2021年07月10日

數學における言語(69) 中世~學論爭と數學への序曲−宗ヘは必要󠄁か(V)

 ところで、ラッセルは「~」は「古代東洋の專制主󠄁義から出た槪念」と述󠄁べてゐますが、あらためて「~」とは何か、と問ふと、これがまたまことに厄介な問題になります。山本七平󠄁の『日本ヘ徒』(文藝春秋)の解說の中で渡邊昇一氏は、マカオに漂着した日本の漁師たちが、ドイツ人宣ヘ師からヘはつた「初めに言葉(ロゴス)あり」を「ハジマリニ カシコキモノゴザル」と譯し、また「ゴッド」を「極樂」と理解してゐた、といふエピソードを紹介されてゐます。「ロゴス」はすなはち「カシコキモノ」、また「ゴッド」は當時の日本人の最高の限界槪念を表す「極樂」に言ひかへられたといふわけです。そして「明治のキリストヘ徒が、ゴッドを~(カミ)と譯したことは、日本の~々にとつては迷󠄁惑千萬なことである」とも渡邊氏は述󠄁べられてゐます。
 確かに、日本(~道󠄁)の~と基督ヘのゴッドとは異なるといふべきですから、かうした譯語は“迷󠄁惑千萬”だつたかもしれません。しかし私自身は、“God”に“~(カミ)(あるいは(カミ))”といふ譯語を當てた事をさほど無謀だつたとは考へてゐません。といふのも、私は佛ヘ徒でも基督ヘ徒でもなく、單に浮󠄁薄な祖先崇拜しかない人間で、しかしそれにも關はらず、子供の頃聞かされたやうに“~”は“お天道󠄁樣”あるいは“自分を越えた畏怖すべき何か”といつたことだけは感じてゐたからです。そして、もし私が“私流”の“~”の存在を切實に感じたことがあるとすれば、目の前󠄁の自然を見てこれらは“だれか”が造󠄁つたのだと思つたときで、その“だれか”こそ“カミ”といふことになります。以下は、20年以上前󠄁の拙著『世界を解く数学』(河出書房新社)からの引用です。
 子供にとって「自然」は「珍しい者」の博覧会場である。彼等はそこに賑やかに陳列された「不思議なオブジェ」を見て、見知らぬ土地の土産物屋で買い物をするようなワクワクした気持ちを覚える。アオスジアゲハやウスバカゲロウチョウの羽の模様、巻貝、ヒトデ、ひまわり、奇妙に枝分かれした樹木、茸の傘の襞、アスパラガスの葉っぱ、規則正しく配列したシダ類の葉、鯉や松傘の鱗、蜂の巣、ルーペではじめた見た雪の結晶、六角柱の水晶、それに駄菓子屋で買ったあの甘い懐かしい金平糖…こうした「モノ」たちは子供の心に不思議なドラマを引き起こす。これらの「モノ」たちの持つ規則性、反復性は誰かが作り出したように感じられ、そこには何か無限世界が内包されているように思われるからだ。

 私にとつては正に、その“誰か”こそが“カミ”なのです。その意󠄁味では、「私流の~とはこの宇宙の森羅萬象の創造󠄁主󠄁」と言ひ得るかもしれません。これは『古事記』などに登場する人格~よりも、基督ヘ的󠄁な意󠄁味での~槪念に近󠄁いと言ふべきで、やや氣取つた言ひ方をすれば、私の宗ヘ心は例の“子供部屋”での「客體と主󠄁體の相互交流」から自然發生したものと言へます。それは決して“宗ヘヘ育”の結果ではありません。
 ここで、もう一つ考へておきたい問題があります。それは“自然(nature)と人工(techne)”の問題です。これについて論ずるには、 “自然”といふ言葉の、日本人にとつての意󠄁味內容の時代的󠄁變化󠄁を考慮する必要󠄁があります、しかし、ここではこの問題には深入りせず、ごく一般的󠄁な今日的󠄁了解で良しとしておきます。この意󠄁味內容の時代的󠄁變化󠄁について興味のある方は、拙著『数学的思考の本質』(PHP研究所)の57頁から62頁を參照して戴ければ幸甚です。
 ともあれ、私がここで述󠄁べておきたかつたことは、私の“子供部屋”では、自然と人工の境界が曖昧だつた、といふことです。4つ年長の偏󠄁屈な昆蟲少年だつた從兄の影響で、小學低學年の私も昆蟲採󠄁集に熱中してゐましたが、月竝みな昆蟲標本に飽󠄁きて、“蛾”を採󠄁集するやうになつて、“オホミヅアヲ、エゾヨツメ、”などの翅の彩󠄁色模樣を見ながら、それらを極上の“作りもの”と感じ、一體こんなものを誰が造󠄁つたのかと強く感じたのです。少年の私にとつて、自然界に棲息する“蛾”は、紛れもなく完璧な“人工物”だつたのです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 10:05| Comment(0) | 河田直樹

2021年06月11日

數學における言語(68) 中世~學論爭と數學への序曲−宗ヘは必要󠄁か(U)

 ラッセルは@の證明法について「もしあらゆるものが原因を持たなければならないとするならば、そのときは、~にも原因がなければなりません」と述󠄁べ、さらに「世界には初めがあつたのだと想像する理由はないし、そして初めがなければならないといふ考へは我々の想像力の貧困によるもの」と斷定して、その證明法を棄却してゐます。
 A〜Dの證明法についてもラッセルは、それを誤󠄁謬だとして棄ててゐるのですが、その要󠄁點を少し脚色して簡單にまとめると、以下のやうになります。
A:自然法則が~の存在の證しだとすると、~自身も法則に從はなければならないので、この證明は矛盾で誤󠄁りである。
B:この世は~の意󠄁向によつて創出された最善の世界で、それが~の存在の證しだとしても、現實を觀察すると承服󠄁し難い。
C:善惡が~の存在の證しだとしても、善惡自體は~の命令とは別問題であると考へられるので、この證明は誤󠄁りである。
D:~の存在はこの世に社會的󠄁正義を齎すために必要󠄁といふ主󠄁張はこの世の不公平󠄁を考へると滑稽であり、認󠄁め難い。

 これはラッセルの講󠄁演「なぜ私はキリストヘ徒ではないか」で語られた內容で、1927年にロンドンのワッツ出版社より刋行されました。ラッセルはこの講󠄁演の最後に「キリストヘの宗ヘ、ヘ會、あらゆる古いヘへに反對して、(近󠄁代になつて)のし上がつてきた科學の助けによつて、それらの事(古いヘへ)を少しは支配し始めることができるやうになつた」と語り、さらに次󠄁のやうなことも述󠄁べてゐます。
~といふ槪念のすべては、古代東洋の專制主󠄁義から出た槪念です。それはまつたく自由人には相應しくない槪念です。ヘ會で人々が自ら謙󠄁り、自分たちは慘めな罪人であるとか、さういつたやうなことを言ふのを聞くとき、それは輕蔑すべきもので、自尊󠄁心ある人間には値しないやうに見えます。

 いかにも“自由人”に相應しい、ラッセルのアッケラカンとした物言ひですが、要󠄁するにラッセルは、宗ヘ自體の內包󠄁する“迷󠄁妄󠄁”をC掃󠄁否定して“科學的󠄁な自由な知性”を案內役として人生を步むべきだ、と講󠄁演を締めくくつてゐるのです。いまの私なら、「ラッセル先生、大丈夫ですか?」と皮肉の一つも言つてやれるが、これを讀んだ當時の私は實はかなり困惑してゐました。といふのも、若い頃“基督幼稚園”に勤務してゐた母の影響もあつて、私は「宗ヘは必要󠄁」とぼんやり感じてゐて、さらに當時ラッセルの『數理哲學序說』に心醉してゐたからです。
 恥を承知で言ふと、この本の餘白に少年は「今のぼくは錯乱している。1969・8・25」と記してゐます。私は、翌󠄁月、原子力科學者ダグラス・クラーク著『再び宗ヘは必要󠄁か』(荒󠄁地出版社、相川高秋譯)を讀んで、少しはその“錯亂”を鎭めることができましたが、その後長い間、ラッセルといふ“知識人”に蟠りと不信感を抱󠄁いてゐました。このラッセルに對する懷疑を完全󠄁に拂拭できたと感じたのは、sc恆存の「自由と平󠄁和−ラッセル批判󠄁」といふ昭和37年に發表された論文(『sc恆存全󠄁集第五卷』)を讀んだときです。恆存は次󠄁のやうに述󠄁べてゐます。
ラッセルの哲學は論理學に還󠄁元され、彼の論理學は數學的󠄁論理學に還󠄁元され、さらに、それは物理學的󠄁論理學に、といふよりは物理學そのものに還󠄁元されてしまふ。それは論理的󠄁・物理的󠄁にのみ完結しようとして、その完結を脅す行動の世界にみづから近󠄁附かうともしなければ、それを寄せ附けようともしない。

 まつたくその通󠄁りで、ラッセルは社會的󠄁、政治的󠄁問題をすべて數學的󠄁論理に還󠄁元しようとして、そこに還󠄁元できない“人間の問題”は打ち捨󠄁ててしまつてゐます。そして、ラッセルの轉落は「自由そのものを外在化󠄁し、生そのものを目的󠄁化󠄁して、價値そのものを否定した」ところに始まつてゐました。「價値そのものの否定」は言ふまでもなく、彼の「宗ヘの否定」のシノニムでもありました。   (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 13:30| Comment(0) | 河田直樹

2021年05月04日

數學における言語(67) 中世~學論爭と數學への序曲−宗ヘは必要󠄁か(T)

 いはゆる“中世”とは、古代と近󠄁世とを結ぶ「中間の時」といつたほどの意󠄁味で、中世史家のジャック・ル=ゴフ(Jacqes Le Goff,1924〜)の『中世とは何か』(藤󠄁原書店)には、「1950年代の西洋の傳統的󠄁な時代區分法によれば,476年に始まり,1492年に終󠄁はる」といふ記述󠄁が見られます。476年は西ローマ帝󠄁國末期󠄁のゲルマン人傭兵隊󠄁長のオドアケル(430年頃〜493)が最後のローマ皇帝󠄁を退󠄁位させた年(西ローマ帝󠄁國滅亡󠄁)で、一方1492年とは言ふまでもなくコロンブスがアメリカ大陸を發見した年です。人間の歷史を「古代、中世、近󠄁世、近󠄁代(あるいは現代)」の4つに區分してみせたのは、ハレ大學の歷史學者C・ケラリウス(Christophus Cellarius、1630〜1707)をもつて嚆矢とする、と言はれてゐて、私も中學、高校でかうした歷史區分に從つて世界史のみならず日本史の授󠄁業もヘはりました。しかし、私自身は歷史家ではなく、實はかうした時代區分にはほとんど興味がありません。私のやうな歷史の素人にとつては、“中世”とは西曆500年から1500年までのおよそ1000年の時間、といつた程󠄁度の認󠄁識で十分です。では、なぜ中世なのか?
 私の幼稚な歷史的󠄁風景では、“中世”とは
人間が~の存在證明に眞つ正直に沒入した時代

であり、數學においては、それは
平󠄁行線の第五公理の證明に執拗に挑戰した時代

だと感じられるからです。そして「~の存在證明」と「平󠄁行線の公理の證明」に立ち向かふ人間拐~や知性の根源にあるものが、同質のもの、かう言つてよければ相似形の協奏曲に思はれるからです。これから、私が「中世~學論爭と數學」について考へていくゆゑんです。
 私にとつて、中世は「すでに過󠄁ぎ去つた遠󠄁い時代の風景」ではありません。むしろ中世は、現在進󠄁行形の生々しい時間であり、いまも私自身がそこで息衝いてゐる瑞々しい場所󠄁だと感じられます。滑稽かもしれませんが、したがつて私は若い頃から「時代遲れ」とか「もはや古い」といつた言葉の意󠄁味がよく理解できないできました。G・K・チェスタトン(1874〜1936)は『正統とは何か』で、「私は自分の哲學を子供部屋で學んだ」(4章おとぎの國の倫理學)と述󠄁べてゐますが、私自身も「~學や數學の問題」は、すべて“子供部屋”で育んだもので、それらは謂はば「おとぎの國の論理學」でした。私にとつては、中世の“おとぎ話”は、“歷史”として觀想されるべき學問的󠄁對象ではないのです。
 私が「~の存在證明」といふことを明確に意󠄁識したのは、高校1年の夏休みに讀んだバートランド・ラッセル(Bertrand Russell、1872〜1970)の『宗ヘは必要󠄁か(Why I am not a Christian)』(荒󠄁地出版社・大竹勝󠄁譯)が切つ掛けです。生意󠄁氣盛󠄁りの數學少年の私は、それまでラッセルの『數理哲學序說』(岩波文庫・平󠄁野智治譯)を讀んでいたく感動し、その同じ著者の書いた“宗ヘ本”に大いなる興味を抱󠄁いたのです。
 冒󠄁頭、「キリストヘを信じるとはどういふことか」、また「キリストヘ徒とは何か」の解說があり、そのすぐ後に「~の存在」の章が續いてゐて、その“證明法”として、「@第一原因による證明法、A自然の法則による證明法、B~の意󠄁向による證明法、C~のための道󠄁コ的󠄁證明法、D不公平󠄁の償ひとしての證明法」といふ、五つの證明法が語られてゐます。私がもつとも強い興味を持つたのは@で、ラッセルは少年時代、この證明法を肯定してゐましたが、18歲のときJ・S・ミル(1806〜1873)の自敍傳を讀み、そこに以下のやうな文章を發見して、この證明法が誤󠄁謬であると悟つた、と述󠄁べていひます。
 私の父は「誰が私を造󠄁つたか」といふ問題には答へられないといふことを私にヘへた。なぜならばその問題は、たちどころに「誰が~を造󠄁つたか」といふ、さらにもう一つの問題を暗󠄁示するからである。

 すでにこれと同種の議論(兼󠄁好『徒然草』、トマス『~學大全󠄁』)は、このブログで紹介しましたが、ラッセルもまた若き日に、兼󠄁好やトマスと同じ議論に思ひを馳せてゐたのです。 (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 11:50| Comment(0) | 河田直樹