2018年09月06日

數學における言語(31)  古代希臘の無限思想(U)

 前回述べたように、『ピレポス』は謂はば「思慮(知)と快樂のcompetition」といつた趣の對話篇ですが、ソクラテスは、これらはそれ自身單獨では究極の善としての“一等賞”を獲得することができない、と指摘してゐます。實際、第10章の冒頭でソクラテスは「快樂と思慮とについて、兩者のいづれも究極の善ではなくて、別の第三のものがさうなのだ、それは両者よりすぐれてゐて、これらと異なるといふ内容のものだ(第14章でソクラテスは「快樂と思慮の混じり合つた生活が勝利者ときめた」と述べてゐる)」と語つてゐます。したがつて、いまから始められる言論のcompetitionは、“二等賞と三等賞”を決めるためのもので、そのためには「新しい道具立てが入用になる」と述べ、例の「有限と無限」の議論に入つていくのです。
 世界の存在についてソクラテスが第一類から第四類まで部類分けしてゐることはすでに述べましたが、ソクラテスは「快樂と思慮の混じり合つた生活」を、「第三類の一部をなすもの」とし、それは「すべて無限なるものが限度によつて束縛されてゐるときに、そのなかから出てくるもの」と意味深なことを述べてゐます。そして、これを確認した上でピレポスとソクラテスとは、以下のような議論を始めます。ここは、大變面白いので直接引用してみます。
 ソクラテス:快と苦は限度をもつものなのかね。それとも「もつと多く、もつと少なく」を受け入れる性のものなのかね。
 ピレポス:それは「もつと多く」の方を受け入れる部類だね。ソクラテス。さうでなかつたら、快樂は全き善にはならなかつたろうね。つまりそれがもし量においても、またもつと多くなる度においても、ちやうどまさに無限でなかつたとしたらね。
 ソクラテス:しかしまた苦も、ピレポスよ、そうでなかつたら、全き悪にはならなかつただらうね。したがつて、われわれは、無限の〔性をもつ〕種族とは別の何かを調べてみなければならない。それがいかにして快樂に善としての何かを附與してゐるかといふことを。だから、快苦の二つを君は限りないものの類に属するとしなければならない。
 この問答から例の「道具」が、どのように利用されてゐるか、その一端を垣間見ることができますが、譯者の田中美知太郎氏は脚註で「ピレポスは『もつと少なく』の方は無視してしまふわけで、ピレポスの面目がよく出てゐる。次のソクラテスの應答もピレポスの一面的な考へ方の弱点をついてゐる。無限だけでは、善にも悪にもなるから、快の善を主張するのには別の理由をさがさねばならないことになる」とお書きになつてゐます。ピレポスの考へるやうに「快樂」が第一類(「無限性」)に属し、その非限界性の故に「善」であるとすれば、「苦」もまた限度を受け入れないゆえに「善」でなければならず、ピレポスの主張は論理的に破綻してしまふことになります。
 いまの私には、『ピレポス』の「快樂」や「思慮」といふ言葉の定義はいささか曖昧に思はれ、したがつてそのどちらが勝者になるかといつたことには餘り興味はありません。しかし人間の快樂原理を考へる上で、ソクラテスが「有限と無限」といふ視座を用意してゐることに對しては非常な共感を覺え、またこの作品を通してソクラテスやプラトンが「無限」の問題をどう考へてゐたかも知ることができます。
ところで、『ピレポス』といふ作品で私が最後まで氣になるのは第4類の「混合と生成の原因となるもの」で、これについては對話篇の中でほとんど論じられてゐません。私にはよく理解できませんが、これはタレスの友人アナクシマンドロス(前610年頃〜前550年頃)の言ふ「萬物の根源(アルケー)」たる「ト・アペイロン(無限なるもの)」のことなのかとも思はれます。アナクシマンドロスが、所謂“ソクラテス以前の哲学者”であつたことを考へると、これはあながち無謀な推測ではないかと思はれます。          

古代希臘の無限思想(V)(32)
 アナクシマンドロスは所謂「ソクラテス以前」の哲學者ですが、こんにちの私たちは『初期ギリシア哲學者斷片集』(山本光雄譯編)によつて、彼の主張について多少は知ることができます。『斷片集』によれば、アナクシマンドロスの考へた「世界原理」、「無限なるものの属性」、「無限なるものを原理とした理由」、「無數の世界」といつたことへの言及が見られ、彼のいふ「ト・アペイロン(無限なるもの)」が、近代數學の洗禮を受けた意味での“無限”とは決定的に異なることを知ることができます。要するに、それは『ピレポス』でも述べられた「限界がないもの、限定されてゐないもの」であり、「形相(エイドスと言つてもよいが)として限定されてゐないもの」が、「ト・アペイロン」なのです。
 「無限と有限」の問題を何らかの意味で論じてゐる「ソクラテス以前」の哲學者で、アナクシマンドロス以外に私の興味関心を強く喚起する人物に、パルメニデス(前540年頃)、ゼノン(前490年頃〜前430年頃)、アナクサゴラス(前500年頃〜前430年頃)の三人がゐます。
 パルメニデスについては、第26回の連載で取り上げた長谷川三千子氏の『日本語の哲學へ』の第3章「『ある』の難関」でも、およそ30頁に亘つて議論されてゐます。それだけ注目に値する哲學者だといふことですが、かつて私は拙著『古代ギリシアの數理哲學への旅』(現代數學社)の中でパルメニデスについて、「論理の無矛盾性と整合性とが『存在(在る、eon)』を保證してゐるといふ思考法は、人類の歴史の中で宇宙飛行士的な役割を演じる」と書いたことがあります。要するに、パルメニデスは「世界のアルケーを物のレベルから觀念(思惟)のレベルに飛翔させた」古代希臘哲學のepoch-making的な存在だといふわけです。
 プラトンは中期の對話篇『テアイテトス』において、若きソクラテスをして「パルメニデスといふ人は、ホメロスのいわゆる『畏敬すべく、また畏怖すべき人』であり、あらゆる點で高貴な、何か底知れないやうなものを持つてゐるやうに見えたのです」と回想させてゐますし、彼には『パルメニデス』といふ作品もあります。この對話篇には、パルメニデスの弟子のゼノンが登場してきますが、言ふまでもなく「アキレスは亀に追ひつけない」とか「飛んでゐる矢は止まつてゐる」といつた逆理(パラドつクス)で有名な、あのゼノンです。パルメニデスの言説とゼノンの逆理との関係については『パルメニデス』で長々と語られてゐる(ここでは触れません)のですが、それはともかく、ゼノンの逆理には上に述べた二つのほかに「2分割」や「競技場」に関するパラドックスがあります。これら四つのパラドックスは、第13回目の連載ですでに述べた「線分の3等分点」や「2時と2時1分の間の無限個の時刻」にまつはる私自身の幼い議論と同種同類のもので、私にとつてゼノンの逆理は決して他人事(ひとごと)ではありません。少々大袈裟に言へば私自身の“實存”に根差した問題であり、御門違ひと笑はれるかもしれませんが、ハイデガーの“存在と時間”への関心の根底にも、この“ゼノン體験”があります。
 ところで、ゼノンの逆理で私が繰り返し思ひ出す一節があります。數學者吉田洋一氏の名著『零の発見』の中にある以下の文章です。
  アキレス問題がわからないのは、粗雜な日常の言語によつてものを考へるからであつて、本來かういふ量に関する問題は量の言語である數學によつて考へなければならない、すなはち、いまのべた級數による考へ方がこの問題に對するもつとも正しい考へ方であつて、これによれば、この問題など明白のきはみである、と力んでゐる數學者もあるのであるが、不幸にして、私はまだその意味がよく呑み込めるほどの樂天家にはなれないでゐる。
 そして、吉田氏はこの名著を「ゼノンの巻き起こした問題はいまにいたるも謎であつて、デデキントの數學的連續の概念によつてこれを解明しえようとはどうしても思はれない。かういふ問題を考究することは、あるいは哲學の領分であつて、數學本來の職掌外であるのかもしれない」と締めくくつてをられます。                                (河田直樹・かはたなほき)

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2018年08月04日

數學における言語(29)  無限思想への旅立ち

 「人生百年時代」などと言はれる昨今ですが、還暦を過ぎて自分の人生も後半に突入し、大袈裟ではなく「命旦夕に迫る」思ひを深くするやうになつて、結局自分はこの人生で一體何を欲し、何を望んできたのかを考へるやうになりました。勿論、若い頃からそんなことはいろいろと考へてきたことではあるのですが、結局最後に殘された切實な關心事とは何か?おそらく私にとり、それは「無限」の問題に盡きる、と言へるのかもしれません。そして「その餘のことはすべて人生の瑣事」といふのがいまの率直な實感です。そんなことを言へば、世間の多くの人にお叱りを受けるかもしれませんが、自分が「數學」を生業にしてきたことも、「數學」そのものをやりたかつたのではなく、子供のころから不思議だつた「無限」を考へるよすがにしたかつたためでもあります。數學の才能に早くから見切りをつけてゐた私は、ときに數學の授業中に吐き捨てるやうに「數學なんかどうでもいいんだ」と語ることもありました。全く恥知らずの所業です。
 數學者のダビッド・ヒルベルト(1862〜1943)は、「無限!ほかの問題で今まで人間精神をこれほど深く動かしたものはない。ほかの觀念で人間の理知をこれほど刺激して結果を生ぜしめたものはない。しかもほかの觀念で無限の概念ほど多大の純化を要するものはない」と語つてゐますが、正に至言といふ他はありません。
 古來、洋の東西を問はず「無限」は多くの人々を魅了してきましたが、漢詩の世界でも「盡きぬ想ひ」を詠んだものが多く見られます。たとへば唐の詩人張説(ちょうえつ)は彼の友梁六(りょうろく)を思つて「聞道神仙不可接/心随湖水共悠悠(聞くならく神仙接すべからず/心は湖水に隨ひて共に悠々たり)」とうたつてゐます。すなはち、左遷された友を俗世の人間には近づき難い「神仙世界」の住人になぞらへ、「大兄への思ひは、この湖水と同様、限り無く盡きない」と述べてゐるわけです。友や戀人、家族、そしてこの大自然への「無限の思ひ」は、多くの人たちの共感するところですが、しかしヒルベルトの語る「無限」、すなはち愚直な數學者たちの考へるそれは、張説の「限り無い思ひ」とは明らかに異なつてゐます。數學者たちの「無限」は、何よりもまづ「嚴密な論理的規定が求められてゐるもの」であり、それは決して單なる「漠漠とした想ひ」ではありませんでした。それが、ヒルベルトの語る「多大の純化」といふ意味です。
 よく私たちは「それは單なる神學論争にすぎない」といふ言ひ方をしますが、しかし私は數學における「無限」の論理的かつ徹底的な純化のためには、アウグスティヌス(354〜430)、ボエテイフス(489?〜524?)、アヴェロエス(1126〜1198)、トマス・アキナス(1225〜1274)、ニコラス・クザーヌス(1401〜1464)に代表されるやうな古代から中世にかけての「神學論争」がどうしても必要だつたと考へてゐます。現代人にとつては、ほとんど徒勞かつ無意味とも感じられる「『無限の神』の存在證明」への熱情こそ、「純化された無限」を生み出したとも言へます。
 「無限の學」ともいふべき「集合論」の創始者でゲオルグ・カントル(1845〜1918)には『超限集合論』といふ著作があります。その日本語譯の譯者の一人である村田全(たもつ)氏はその解説で、「あへて私見を述べるならば、カントルは現代數學の創始者の一人、あるいは單に純粹な數學者といふよりも、中世末期から近世にかけての數學−哲學の歴史の中にしばしば見られる『形而上學的數學者の最後の一人』とよぶはうがよいように思はれる」と述べられてゐます。カントルは、「自然數全體のつくる無限」と「實數全體のつくる無限」とには、その無限の程度に違ひがある、と常人には思ひも及ばぬことを主張し始めた數學者で、そのために重度の躁鬱病になり、ハレ大學の精神病院への入退院を繰り返したと言はれてゐます。それこそ、カントルの主張は一般人には「~學論爭」とも受け取られかねないものですが、彼の‘~學’がこんにちの現代數學の礎になつてゐることは間違ひないことです。私が、中世の「~學的無限論」を考へてみたいゆゑんです。

(30)古代希臘の無限思想(T)
 プラトン後期の對話篇に『ピレポス−快樂について−』(田中美知太郎譯)といふ作品があります。これは、プラトン67歳前後の頃(紀元前360年頃)に書かれたもので、「思慮(知)と快樂のどちらが、究極の『善』たるものの自足性を有してゐるのか」といふ問答の記述です。すなはち、「快樂最善説」を支持するピレポスとそれを擁護するプロタルコス、それを批判する「思慮」派のソクラテスとの、全部で42章からなる對話なのですが、ここで私が問題にしてみたいのは、この對話篇のさうしたメインテーマではなく、この議論の土台となる前半部分にある「一と多についての方法論的な考察」についてです。議論するにあたつて、まづ「議論の方法」について共通了解に達しておかう、といふわけです。
 「一と多」といふ言葉から容易に連想されるかと思ひますが、これはひと言で言へば「有限性と無限性」の問題です。「快樂」について議論するに先立つてこの二つを取り上げてゐるのはなかなか示唆的で、いささか飛躍しますが、このテーマは18世紀のあの悪名高いマルキ・ド・サド、「ジル・ド・レー」を扱つた『彼方』の著者である19世紀のユイスマンス、そして20世紀の『エロティシズム』の哲学者ジョルジュ・バタイユ(彼には『ジル・ド・レ論』がある)たちの根本テーマに通底してゐると私は密かに思つてゐます。若かりし頃、數学の「無限と連續」の問題を考へてゐたとき、數学屋でありながらこの問題はいはゆる“數學”だけには納まりきれないものを内包してゐると強く感じてゐた私は、バタイユの『エロティシズム』を讀んで、「無限と連續」について我が意を得たり、と“腑に落ちた”記憶があります。これについてはいづれこの連載で議論の俎上にのせてみたいと考へてゐますが、いまは深入りしないことにします。
さて、ソクラテスは第12章で「~は存在の一部を無限として示し、他を限(もしくは限度)として示した」と述べてゐますが、彼は「無限」をどのやうに考へてゐたのでせうか。同じ12章には「終結の生ずるのを許さない」とか「一定量であることを許さない」とか「いつも前進してゐて止まることなく」といつた言葉があり、そして「およそもつと多くもなれば、もつと少なくもなるとわれわれの目に明らかに見えるもの」が無限性であると結論してゐます。
さらに、この世界の存在(在るもの)を4つに部類分けして、第一類が「無限性」、第二類が「限度(有限性)」、第三類が「無限性と有限性の二つから混合され、生成させられた存在」、そして第四類が「この昆合と生成の原因となるもの」としてゐます。
ソクラテスが言ふ第一類の「無限性」とは、「ぺラス(終り、限定、限界)」の否定である「アペイロン」の意味で、これはむしろ「無限」と言ふよりは「無限定」といふ言葉を用ゐいた方が分かり易いかもしれません。“無限”と言へば、高校の數学の授業で“無限數列”とか“無限級數”といつた言葉を習つたことがあるために、私たちはそこから連想される“近代的な極限としての無限概念”を想起しがちですが、翻譯で用ゐられてゐる「無限性」とは「無限定性あるいは非限定性」と理解しておくべきです。とは言へ、ソクラテスは「いつも前進してゐて止まることなく」といふ言ひ方もしてゐて、ここには自然數の「無限進行」のやうな意味合ひも含まれてゐると言へなくもありません。これはアリストテレスの「可能無限、潜在無限」に通じるもので、彼の『自然學』第3巻の第6章には「一般に無限なるものは、その或る一つに繼いで他の一つがと絶えず相繼いでとられてゆく仕方で、ただし、とられてゆくその一つ一つは常に限られてゐるが、しかもその一つは常に他と異なつてゐるといふやうな仕方で、存在する」(出隆・岩崎充胤訳)とあります。
 アリストテレスが、ソクラテス、プラトンの「無限論」を緻密化して“無限”を「可能無限」と「現實無限」に分類したことはよく知られてゐますが、いまはこの問題は後回しにして、次回も『ピレポス』の“無限論”について考へていきます。    (河田直樹・かはたなほき)

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2018年07月05日

數學における言語(27)(28) 日本語と哲學[V][W] 河田直樹

 前回紹介した中村元著『日本人の思惟方法』の第4章は、少年時代から「日本にはなぜ數學や數理哲學(和算は除く)の歴史がないのか」と訝り續けてゐた私には、その一字一句が心に沁みわたつてくるもので、できればその全文を紹介したい衝動にも驅られます。以下、「論理や言葉」に關連する個所を思ひつくままにいくつか紹介してみませう。
・日本語本來の和語は、(中略)感性的あるいは感情的な精神作用を示す語彙には豊富であるが、理知的・推理的な能動的思惟の作用を示す語彙が非常にとぼしい。和語の単語は多く具象的・直觀的であるのが常であつて、抽象名詞の形成が十分でない。抽象的概念を和語をもつてすべて表現することは、きはめて困難である。
・西洋の哲學思想がさかんに行はれるやうになつた今日においても、使用される語彙は、多くは漢語二字ずつを適当に構成して、西洋の伝統的概念にあてはめたものである。(略)純粹の和語はついに哲學的概念を表示するものとはなりえなかつた。
・そうじて論理的自覺なるものは、特殊者と普遍者との自覺にはじまるのであるが、日本人は一般にこの關係を十分に意識してゐなかつた。ひとつの概念を個別的な事例から切り離して理解するといふことに拙劣であつた。(なお、‘證明’とは普遍命題から特殊命題の導出にほかならない)。
・日本の因明(佛教の論理學)は、數學や自然科學とはまつたく無關係であつた。和算にさへも影響の跡を見せてゐない。日本人のあひだでは、單に論理的思索が不徹底であつたばかりではなく、精密論理の意義が正しく理解されてゐなかつた。
・日本人が論理學に適しないといふことはほとんど宿命的なやうである。
 この他にも、中村元の批判は、道元、徂徠、篤胤などにも及び、さらに『シナ人の思惟方法』では、「シナ民族の非論理的傾向は、シナ的佛教である禪宗の場合には、とくに顯著である」といふ言説もみられます。日本文化が、古來シナ文化に大きな影響を受けてきたことを思へば、「日本人が論理學に適しないのは宿命である」といふ中村元の指摘には、もはや言葉もありません。私たちは「日本語の哲學」を考へる前に、「日本文化の宿命」に思ひを致すべきかもしれません。
 そもそも「哲學」といふものがどういふものであるかは、いまは措くとして、しかし私が接してきた哲學書には「漢語二字ずつを適當に構成」してつくつた「悟性、思惟、觀念、表象」といつた言葉(粗製亂造された言葉といつてもよいが)が多く登場し、それはそれで無意味ではありませんが、その定義の曖昧さと不正確さとには閉口したものです。
前回、「理」という言葉に少し触れましたが、「理とはすなわちratio」という文化傳統を缺いてゐる私たちは、「理性、理知、合理、哲理」といつた言葉に含まれた「理」に一體どんな意味をみるのでせうか。「知(理)に働けば角が立つ」程度のナイーブな情緒的認識からは、「絶對的な眞を求めるための徹底的な論證文化」は生まれようがありません。「1+1=2」は「眞」であり、それ以外のなにものでもないのです。
 「日本語」と「哲學を含む西洋文化」との關係については、これまで多くの識者たちが發言してゐますが、西田幾多郎の畏友であつたあの鈴木大拙(1870〜1966)も『日本的靈性』の緒言で次のやうに述べてゐます。すなはち「日本では元來の大和言葉のうへに漢文字があり、そのうへに歐米からはいつて來た言葉に、多くの場合、漢文的譯字を付したので、今日の日本語なるものは複雜怪奇を極めてゐると言つてよい。(略)明治の初頭から、歐米の文化が狂亂怒濤のやうに押しかけて來たので、何でもかんでも文字を組み合はせて、それらを自分の頭にしまひ込に、維(こ)れ日も足らずといふ次第であつた。これは今日まで盛んに行はれてゐる實況である」。論旨は中村元の批判とほぼ同じで、いまの日本を生きてゐる私には耳の痛くなる指摘です。しかし、實は私はそんなに悲觀してはゐません。           

日本語と哲學[W](28)
 ここまで數回に亘つて、「日本語と哲學」の問題を考へてきましたが、要するに私の長年の不滿は「日本語で書かれた哲學書の言葉が難解で意味不明確」といふ點でした。しかしそれも西洋由來の哲學的概念を漢語(これもまた外國語)の適當な組合せによつて受容せざるを得なかつたことを考へると致し方のないことかもしれなくて、むしろ日本人のその涙ぐましい努力と知恵とを壽ぐべきかもしれません。これまでの生硬な哲學用語も、時間とともに私たちの言語空間の中で變容し、成熟し、そして定着していくのではないかとも思はれます。
たとへば、こんにちごく當たり前に使つてゐる「自然」といふ言葉もさうで、かつてはこの言葉は科學的認識の對象ではありませんでした。日本思想史家の源了圓は「日本人の自然觀」といふ論文で、次のやうに述べてゐます。―「われわれの直面する第一の問題は『自然』といふ言葉が二重の意味で飜譯語であるといふことである。中國の『自然』に當たることばは古代のやまとことばには存しなかつたし、西歐のnaturaやnatureといふことばに、16〜17世紀(天主教)、ならびに18〜19世紀(蘭學ないし洋學)に觸れた時もそれに相當することばをもたなかつた。(略)第二は、「自然」といふ概念が複雜で多岐にわたるのに、過去の日本人は、自然といふことを古代ギリシャ以來の西歐人たちや、中國人の思想家たちがなしたやうに、古代から自覺的に哲學的問題として思惟の對象とすることがなかつたことである」。
 源了圓の指摘は尤もですが、明治以後の150年で日本人の「自然」に對する對し方の決定的變化は、「自然科學」といふ言葉があるやうに、それが「學問的認識の對象」になつたことで、しかもその根源的原動力が「數學」だといふことです。いふまでもなく、體系化され組織化された數學による認識方法は、古代希臘以来の西歐の傳統で、殘念ながら我が日本文化の傳統ではありませんでした。ガリレオ・ガリレイは「宇宙は數學言語で書かれた書物である」と述べましたが、和辻哲郎が『風土』で指摘したやうに、「ヨーロッパ人は夙に、自然の中に合理(=數理)を見てゐた」のです。和辻は書いてゐます。

  わが國においては人工的と合理的とが結びつきヨーロッパにおいて
は自然的と合理的とが結びつくといふことも言ひ得られる。

 この指摘はさすがで、「自然の中に合理(=數理=ratio)が在る」といふ「信仰」こそ、「自然科學、あるいはmathesis univeralis(普遍學)」を生む濫觴だつたと言へます。日本人の場合、汎神論的な自然崇拝といふ形をとつた「信仰」はありますが、その信仰の意味は全く異なつてゐて、むしろ私たちは「自然=非合理(非數理的)、人工=合理」といふ認識をいまだに共有してゐます。ちなみに、スピノザの汎神論哲學と私たち東洋人の多神教的汎神論の類似性がときどき指摘されたりしますが、私は全く別物だと考へてゐます。あのスピノザの『エチカ』のユークリッド幾何的論證の眞髄は、「1+1⇒(ならば)2」といふ、その「ならば(⇒)」の絶體的正しさに對する極めて平明素直な信仰に基づいてゐて、さうであればこそ、スピノザはニーチェに先立つて「善悪の彼岸」を透徹した眼差しで見ることができたのではないのでせうか。
 ともあれ、日本語の哲學用語は難解でいささか虚假威し的側面がないわけではありませんが、日本人の美感と智慧とは、50年後、100年後には西洋傳來の哲學を見事に自家薬籠中の物にするのでは、と私は樂天的に信じてゐます。田中美知太郎氏の著作を讀み始めたのは30代の初めでしたが、氏の文章に心酔し、これこそが「日本語の哲學だ」と思つた記憶があります。氏が1985年に死去されたとき「當代随一の文章家」といふオマージュを捧げたのは山本夏彦氏であつたと記憶してゐますが、私たちはすでに立派な哲學の文章を有してゐて、「日本語は生きのびるか」と心配する必要などないのです。    (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 11:41| Comment(0) | 河田直樹