、その理論的研究は數學者たちの仕事になりました。
 ところで、「2本の平行線が交はつてゐるかのやうに視える無限遠點」を恐れ氣もなく是認する「射影幾何學」は、古代希臘ではついに生まれませんでした。「無限(無限定)を忌避」した希臘文化の當然の結果だと思はれますが、このあたりの事情を考察した120頁足らずの面白い書物があります。William M. Ivins,JRといふ人の『ART & GEOMETRY A Study In Space Intuitions』(DOVER BOOKS)といふ本で、これは1946年に出版され、現在でも注文すれば入手可能です。
 Ivinsはこの本の第3章の最後で、“Greek art and Greek geometry were based on the same tactile-muscular sensuous intuitions”と記してゐます。「希臘藝術も希臘幾何學も、ともに『筋肉觸感』を土臺にして成立してゐる」といふわけです。第38回で紹介した寺坂英孝氏の『非ユークリッソ幾何の世界』でも、『原論』における直線や平面は「ガラスや石の塊を根気よく擦り合わせてできる」もので、それは「手段として手の觸覺を使ふわけだから、かういふやり方で作つた平面や眞つ直ぐな線などを觸覺的平面とか觸覺的直線とか言つたらいいと思ふ」と語られてゐますが、なるほど、ユークリッド幾何の「平行線の公理」が、「視覺的公理」ではなく「觸覺的公理」である、といふのはまことに興味深い指摘です。
ところで、スイスの文化史家J・ブルクハルト(1818〜1897)は、『ギリシア文化史』(新井靖一訳)において、希臘藝術の考察を「彫刻」からはじめてゐますが、「彫刻においては、精神の唯一の、そして自然な表現は肉體である」(第6章)と述べてゐます。そして「美はギリシア人に最高度の影響を及ぼしただけではなく(中略)、美を倫理的な立場からいとも果敢ない財寶と見なすことに汲々としてゐる近世とはまつたく反對であり、何よりもまづ、何のはばかりもなく美を求めて祈ることが許されてゐた」(第9章、ゴシック河田)と指摘してゐます。さらにまたブルクハルトは「ギリシア人を見るとき、そこに世間の耳目を惹いたり、恣意的であつたり、不自然に個性的なものや、天才の突飛な行動といつたやうなものがまつたくないことを確認するのである」(第6章)とも述べてゐます。要するに古代希臘では、近世以降においては“よし”とされてゐる「主觀的なもの、個性的なもの」が出しやばる餘地などなかつた、と述べてゐるのです。奇妙な話ですが、希臘人のこのやうな「近世とはまつたく反對である」價値觀を想ふにつけ、私は下村寅太郎の「無限を有限以上のものと考へるのは近世的な理解の仕方で、希臘人はそれとは反對の考へを抱いてゐた」といふ指摘を思ひ出します。
「精神」とはすなわち「肉體(筋肉)」であり、「美」は「見えざる彼方(彼岸)」にではなく、「いま、ここ(此岸)」に確固とした形で存在してゐる、といふのが希臘人の考へでした。「内面の美」が近世の發明あるいは發見であれば、希臘人にとつては美は手で觸れ得る外面そのものでした。“tactile-muscular”なる幾何學が生まれるゆゑんですが、「ユークリッド幾何における「觸覺的平面や觸覺的直線」の背後に、上で述べた希臘人の藝術觀が潜んでゐたと考へるのも、あながち穿ち過ぎた見方ではないと私は思つてゐます。     (河田直樹・かはたなほき)

posted by 國語問題協議會 at 10:32| Comment(0) | 河田直樹