2019年11月04日

日本語ウォッチング(25) 織田多宇人

科學する心
中學生の頃、辯論大會で、同級生が「科學する心」と言ふテーマで話をしたことがある。その時はやゝ抵抗感があつたが新しい言ひ方なのかと思つてゐた。一般に「する」は、動作や行爲や變化を表はす體言に附いて複合動詞を作る。「喧嘩、運動、登山、勉強、貯金、抑壓、消滅、死去、感化」等擧げられる。しかし「優位、二着、評論」などはしつくり來ない。「論評する」とは言へても「評論する」とは言へない氣がする。戰前「科學する心」と言ふ言ひ方が問題にされたことがあつたさうだ。ぎりぎり許容されたのか。もし「科學する」が許容されるなら「文學する」と言へるのだらうか。
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2019年09月17日

日本語ウォッチング(24) 織田多宇人

罪に服する
服するとは、納得して從ふことである。『小説宝石』の古い號に、「すべてを申上げて、罪に服したいとおもいます」と言ふ科白が出て來てゐるが、納得して罪に從ふと言ふのはをかしい。恐らく、刑に服するの間違ひであらう。罪の字を活かすのであれば「罪の償をしたいと思ひます」とすればよい。他に「服する」の例としては、「兵役に服する」、「喪に服する」、「勞役に服する」等がある。
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2019年09月04日

日本語ウォッチング(23)  織田多宇人

斷乎として人間ではありませむ
もう放映してゐないが、昔のTBSテレビの「水戸黄門」で「斷乎として食ひ逃げをするやうな人間ではありませむぞ」と言つてゐたさうだが、「斷乎」はきつぱり押切る積極的行爲につける副詞で、「ありません」と言ふ否定的、消極的な動詞には使はない。恐らく「そんな人間ではないと斷乎として主張する」と言ふつもりだつたのだらう。「斷乎として困ります」と言ふのもあつた。この場合も「困る」は消極的な姿勢であるから、「斷乎として」を使ふことは許されないと、斷乎として主張したい。
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