2017年03月12日

數學における言葉(その10) 西洋への憬れと誤解

數學における言葉(その10) 西洋への憬れと誤解

 福沢諭吉は『文明論之概略』で、「苟も一國文明の進歩を謀るものは、歐羅巴(ヨーロッパ)の文明を目的として議論の本位を定め、この本位に據りて事物の利害得失を談ぜざる可からず」と警鐘を鳴らしてゐますが、日本は明治以來「脱亞入歐」を國是とし、「西洋に追ひつけ、追ひ越せ」と、歐羅巴の「文物や科學技術」を取り入れるのに急であつたことは、今さら確認するまでもないことでせう。
 さうした時代の流れを反映して、明治、大正期の多くの知識人たちが、歐羅巴に憧れ、また實際に洋行してかの地の現實に直接触れてきたこともよく知られてゐます。若き日にボードレール、ワイルド、ポオなどから影響を受けた谷崎潤一郎、亞米利加、佛蘭西に遊び『あめりか物語』『ふらんす物語』を殘した永井荷風、山本夏彦の『無想庵物語』(この小説には抽象代數學者園正造も登場する)の主人公武林盤雄などもその代表選手です。また「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」という佛蘭西へのあられもない憧憬を詠つた萩原朔太郎もさうした一人でした。かうした人たちは、おそらく當時の平均的な庶民の羨望の的であり、それはそのまま庶民たちの「便利で豊かな西洋文明」への憧れに繋がつてゐたに違ひありません。
 しかし、ここで少し考へてみたいことは、多くの洋行者たちが歐米から何を得、何を持ちかへつてきたのか、といふ問題です。少々荒つぽいことを言へば、それは幕末以來、その表面的な華やかさで日本人を幻惑し續けた「洋才」だけだつたのではないか、すなはち「すぐに役に立つ(今もこの言葉は本のタイトルなどで亂用されてゐる)」功利的實利的學問のみではなかつたのか、といふことです。もちろんそれが一概に惡いことだとは私も思つてゐませんし、さうしなければ、日本は歐米列強の餌食にされてゐたことでせう。
しかし、私は、多くの知識人たちは歐羅巴文明あるいは文化の根底に潜む精神や魂の「役に立たない」淵源について長い間語つてこなかつたやうな氣がしてゐます。イタリアのイエズス会の宣教師マテオ=リッチのユークリッドの「幾何学原論」の飜譯は、享保年間にはすでに我が國に入つていましたが、和算家たちはユークリッド流の嚴密な論理による証明法にはほとんど關心を示してゐませんし、また志筑忠雄の『歴象新書』でニュートン力學の形で紹介された西洋數學にも、注意を拂つてゐません。おそらく「すぐに役立つ」と考へなかつたからでせうが、歐羅巴の知識人たち(サッケリーもその一人)が、原論の第5公理(平行線の公理)を、2000年以上に亘つて考へ續け、つひに「非ユークリッド幾何學」を創出するに至るなど夢想だにしなかつたでせう。「役に立たない」問題を千年、二千年に亘って考へ續ける、ここに歐羅巴文化の淵源と精髄、そして魂があることを、私たちは忘れてはなりますまい。
「欧米に追ひつけ、追ひ越せ」といふスローガンは、私が子供の頃の昭和30年代においてもよく言はれてゐたことですが、その一方で佐久間象山以來の「和魂洋才」といふ言葉もしばしば耳にしたものです。「魂は東洋、技術は西洋」といふわけです。しかし、なぜこんなことを言ふ必要があつたのでせうか?もちろん「和魂」には和魂の素晴らしさがありますが、歐羅巴の魂が多少でも理解されてゐれば、こんな夜郎自大的な言擧げはしなかつたはずです
 アメリカ、フランスに遊んだ荷風は結局江戸趣味に引きこもり、ポオに親しんだ大谷崎も日本の古典美に囘歸するほかはありませんでした。谷崎はポオとは異なり「無限はある観念ではなく、ある観念への努力を表現するものである。(中略)。人はこの努力に名を與へることを必要としたので、『無限』といふ言葉が生まれた」(『ユリイカ』谷崎精二譯)といつたやうな「形而上的、抽象的、普遍的」な言葉は決して書き殘さなかつたのです。ちなみに、私は、西洋文化の普遍的精神のその淵源を眞に了解してゐた我が國の例外的知識人は、福田恆存ただ一人ではなかつたか、といふ氣がしてゐます。     (河田直樹・かはたなほき)
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2017年02月10日

數學における言葉(その9)口惜しい思い 河田直樹


 『ピタゴラスから電子計算機まで』という本を讀み耽つてゐた少年時代、何故日本の文字は數學で用いられないのだら、と訝つ記憶がある。成長するにつれて、それは結局ギリシア數學を起源とする西洋のやうな數理哲學の歴史がなかつたからだ、と朧に理解されてきたが、何とも口惜しい思ひを味はつた。この時以來私の中で日本語に對するある蟠りが生まれ、それは純粹數學を専攻するやうになつた今でも續いてゐる。

上の文章は、外山滋比古氏が主幹をしていた「ことば」という月刊誌に佳作として掲載された、「日本語と數學」といふ私の小論文の冒頭部分です。今から40年以上も前のものですが、いまもこの思ひに少しも變りはありません。いや、それどころか、この場でこのやうなことを述べてよいかどうか躊躇ひがあるのですが、殘念なことにこの口惜しい思ひは、日本の文學、ひいては日本文化そのものに對してさへも向けられるようになりました。
 私の讀書など偏頗でその量など高が知れてゐますが、それでも若さゆゑ虚榮心から一應、明治、大正、昭和の代表的「文學作品」に觸れ、また和歌や漢詩にもそれなりに接してきましたが、正直に言へばごく一部の例外を除いて心底面白いと感じたことはありません。
元來、私は「文學」といふものに不向きで、味盲だと感じてゐますが、「文學とか云ふものは真平御免だ」と啖呵を切つているあの物理學校出の數學教師「坊つちゃん」を讀んでも、さほど面白いとは思ひませんでした。『坊つちゃん』と言へば、いまでも小中學生の讀書感想文の推薦圖書なのでせうが、そこに描かれてゐる‘面白可笑しい’とされてゐる人間模様にはほとんど興味が湧きませんでした。
漱石は英國留學中に英文學ではなく、自然科學方面に多大の興味と關心とを抱くやうになりますが、少年の私が期待していたやうな「そもそも數學の論證精神とは」といつた野暮なことは、數學教師坊ちゃんに語らせようとは一切してゐません。數學少年の私が失望するゆゑんです。
そんな私が心から面白いと思ひ共感を抱いた初めての「文學作品(?)」は、高校3年の1學期の終業式の日に出會つた稲垣足穂の『少年愛の美學』でした。その後、私はタルホの作品を次々と渉獵することになるのですが、1969年『the high school life』に掲載された次の言葉は、私にとつて正に干天の慈雨でした。

 シナ人も僕は好みません。彼らが肉体派で、しかもそれ以外の何物でもないやうな存在だからです。唐詩選など僕には感覺的陶醉と二日醉的たは言だとしか思へません。シナの文章はレトリつクを出でず、老子だつて中身は處世訓であり政治家で、純粹な形而上學なんて夢にも思へません。千夜一夜の英譯者のバートン卿は、シナ人の古來最も淫靡な民族であることを注意してゐますが、たとへば赤眉の賊が歴代の墓陵をあばいて、水銀處理でコチコチになつた皇后様の遺體を引きずり出し、片つぱしから凌辱したといふことにしても、僕はそんなことをもつてエロティシズムと見ることはできません。なぜなら凡そ時空の無限に心をいたす程の者にあつては、エロスの倫理が準備されてゐなければならないのに、彼らにはそんな抽象性が微塵もないからです。

淺學非才の私如きがこんなことを言へば、多くの讀者からお叱りを受けるやもしれませんが、漢詩や日本の詩歌のほとんどは「二日醉的たは言あるいは嘆き節」に近く、また「孔子、老子、荀子、韓非」なども單なる「弟子へのお説教」だとは、私が高校時代の漢文の時間にいつも感じてゐたことでした。そのお説教と、第3回目で紹介した「彼らは、知識を純粋かつ不動なものとして弟子に押しつけず」という態度とは何といふ違いでせうか。シナ文化に多大の影響を受けた日本で、「論證としての數學」が生まれなかつたのは、當然なのかもしれません。
                   (河田直樹・かわたなおき)
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2017年01月18日

數學における言葉(その八) タルホ的ブンガクの欠如

 数学者たちの執拗な「証明」への根源的衝動に関連して、前回はタルホの『弥勒』の言葉を紹介しましたが、タルホはまた『白昼見』といふ小説でも、「お終いの雰囲気」を玩具にして「サつケリーの仮設だのルジャンドルの定理だの、くその役にもたたぬ道楽にその日その日を送つてきた」と告白してゐます。
「白昼見(Tagesansicht)」とは、精神物理学者フェヒナー(1801〜887)が初めて用ゐた言葉で、これは色も香もない、自然科学的、機械論的な夜の見方(Nachtansicht)と対立するもので、要するにありのままが真であるとする昼の見方を言つてゐます。また、「サつケリー(1667〜1733)」は、イタリアのエスイつタ派の僧侶にして、パビア大学の数学教授で、非ユークリつド幾何学の画期的な先駆者、「ルジャンドル(1752〜1833)」も、整数論、物理数学などで大きな足跡を残したフランスの数学者です。
タルホの小説には、しばしば数学者や物理学者(リーマン、ロバチェフスキー、アインシュタイン、ミンコフスキー等)が登場してきますが、これはタルホの本質的玩具である「最終気分」と緊密に繋がつてゐる、と私は見てゐます。なぜなら、数学における「定理」とは、常にすべてを尽くし、すべてを見通さうとする命題であり、いつも「最終(無限、超越、普遍)」を志向してゐる言説だからです。
 すでに述べたことですが、数学における命題は、「点Pがどのやうな位置にあつても」とか「どのやうな偶数に対しても」とか、あるいは「リーマンのゼータ関数の零点はすべて」とか、そんな形で述べられます。 
ところで、日本文学には「タルホ的ブンガク」がそもそも存在するのでせうか?たとへば、横光利一の『旅愁』には、帝大で数学を学んでゐる槇三が「日本に昔、幾何学はあつたのですか」と、彼の姉千鶴子の恋人矢代に尋ねる場面が出てきます。矢代の答は「ありましたとも、日本の古い祠の本体は幣帛ですからね。弊帛といふ一枚の白紙は、幾ら切つていつても無限に切れて下へ下へと降りていく幾何学ですよ。同時にあれは日本人の平和な祈りですね」などと答へさせてゐます。
 私には「下へ下へと無限に降りていく弊帛」が、どうして「幾何学」なのかよく理解できませんが、利一は‘三角関数と双曲線関数’で与へられる「ヘリコイド」のやうな螺線曲面をイメージしてゐたのでせうか? 矢代の答に比べれば、以下のやうな記述の方が、「幾何学」の何たるかを、よほど明確に語つてゐるやうに思はれます。

 古代エジプト人やバビロニア人、インド人は、このやうな、図形や数の間の面白い関係をたくさん見つけてゐました。そこには、まだ確かな証拠はなかつたけれども、それで別に困ることはなかつた。これらの国の数学者たちは、自分の長い経験から「これは確かだ」と確信が持てればよかつたのだ。ところが、間もなくして、エジプト人やバビロニア人たちから、こういふ面白い数学の知識を教はつた人々の中に、とても面倒なことを言う人たちが現はれてきた。「そんないい加減なことでは駄目だ!」といふのだ。それはギリシアの数学者たちで、その代表がターレスとピタゴラスであつた。

 これは、私が小学生の頃愛読してゐた『ピタゴラスから電子計算機まで』といふ本の第4章「すべての人が納得する真理<幾何学>」からの抜粋ですが、「幾何学」の何であるかを易しく語つて余りあります。矢代は「日本には幾何学はなかつた」と答へるべきであつたし、横光利一は「和算と古代希臘の論証精神(経験から言語への離陸)の違ひ」を、小説のなかで徹底的に探究してみるべきでした。
日本には何故「タルホ的ブンガク」が、なかつたのか?実は、これは今も私にとつて大きな問題なのです。
                   (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 16:59| Comment(0) | 河田直樹