2016年11月27日

数学における言葉(その六)

數學における言語(その6) 希臘数学の独創

 オズヴァルト・シュペングラー(1880〜1936)の『西洋の没落』は、「ゲーテから方法を得、ニーチェから問題を得て」書かれた「文明の形態比較論」ですが、その第1章は「数の意味についての考察」から開始されます。そこで述べられてゐることは、一般的に“普遍的”だと考へられてゐる“数学”にも、各文明圏に応じたさまざまな特徴があって、その代表的なものに「エジプト数学、ギリシア数学、ローマ数学、アラビア数学、インド数学、シナ数学」などがある、といふものです。もちろんこの中には我が国の「和算」も入れていいかと思ひますが、これらの数学の中で、現代の数学に通ずる著しい特徴を持っているのが、前回の最後に述べた「論証としての数学」の濫觴である希臘のそれです。
 『ピタゴラスから電子計算機まで』(板倉聖宣編・国土社)といふ本は私の子供の頃の愛読書でしたが、そこには次のやうな主旨の記述があります。すなわち、3つ辺の長さが(3、4、5)、(5、12、13)、(7、24、25)、(8、15、17)、(12、35、37)のような場合、それが「直角三角形」になることは、エジプト人もバビロニア人も、そしてインド人も大昔から知ってゐた、のみならず、直角三角形の3つの辺(a,b,c)の間にいつも“a^2+b^2=c^2”に違ひない、という結論さへ下してゐた、しかし「ほんたうに、いつもそんなことが言へるのだらうか?確かな証拠があるのだらうか?」といふ疑問を持ち、それに見事にこたへたのがひとりギリシア人であった、といふものです。
 哲学者下村寅太郎(1902〜1995)は、「数学の形而上学的系譜」といふ論文で「支那数学」や「和算」にも触れて次のやうに述べてゐます。

  支那数学や後代の和算においてすら、我々が一般にギリシア的数学以外の文献に見るものは、その問題の高度や秀抜なるにかかはらず、単に具体的な問題とその解法に止まり、問題の解法の一般的な解法に対する省察がない。このことはさらに一般化して言へば、証明方法の純粋に論理的な構造の探究や反省の欠如である。これの欠如するところでは完結した体系的業績は存しない。個々の問題の蒐集が存するのみである。

 まことに示唆に富む指摘で、希臘以外の文化圏の数学は単なる経験から生まれる個々の問題の集積であり、そこには問題の一般化や証明に対する志向性がない、といふわけです。
言論による論証によって“a^2+b^2=c^2”が成り立つ(いわゆる「ピュタゴラスの定理(三平方の定理)」ことを示したのは、希臘人ですが、ここで大切なことは、「どのような直角三角形についても」といふことで、これを言ひ換へれば「すべての直角三角形について、a^2+b^2=c^2が成り立つ」
といふ「全称命題」の証明を問題にしてゐる点です。本連載の「その2」で取り上げた「直径ABの円周上の、A、B以外のどのような点Pをとっても(とはつまり、円周上の“無限個”の点Pに対して)∠APB=90°が成り立つ」といふのも「全称命題」であり、このやうな命題を言論によって明らかにすることが、希臘数学の独創なのです。 
 下村氏は「数学の成立こそは人間の文化の歴史における異常な事件である。まさしく世界史的事件である」と喝破してゐますが、言ふまでもなく、ここで言ふ「数学」とは「論証としての数学」であり、これは決して大袈裟な物言ひではありません。「数へる」「量る」の延長線上に生まれる「単なる技術知としての数学」はおよそいかなる段階のいかなる社会においても存在しましたが、「論証としての数学」を形成したのは、ひとり古代希臘人のみでした。
 ところで、このやうな希臘人の志向性は、いったいどのやうな魂あるいは精神性によるのでせうか。次回は、この点について少し考へてみたいと思ひます。
                    (河田直樹・かはたなほき)
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2016年10月24日

數學における言葉(その5)ソクラテスの論理 河田直樹

 ソクラテスは徹頭徹尾「論理の人」である、と前回述べましたが、ソクラテスの「論理」を具体的に知るには、プラトンの初期の対話篇『エウテュプロン―敬虔について』(今林万里子訳・岩波書店)を読んでみるのが一番です。ここでは、ソクラテスとエウテュプロンの対話の論理に関するエッセンスだけを、以下に簡単に紹介しておきます。
 ソクラテスは、エウテュプロンとの対話で、ある詩人の「恐れあるところまた敬いもある」という詩句を取り上げ、この言い方は論理的に正しくない、なぜなら、「恐れの対象の範囲」は「敬いの対象の範囲」より広いからで、したがって「敬いのあるところまた恐れもある」とすべきだ、と指摘するのです。そして、これはちょうど「奇数(=敬いの対象)が自然数(=恐れの対象)の一部である」のと同じことだ、と数論の喩えを持ち出して説明するのです。
すなわち、詩人の詩句は「Xが自然数(=恐れの対象)であれば、Xは奇数(=敬いの対象)である」と誤った判断を述べていて、正しくは「Xが奇数(=敬い)ならば、Xは自然数(=恐れ)である」という判断をすべきだ、とソクラテスは述べているのです。
ここで、自然数とは1、2、3、4、5、・・・のような数であり、奇数とは言うまでもなく2で割り切れない数、すなわち1、3、5、・・・のような数です。ソクラテスが問題にしているのは、「Xが自然数であれば、そのXは必ず奇数と判断してよいか」という問題で、ソクラテスはこのような判断は誤りだ、と述べているのです。実際、Xが自然数4であるとき、その数は奇数とは言えません。しかし、Xが奇数3であれば、それは必ず自然数である、と断定することはできます。
このような論理的思考の背景にあるのは、モノゴトの集まり(集合)の包含関係ですが、上で述べてきたことを分かりやすく図示すると、以下のようになります。

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言うまでもなく、恐れや敬いの対象の集まりを、自然数や奇数の集合のように厳密に規定することは難しいことかもしれませんが、ソクラテスの上のような数論との対比的な指摘は、やはり驚くべきことです。
 なお、ソクラテスは論理の極北を目指した人でしたが、またそれゆえに彼は論理の“あや”の生み出す真のユーモアを解する人物でもありました。ここで、話を脱線してこのソクラテスの“ユーモア”について縷々語ってみたいのですが、またの機会にゆずりたいと思います。
プラトンによって伝えられたソクラテスのこのような論理が、やがてアリストテレス(384〜322B.C)の「オルガノン(=道具)」と呼ばれる、論理学に関する一連の著作に結実していくことはよく知られています。「全称肯定(すべてのXはFである)」とか「特称否定(あるXはFでない)」といった概念を確立したのはアリストテレスで、彼の論理分析は詳細をきわめ、カントが『純粋理性批判』の序文で「論理学はアリストテレス以来、一歩の進歩も一歩の退歩もなかった」と評しているのは有名な話です。とは言え、これはいささか極端な話で、クリシッポス(281〜205B.C)、ガレヌス(129〜199)、ボエティウス(480〜524)、アベラール(1079〜1142)、オッカム(1295〜1340)といった人たちがアリストテレス以来の論理学の発展に寄与してきたこともよく知られています。
ともあれ、古代希臘において論理学が確立されたことは間違いないことで、それと相俟ってユークリッド(330?〜275B.C)の『原論( ・ストイケイア)』が書かれることになるのです。それは人類史における奇跡的な「論証としての数学」の誕生でもありました。
                   (河田直樹・かはたなほき)
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2016年09月19日

數學における言葉(4) ニーチェ・ソクラテス・リーマン (河田直樹・かはたなほき)

 學問あるいは哲學とは、世界の根源を“論理的”に考へてみることだ、と前囘申し上げましたが、では“論理的に考へる”の、その“論理”とはいかなるものなのか、この問ひに關聯してすぐに思ひ出されるのが、プラトンの初期の對話篇『エウテュプロン』で展開されるソクラテス(470〜399B.C)の“論理”です。ソクラテスと言へば、學校の授業で「善やコを探究した立派な哲學者」といふお決まりのイメージを與へられますが、端的に言へばソクラテスは徹頭徹尾“論理の人”でした。
奇妙な話ですが、私がソクラテスの人物像を具體的に思ひ描くことができるやうになつたのは、プラトンの著作物によつてではなく、ニーチェ(1844〜1900)の處女作『悲劇の誕生』のお陰です。この本では、ソクラテスは「非ディオニュソス的」人物としていささか戲畫的に描かれてゐますが、ずばり言つてしまへば『悲劇の誕生』の11章から17章まではニーチェの「反ソクラテス論」です。
ニーチェはこの作品で、ソクラテスを「論理的天性が一種の異常發育によつて過度に發達」した人物であると記し、「なんの拘束もなく奔流のやうに論理的衝動が發揮されるさまは、一種の自然の威力にも似てゐた」と述べてゐます。また「ソクラテスは理論的樂天主義者の原像である。理論的樂天主義者とは、事物の本性を究明できるといふ信念から、知識と認識に萬能薬の力を認め、誤謬こそ惡そのものであると解する人間のことである」とも語つてゐます。ソクラテスへの上述のやうな言及を、私はいささかヒステリック過ぎるのではないかと感じてゐますが、ニーチェは1864年に書いた「生ひ立ちの記」の中で「プフォルタ高等學校(ギムナジウム)へ轉校した」頃のことを囘想して、學校で習ふことは何にでも興味を覺えたが「しかし數學だけは別で、數學といふのは餘りに 理詰めの學問で私には退屈すぎる」と語つてゐます。宜なるかな、ソクラテスを論理の權化として、自分の敵對者と思ひなす萌芽が、すでに感じられる物言ひです。
 ところで、『悲劇の誕生』が希臘人の藝術世界の根底にある「アポロン的夢幻」と「ディオニュソス的陶醉」の分析からはじめられることはよく知られてゐますが、ニーチェは「藝術の發展といふものは、アポロン的なものとディオニュソス的なものといふ二重性に結びついてゐる」と述べてゐます。實は、これは「數學の發展」についても言へることで、唐突で牽強付會の印象を持たれる方もいらつしゃるかもしれませんが、ニーチェのこの言葉で私がいつも想起するのが、數學上の有名な未解決問題である「リーマン假説(The Riemann Hypothesis)」です。この假説を一言で述べれば、素數の混沌たる「ディオニュソス的」宇宙が、實は秩序正しい「アポロン的」論理に支配されてゐるにちがいない、といふ驚くべき豫想です。
 「素數」とは、2、3、5、7、11のやうな、1と自分自身以外の約數を持たないいわば“數の原子”ですが、1、2、3、4、5、6、7・・・といふ自然數の世界で、素數は何の秩序も規則性もなく分布してゐると長い間信じられてゐました。實際、これは素數を具體的に書き竝べてみれば多くの人が納得する事實で、いはば「ディオニュソス的」宇宙といふほかはありません。ところが、ニーチェとほぼ同時代の數學者リーマン(1826〜1866)は、この素數の「ディオニュソス的」世界に、はじめて「アポロン的」な調和と秩序があるのでは、と豫想したのです。
ときどき、數學とはどんな學問か?と訊かれることがありますが、私は、この世界のディオニュソス的混沌に對峙しながら、“論理”によつてそこにアポロン的秩序と構造を見出す學問だ、と答へることにしてゐます。これは何も數學に限つたことではありませんが、この世界の根源を“論理的”に考へ、認識するとは、ともかくさういふことなのでせう。そして、そこにはまた、最終的に、あのプラトン的なイデア世界への信仰と思慕とがひそんでゐた、と言ふべきなのです。        (河田直樹)




posted by 國語問題協議會 at 10:59| Comment(0) | 河田直樹