北イタリア生まれのアンセルムス(1033〜1109)は“スコラ學の父”とも言はれてゐますが、極端な辨證論者たちには“信仰が理性に優先すべき”だと諭󠄀し、“信仰を先行させることを拒󠄁否するのは傲慢、信ずることを理解しようとしないことは怠慢”と說いたと言はれてゐます。とは言へ、彼は“必然的󠄁理由”によつて聖󠄁書の權威によらずに“~の存在證明󠄁”を試みてゐます。その證明󠄁をひと言で述󠄁べるならば、この世界の事象にはすべて多樣な原因があるが、それらのゥ原因は結局唯一の獨立した原因、すなはち“~”に歸着されるほかない、といつたものです。また彼は“無限”といふものにも想ひを馳せ、~を“それより大きいものが考へられないもの(最大者)”と定義し、ここから~“の存在を論理的󠄁にあぶり出さうともしてゐます。
後年“ナントの敕令”で有名になる、そのナントのバレで騎士の家に生まれたアベラール(1079〜1141)は、“エロイーズ”との不幸な戀愛で有名ですが、彼も前󠄁期󠄁のスコラ哲學者として外すことができません。彼は“普遍󠄁は、まづ個々の事物より先に~の內に存在し、その次󠄁に個々の物自身の內にその共通󠄁な本質を規定するものとして存在する”と考へてゐたやうで、アベラールは謂はばプラトン的󠄁な實在論とアリストテレス的󠄁唯名論の折衷論者であつたやうです。このやうな考へ方は、トマス・アクィナスやオッカムの考へ方を先取りしてゐたとも言はれてゐます。
私が彼に興味をもつのは、彼の師であるロスケリヌスや“辨證法の第一人者”と言はれた實念論者ギヨームなどとの激しい確執の末、アベラールがパリで“辨證法(論理學)”をヘへ、論理學の分野でスコラ學に大きく貢獻した點です。彼には、『肯定と否定』(1133)といふ著作が、遺󠄁されてゐますが、彼は“論理”を重視した頑固一徹の男で、自分で納󠄁得しなければ自說を絶對に引つ込󠄁めなかつたと言はれてをり、その結果樣々なエピソードを殘してゐます。たとへば、最後のヘ父と言はれてゐる同時代者のベルナルドゥス(1090〜1153)は、面倒な“理窟”など無用で十字架のキリストへの愛に生きるべきだと考へてゐましたが、~學問題にどこまでも“論證”を持ち出さうとするアベラールは、彼に烈しい嫌󠄁惡感を抱󠄁かせたと言はれてゐます。また、彼には『私の不幸な物語』があり、これは現在も日本語譯で讀めますが、それを讀むと彼の戀愛に對する徹底的󠄁な自虐󠄁的󠄁自己分析に驚きます。かれこれ20年以上前󠄁に出した拙著『数学的思考の本質』(PHP研究所)で、私は次󠄁のやうに書いてゐます。
「罪とは、女に欲情することではなく。その欲情に屈することである」と考えていたアベラールは、エロイーズに「あなたは忘れまいが、私の限りない激情はどんなにしばしば汚辱に我々の身体を委ねたことだろう主の受難の日や盛典の日にさえも私はこの泥濘の中にまみれ、何らの廉恥環も神への尊敬の念も、私はそれらから阻み得なかったのだ」と書かざるをえなかった。
そして私は以下のやうに續けてゐます。「こんな烈しい悔恨の言葉を日本の『自然主義派』の小説家たちの誰が知っていたであろうか。この烈しさは『ユダヤ=キリスト教』の契約言語の彼方にある『神』の存在抜きには考えられないのだ。『肉』は、究極の『神』を求めて身悶え、苦しみ、また時にまた『霊』は『神』そのものを凌辱しようとする倒錯に陥る。それが、霊肉分離の継承と叛逆にほかならない」と。
アベラールの容赦のない“論理的󠄁自己分析”は徹底してをり、かうした拐~は~學論爭のみならず平󠄁行線論爭にも共通󠄁のものであることを、私たちは忘󠄁れるべきではないです。 (河田直樹・かはたなほき)
※本連載の著者である河田直樹先生は令和5(2023)年8月󠄁に逝󠄁去されました。ここに謹んで哀悼の意󠄁を表します。未完で殘念ですが、本連載は今囘をもちまして終󠄁了いたします。