2016年10月18日

変体仮名を読む、和本リテラシー。 原山建郎(はらやま たつらう)

「六十の手習い」を英語でいうと、“Never too old to learn.”(学ぶのに年を取り過ぎているということはない)となる。老年期にもなお学ぶ意欲を失わぬ「晩学」を奨励するものだが、還暦を六つ過ぎて始めた「変体仮名」の手習いはそんな殊勝な動機からではない。

六十歳で非常勤講師となった私は、学生たちに一所懸命、日本語の危機を訴えてきた。
「旧字体(旧漢字)、旧仮名遣いが理解できないと、日本の古典は読めなくなります。『枕草子』の原文に書かれた〈をかし(面白い、美しい)〉や〈あはれ(しみじみとした情趣のある)〉を、現代語の〈おかし(可笑しい)〉や〈あわれ(可哀そう)〉に置き換えて読むような知的劣化≠ェおこったら、日本の古典はその時点で外国語≠ノなってしまいます」
しかし、『武蔵野大学司書課程・司書教諭たより』十五号(平成24年4月30日発行)に載っていた「江戸かな(変体仮名)」研究家・吉田豊さんの論考「江戸の草子を楽しむ」のなかに、この私自身が見落としていた日本語の「ほんとうの」危機が潜んでいたのである。

【英語は読めるが、百年前まで使われていた和本は読めない、これが日本の現実の姿です。恐ろしいことに、国文学者も国史学者も活字化された資料によって活動している状況を、江戸文学者で文化功労者の中野三敏氏は次のように嘆いています。
(変体仮名や草書体漢字)の文字を、少なくとも江戸の一般人と同様のスピードを以て読む能力を備えた読書人というものが、今や絶滅危惧種化している。(中略)「和本のすすめ(岩波新書)」】
(「江戸の草子を楽しむ」)

これまで、私が読んできた教科書(抄録)や単行本の『枕草子』は、旧かな遣い(漢字は新漢字)と現代文の対訳つきで、当然のことながら「旧かな」は活字化された紙の本の印刷文字のみである。さも偉そうに「日本語の危機」を説いていた私には、日本の古典文学を原文で自在に読みこなす能力、和本リテラシーが欠落していた。
もちろん、変体仮名が漢字のくずし字であることは知っていた。そのルーツは、中国から伝来した漢字の音や意味を、それまで文字を用いなかった和語の音節に利用(仮借)した万葉仮名だということも知っていた。しかし、それは私が「知っていた」だけにすぎない。
吉田さんが「江戸かな」と呼ぶ江戸時代の変体仮名は、十八世紀半ばに約八割という識字率を可能にした寺子屋教育で庶民の「読み・書き」能力を高めた最大最高の功労者である。

善は急げ。吉田さんの「江戸かな」入門書を数冊、市川市中央図書館から借りてくる。
「小倉百人一首」の絵札を、巻末の「主要江戸かな一覧」と引き比べながら読む。最初はたどたどしく、やがて少しわかるようになる。
明治33年の「一音一字の平仮名字体」で統一される以前の書物には、「江戸かな」が使われていた。吉田さんの『寺子屋式古文書手習い』(柏書房)には、まだ「江戸かな」で書かれた『學問のすゝめ』の初版本(明治5年)の誌面が載っている。

【天ハ人の上◎人を造ら▲゛人の下◎人を造ら▲゛と以へりさ■バ天より人を生する◎ハ萬人ハ萬人皆同じ位◎して生■ながら貴賤上下の差別なく萬物の靈た▽身と心との働を以て……】
(『學問のすゝめ』)

◎=に(尓)、▲=す(春)、■=れ(連)、▽=る(累)が江戸かな。和文リテラシーは、「江戸かな」に親しむ心の中で呼吸している。
武蔵野大学非常勤講師 原山建郎
『出版ニュース』コラム Book Therapy no.9
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2016年09月26日

書きことば、話しことば、息づかひ  原山建郎(はらやま たつらう)

コミュニケーション論で配布する文献資料のいくつかは、著者の「伝へたい」思ひ、つまり「文の息づかひ」が「伝はる」やうに、その「さはり」を原文のまま引き写す(著作権の教育的利用)。である調・ですます調の「書きことば」、対談・聞き書きの「話しことば」たち、読み手をぐいぐい引き込む力が「伝はつて」くる。
野の花診療所所長の徳永進さんは、岩下看護婦さんと「カルテ」、無言のせりふ「……」で、それぞれの「想ひ」を語る。

☆「書きことば」(せりふ入り)
【「先生、あれはね、昭和二十八年頃でした。そう、確かにそう。……」
岩下看護婦さんは、机の上に並んでゐるカルテを手に取つた。
「すみちゃんていう小学五年生の可愛い子が入院してたんです。……」
岩下看護婦さんは、カルテを抱き締めるやうにして話し続けた。
「あれは、そう、真つ青な空が広がる三月でした。……」
岩下看護婦さんはカルテを強く抱きしめた。
「それからお昼になつて、みんなが部屋に戻つたんです。帰つたそのとき、……。」
カルテを抱いたまま、岩下看護婦さんは、動かなかつた。(『カルテの向こうに』257ぺーじ)

★「書きことば」(せりふ入り)
【「頭、痛い?」「……」「熱、出た?」「……」「けいれんですか?」「ハイ」
抗けいれん薬を打つとすぐにおさまつた、てな具合。
別の日、ナースが「様子が変」と駆けつけた。「寒いですか?」「……」「けいれんですか?」「……」「便ですか?」「ハイ」。摘便でドつサリ、てな具合。】
(『野の花ホスピスだより』27ページ)

硬派の「文明・文化論」で知られる内田樹さんの著書は、ブログを編集したものが多い。「である調」で書かれたブログが、著書の書きことばでは「ですます調」になつている。
☆書きことば(ですます調)
【マスメディアの凋落の最大の原因は、僕はインターネつトよりもむしろマスメディア自身の、マスメディアにかかわつている人たちの、端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるんじゃないかと思つています。】(『街場のメディア論』38ページ)

★書きことば(である調)
【自然災害であれ、人間が発する邪悪な思念であれ、それが私たちの生物としての存在を脅かすものであれば、私たちはそれを無意識のうちに感知し、無意識のうちに回避する。】
(「内田樹の研究室」二〇一二/六/一八)

また、「からだとことば」の関係性を平明に説く、演出家の竹内敏晴さんの話しことば(対談)、書きことばは、ともに長めのセンテンスだが、句読点の息づかひ、独特のリズム感が伝はつてくる。

☆話しことば(対談)
【わたしにとつてのことばつていうのは、そういうふうにまず第一に、ほんとうに人が人に働きかけられるかという、一つの、なんて言うのかな、証しであつて、こういう話をしてしまえば、結論っていうか、はっきりするわけだけれども、わたしにとっては、ことばっていうのは文章ではなくて、まず第一に話しことばなわけです。】
(『教師のためのからだとことば考』、190ページ)

★書きことば(である調)
【意思としては話しかけよう、目当ての人とつながろう、としているのだろうが、からだは行かないで、とひきとめている。これでは声は前へ行けないな。まず手を解き放ち、相手の方へ「手を出し」「足を出し」て、からだ全体が動き始めなくては、声が届くはずがない。】
(『「からだ」と「ことば」のレつスン』33ページ)
(武蔵野大学非常勤講師 『出版ニュース』誌のコラム Book Therapy no.7

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2016年08月22日

ブックセラピー(1) 胎内進化のつづき、母語、ひらがな。     原山建カ


NHKの番組、クローズアップ現代(平成二十五年六月一一日)で「オノマトペ」特集が放送された。同番組では、コンビニ商品の「おいしいを感じる言葉」ランキングで、説明調の「コシ(腰)のある」「舌触りのよい」に代はり、短く直感的に伝はる「もちもち」「もつちり」など、オノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)たちが急上昇し、商品の売上が五倍も伸びてゐることが紹介されてゐた。
これまで「幼児ことば」、「舌つ足らず」と揶揄され、軽視されてきたオノマトペのマーケティング手法による復権だが、注目すべきは、これらがすべて「ひらがな(カタカナ)」で表記されてゐることである。

上古代の日本人は、中国の漢字が朝鮮半島を経由して伝はる五世紀まで、文字をもたななかつた。いや、書かれた文字よりも、豊かなオノマトペによつて彩られた「口承文化」が美しいことばを紡いでゐた。それが「やまとことば」と呼ばれる原日本語(和語)である。
最古の歌集である万葉集には、漢字の音を借りて表記された万葉仮名が登場する。「やまとことば(万葉仮名)」はその後の千三百年あまりを「変体仮名(江戸かな)」として生きつづけ、明治三十三年、一字一音の「ひらがな」に統一されたあとも、なほ日本人の心性をあらはすことばとして輝いてゐる。
よく、「(ものの)あはれ」の『源氏物語』、「をかし」の『枕草子』といふが、これを漢字で書いたら、哀れ(憐れ)で可笑しなことになつてしまふ。

ここ半年ほど、「ひらがなのちから」を研究してゐるが、先日、風の谷保育園(川副孝夫園長)で、保護者対象の「ひらがな育児」講座と、その前日に保育スタッフ対象の「ひらがな保育」研修を行ふ機会があつた。
前日に研修を行つたのは、講座を受講する保護者を上回るレベルでの予習であり、当日は講座に出られない託児担当のスタッフも参加してもらふ、そして何よりも、「ひらがなのちから(育児・保育)」を保護者と保育者が共感・共有しながら、子どもたちの「楽しいからだ」「うれしいからだ」を育ててほしいと思つたからである。

「ひらがな育児」講座では、「胎内進化」と「母語」といふ二つのキーワードを用ゐた。
「胎内進化」とは、受胎から出産まで約二八〇日の妊娠期間に、ヒトの胎児は母胎といふ「いのちの揺り籠」のなかで、生命誕生三十五億年の進化の過程を〈魚類・両生類・爬虫類・哺乳類・ヒト〉といふ系統発生の順序で体験することをいふ。
とくに受胎後三十二〜三十八日目には、海中でエラ呼吸してゐた魚類が陸上で肺呼吸する両生類に進化する過程での胎児の苦労を、母親は「つはり」といふかたちで体験を共有する。
さらに、ヒトは未熟児で生まれ、約二歳の幼児までは「胎内進化」のつづきであるといふことを紹介した。
ある母親は「つはりはいやなものと思つてゐたが、お腹の子も苦労してゐると考へて、いつしよに頑張らうと思つた」と述懐した。〇歳児を担当する保育士は「小さな赤ん坊を預かつてゐるといふ意識から、まだ胎内進化のつづきだといふ認識に変はつた」と語つてくれた。

「母語」とは、幼少期から自然に習得することば、つまり人生の最初に出会ふことば。たとへば、妊婦が心から「ありがたう」と言うと、「ありがたう」の音声の母胎振動と、母胎の満ち足りた気持ちのバイタルサイン(呼吸や脈拍の回数や強弱の変化、母胎に送り込まれる血液などの変化)を、胎児は文字どほり全身で感じとる。
母親の「ありがたう」といふ発音体感は母胎共鳴を介して、漢字の「有難う」ではなく、ひらがなの「ありがたう」として胎児に届く。 以上

『出版ニュース』誌のコラム「Book Therapy」no.20(2013年8月)
<文字遣ひは歴史的假名遣に直し、漢字は雜誌揭載(新字體)のままとしてゐます>

posted by 國語問題協議會 at 10:34| Comment(0) | 原山建郎