2016年09月19日

數學における言葉(4) ニーチェ・ソクラテス・リーマン (河田直樹・かはたなほき)

 學問あるいは哲學とは、世界の根源を“論理的”に考へてみることだ、と前囘申し上げましたが、では“論理的に考へる”の、その“論理”とはいかなるものなのか、この問ひに關聯してすぐに思ひ出されるのが、プラトンの初期の對話篇『エウテュプロン』で展開されるソクラテス(470〜399B.C)の“論理”です。ソクラテスと言へば、學校の授業で「善やコを探究した立派な哲學者」といふお決まりのイメージを與へられますが、端的に言へばソクラテスは徹頭徹尾“論理の人”でした。
奇妙な話ですが、私がソクラテスの人物像を具體的に思ひ描くことができるやうになつたのは、プラトンの著作物によつてではなく、ニーチェ(1844〜1900)の處女作『悲劇の誕生』のお陰です。この本では、ソクラテスは「非ディオニュソス的」人物としていささか戲畫的に描かれてゐますが、ずばり言つてしまへば『悲劇の誕生』の11章から17章まではニーチェの「反ソクラテス論」です。
ニーチェはこの作品で、ソクラテスを「論理的天性が一種の異常發育によつて過度に發達」した人物であると記し、「なんの拘束もなく奔流のやうに論理的衝動が發揮されるさまは、一種の自然の威力にも似てゐた」と述べてゐます。また「ソクラテスは理論的樂天主義者の原像である。理論的樂天主義者とは、事物の本性を究明できるといふ信念から、知識と認識に萬能薬の力を認め、誤謬こそ惡そのものであると解する人間のことである」とも語つてゐます。ソクラテスへの上述のやうな言及を、私はいささかヒステリック過ぎるのではないかと感じてゐますが、ニーチェは1864年に書いた「生ひ立ちの記」の中で「プフォルタ高等學校(ギムナジウム)へ轉校した」頃のことを囘想して、學校で習ふことは何にでも興味を覺えたが「しかし數學だけは別で、數學といふのは餘りに 理詰めの學問で私には退屈すぎる」と語つてゐます。宜なるかな、ソクラテスを論理の權化として、自分の敵對者と思ひなす萌芽が、すでに感じられる物言ひです。
 ところで、『悲劇の誕生』が希臘人の藝術世界の根底にある「アポロン的夢幻」と「ディオニュソス的陶醉」の分析からはじめられることはよく知られてゐますが、ニーチェは「藝術の發展といふものは、アポロン的なものとディオニュソス的なものといふ二重性に結びついてゐる」と述べてゐます。實は、これは「數學の發展」についても言へることで、唐突で牽強付會の印象を持たれる方もいらつしゃるかもしれませんが、ニーチェのこの言葉で私がいつも想起するのが、數學上の有名な未解決問題である「リーマン假説(The Riemann Hypothesis)」です。この假説を一言で述べれば、素數の混沌たる「ディオニュソス的」宇宙が、實は秩序正しい「アポロン的」論理に支配されてゐるにちがいない、といふ驚くべき豫想です。
 「素數」とは、2、3、5、7、11のやうな、1と自分自身以外の約數を持たないいわば“數の原子”ですが、1、2、3、4、5、6、7・・・といふ自然數の世界で、素數は何の秩序も規則性もなく分布してゐると長い間信じられてゐました。實際、これは素數を具體的に書き竝べてみれば多くの人が納得する事實で、いはば「ディオニュソス的」宇宙といふほかはありません。ところが、ニーチェとほぼ同時代の數學者リーマン(1826〜1866)は、この素數の「ディオニュソス的」世界に、はじめて「アポロン的」な調和と秩序があるのでは、と豫想したのです。
ときどき、數學とはどんな學問か?と訊かれることがありますが、私は、この世界のディオニュソス的混沌に對峙しながら、“論理”によつてそこにアポロン的秩序と構造を見出す學問だ、と答へることにしてゐます。これは何も數學に限つたことではありませんが、この世界の根源を“論理的”に考へ、認識するとは、ともかくさういふことなのでせう。そして、そこにはまた、最終的に、あのプラトン的なイデア世界への信仰と思慕とがひそんでゐた、と言ふべきなのです。        (河田直樹)




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2016年08月16日

數學における言葉(3) ソクラテス以前の哲学者 河田直樹

 哲学思想史家のブライアン・マギーは、その著『知の歴史(The story of philosophy)』(中川純男監修・BL出版)の冒頭「ソクラテス以前の哲学者たち・論理的な思考のはじまり」で次のやうに述べてゐます。

 最初に登場した哲学者たちは、ふたつの点で過去と決別しました。まづひとつは、宗教や権威や伝統とは関係のない、みづからの論理で現実を理解しようとしたこと、これは人類の精神史において画期的な試みでした。そしてもう一つは、他の人びとにも自分の力で考へるやうに説いたことです。たとへ弟子の立場にあつても、師の教へをそのまま受け入れる必要はないといふのです。彼らは、知識を純粋かつ不動なものとして弟子に押しつけず、議論や討論を奨励し、自分自身の考へを堂々と述べるのがよいと教へた最初の教師でした。

 この精神の最初の体現者はミレトス派のタレス(624?〜546?B.C.)と言はれてゐますが、人間生活において「宗教や権威や伝統」を一概に否定、無視してよいかどうかはもちろん疑問で、「言葉が過去からやつてくる」とすれば、それらは当然尊重されてしかるべきでせう。上で引用したやうな言葉を言質にとつて、何に対してもすぐに「アンチ」を唱へ、権威や伝統に抗ふことが恰も生者の特権のやうに思ひなす人たちもいますが、論理的思考と根源的自己批判を欠いたその種の振る舞ひは、醜いというほかはありません。これはこれで、近現代人の問題として考へてみたいテーマですが、いまは措いておくことにします。
 上で語られてゐる「教師の言ふことを鵜呑みにしないで自分自身で論理的に考へてみよ」といふ教えは、確かに「人類の精神史において画期的な試み」だつたといふべきです。そして、この精神が最も生き生きとした形で動き出すのが、実は「数学」の世界と言つてもよいのです。数学の言葉は、常に論理といふ厳しい自己批判に曝されてゐて、原則として思考の誤謬や混乱は必ず自分自身に鋭く跳ね返つてきます。
 スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセつト(1883〜1955)は、『個人と社会』の第2章で「2たす2が4と繰り返すことができるが、それは人がさういふのを何度も聞いたからにほかならない。しかしほんたうに『2たす2が4であつて、3でもなければ5でもない』と自分で考へること――つまりそれが真実であることの確証を得ること――それは、私が、私ひとりが自分のためにしなければならないことである」と述べてゐます。まさに数学における論理思考は、最終的にはオルテガが述べるやうな孤独な形で行はれるほかはありません。論理的に考へていくことは、ある意味では「超越者とのごまかしの許されない対話」とも言ふべきで、きはめて孤独な作業です。
 ところでタレスは、こんにちでも私たちが中学の幾何で学ぶ「対頂角は等しい、円の直径に立つ円周角は直角である(前回触れた図を参照のこと)」といつた命題を“証明”し、紀元前585年の日食を予言、さらに大変優秀な土木技術者であり、ピラミつドの高さを測つてアマシス王を驚かせたなど、様々なエピソードが残されてゐます。
しかし、タレスを最も悩ました問題は「万物は何でできてゐるのか、物事の根本、世界の根源とは何か」といふものでした。かうした問ひを「神話」からではなく現実に即して“論理的”に考へてみること、これこそはタレスの「画期的な試み」であり、そしてこの問ひに寄り添ふやうに“論証としての数学”が誕生してきました。学問、あるいは哲学(=智への希求、あるいはエロース)とは、要するに世界の根源を“論理的”に考へてみる(思ふ、想ふではない)ことであり、不謹慎なことを言へばこれほど面白いことはありません。なぜなら、世界が存在すること、自分がいまここに在ることは、誰にとつても驚き(thaumazein)だからです。次回はこの問題と数学について少し考へてみたいと思ひます。
                   (河田直樹・かはたなほき)
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2016年07月17日

數學における言葉 その2 自分の杯で

前囘の最後に、鷗外の「杯」に登場する第八の娘の言葉を取り上げましたが、これは要するに「自分の器は大きくはないが、しかしそれでも自分の器で戴くほかはない」といふ決意表明です。これは數學と付き合つていく場合にはことのほか大切なことで、『現代數學への道』(ちくま學藝文庫)の著者中野茂男氏は、序章で數學の特徴として「T抽象性、U論理的嚴密性、V結論の説得性(明證性)、W廣い適用性」の4つを擧げられ、UやVに關聯して、次のやうに述べられてゐます。

中學生や高校生が自信をもつて「先生それは違ふでせう」といへるのは、數學だけだといつてよいくらいである。地理や歴史や、いわゆる暗記科目と比べればもちろん、どの學科と比べても、「わかり方・納得のゆき方」の質が違ふことに氣がつくに相違ない。

中野茂男氏(19231998)は、京都大學數理解析研究所の教授をつとめられた方で、「代數學、代數幾何學」を專門とされた數學者です。上記の本は、中野氏が昭和四十五年頃京都大學において主に文科系の學生を對象とした講義をまとめられたものですが、「數學はどの學科と比べてもそのわかり方、納得の仕方の質が異なる」といふ指摘は、大變示唆的です。實は、この理解の仕方の質の相違にこそ、數學といふ學問のよさがある、と言つても過言ではありません。

「富士山は靜岡・山梨縣にまたがる圓錐状の火山で、その標高は3776mである」とか、「天智天皇の子である大友皇子と同天皇の實弟大海皇子の間の皇位繼承をめぐる爭ひ、すなわち壬申の亂は672年に起つた」といつたことに對しては、「先生、それは違ふでせう」と言ふことは叶ひません。すなわち、言はれた通りに鵜呑みするほかはありません。

小學校の理科でヘはる「色リトマス紙が赤に變化すれば酸性、赤色リトマス紙がに變はればアルカリ性」といつたことに對しても、「先生、それは違ふでせう」と反論することはできません。小學生の筆者は、先生に「なぜ、さうなのですか」と質問したことがあり、「とにかくさういうものなので覺えておきなさい」と言はれて、がつかりしたことを思ひ出します。悲しいことに、ともかく、自分の、ではなく「先生の言葉の器」で、その言説の水を飲むほかはないのです。

しかし「數學」においては、こんなことはほとんどありません。kahadaen.jpg
たとへば、右圖のやうな圓の直径ABと、圓周上のA、B以外の點Pに對して、點Pがどこにあっても、常に∠APB=
90°である、といふことを、先生にヘはりはしますが、この言説を鵜呑みにする必要はありません。なぜなら、この言説(定理)を、自分の言葉で明證的に確認することができるからです。言葉をかへれば、その言説の水を自分の言葉の器で、飲み、味はつてみることが確かに可能なのです。これを、數學では「證明」と言いますが、同じ先生の言説でも、その理解の仕方は決定的に違ひます。これは、驚くべきことです。

數學をヘへてゐて、一番氣になるのは、「∠APB=90°」という結論を、富士山の標高や壬申の亂の年號、あるいはリトマス試驗紙の場合のやうに、ヘ師の言つた通りに、素直に覺えてしまふ生徒が多いといふことです。數學ヘ師としては、「それは違ふです、なぜなら・・・」と反論してほしいのですが、さういふ生徒には滅多に御目にかかりません。

『知の歴史』の著者ブライアン・マギーは「みずからの論理で現實を理解しようとした最初の哲學者たち」の仕事を、「人類の艶_史における畫期的な試み」と述べてゐますが、次囘はこれについて考へてみたいと思ひます。
(河田直樹 かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 23:12| Comment(0) | 河田直樹