2019年08月18日

自炊   高崎一郎

 「自炊」を始めた。といっても料理の話ではない。近ごろの隱語で紙書籍の電子化を意味する。つまりはページごとの寫眞を殘すのだと思へばよい。昔から大きな圖書では貴重書の保護のため、マイクロフィルムによる閱覽があった。その個人版である。

 尤も今囘は保護ではなく、逆に架藏の廢棄整理も兼ねてゐる。歪みのない鮮明な文字を得るため、背中を截斷する。最初は躊躇したが「所有」の觀念から解放されると氣樂になる事を知った。文庫本ぐらゐなら一册5〜10分ほどで完了するから、ゆくゆく本棚のない生活も夢ではない。

 ただしこれは惡くいへば本の脫け殼である。手ざはりも匂ひもない。愛書家なら嫌な顏をするだらう。我々は單純に文字を讀んでゐるのではなく、五感すべてを働かせてゐるのである。一切の修飾をはぎ取った文書データ「テキストファイル」が意外に讀みにくい理由は恐らくここにある。名作のテキストファイル集「空文庫」も、その知名度ほどに廣く活用されてゐるとは言ひがたい。

 もちろん電子化には電子化の良さがある。たとへば漢和字典データに簡單な仕掛けを加へると、調べたい親字の揭載ページが瞬時に表示されるやうになった。またOCR(光學文字認識)をかけた上で、更に正字正假名へと半自動的に改めるのも原理上さほど難しくはない。更にまた、どうしても上卷しか入手できなかった古本も、運がよければ下卷をネットワーク上で讀める時がある。いづれもマイクロフィルムの時代には夢物語であった。

 今や通勤途中で新聞雜誌もしくは文庫本を讀む姿さへめっきり減った。以前には權威であった筈の出版物などで、人氣の失墜著しい例も少なからぬと聞く。昔は「活字を組む」のは明らかな特權であり、「あそこの本なら確かだらう」と漠然とした信ョもあった。たぶん刷りたてのインクの匂ひや、あるいは美しい裝釘の魅力も手傳ったのだらう。それが時には虛飾にもなり得るものだと、大衆は氣づいてしまったのである。確かに「グーテンベルグ以來の革命」なのだと感じる。

 ずいぶん前から、電子化は正字正假名遣復活のチャンスと期待され續けてきた。漢字の存在すなはち近代化の妨げだ、思考の桎梏だと罵られる時代は完全に終った。また「契冲」や「今昔文字鏡」のやうな優れたソフトウェアにより環境整備も進んだ。だが壓倒的多數の場面で「ゐ」や「ゑ」さへまともに扱へないのが現狀である。果して將來の見通しは明るいだらうか。

 じつは電子化により事實上排除されたのは正字正假名だけではない。たとへば「耺(職)」や「㐧(第)」といった、以前は廣く流通してゐた筈の略字もまた簡單には入力できなくなってしまった。それは「標準化されてゐない」つまり「共通の系統として定義されてゐない」事に尽きると思ふ。正字正假名の實踐は、たとへば舊曆(太陰曆)で生活を送るやうな努力を強ひられる。他人とのかかはりにおいて、さまざま調整の工夫が要るのである。

 最近のスケジュール管理ソフトには舊曆表示可能なものが揩ヲてゐる。いふまでもなく中華圈の需要による。ただしこの「舊曆」とは北京での觀測に基くものだから、日本の天保曆との閧ナ最大一日のずれが生じる。つまりは何年かに一度、日付が合はない事がある。今後、電子化が進めば進むほど、しっかり定義してゆかないと思はぬ陷穽があるだらう。

 從來の「正字正假名遣復活」とは、たとへば正しい字體の印刷といった目標が主だった。その努力はしっかり實を結んだと思ふ。しかしこれからは「相手もその系統を認識し、かつ裝備してゐるか」が死活的に重要になってくる。前述の「耺(職)」や「㐧(第)」などでいふと、この漢字を表示できない機器はまだまだ多い。つまり先方の環境を確かめないと、データは正常に送れない。逆にシステムさへ調整できれば、どんな「難しい」漢字でも「易しい」漢字と全く同樣に操作できる。

 殘念ながら現代表記は現代日本の標準であり、ここから外れるものは活用の幅が狹くならざるを得ない。近年は自動飜譯の遠xがかなり向上してきたが、正字正假名遣の文章を投入してもまともな結果にはならないだらう。文章の音聲自動讀み上げ然り、OCR(光學文字認識)然りである。文字や文章は今や工業製品となったのである。

 最近、「舊字」の認識が變質してきたのではないかと感じる場面が揩ヲてきた。たとへば筆者の姓「高崎」は戶籍で「ア」表記なのだが、これがしばしば「舊字ですね」と言はれるやうになった。もちろんこれは毛筆の楷書と康煕字典體との差に過ぎず、しかも戰後の國語改革とは關係ない。しかし「新舊字體對照表」の類がなければ「舊」とは何ぞやといふ認識は生じない。だから「現行の字體とは異り、感覺的に古さうなもの」はすべて「舊字」となるのである。「舊」とは如何なる秩序であったかの定義說明を迫られてゐるといへる。

 近年の事象を雜駁に羅列してきたが、これに對應した「正字正假名遣」實現のための戰略を考へてみよう。

 第一に、公的な位置づけがほしい。たとへば「當然の事ながら文語の表記は歷史的假名遣による」だけでも、さういふ現代のための秩序が存在するといふ強力な說明になるだらう。

 第二に、學術硏究に過度に期待してはいけない。上述の「」など字源說上は「はしご」の方がふさはしい字體であるといふのが常識だし、楷書でも「はしご」が壓倒的に多い。正字正假名といへど細かく觀察すると「あら」は多々見つかるものであり、眞摯に對應しようとすればするほど混亂を招く。表記法とは秩序のためにある事を忘れてはならない。これとは別に學術硏究の成果は常に攝取咀嚼し續けるべきはもちろんである。

 第三に、文明批評などの輿論喚起にのめり込んではいけない。多くは仲內の頷きに終始し、異說との閧ノ建設的な討論が成立つ例は稀である。

 第四に、現代表記をこそよく硏究すべきである。現實にかなりの程度まで自動的な相互變換は可能であり、それらをどう標準化させるかが今後の勝負どころではないかと思ふ。
posted by 國語問題協議會 at 13:58| Comment(0) | 高崎一郎

2019年03月16日

郷土のかなづかひ(二)     あはき・あをき(檍)    高崎一郎

漢字には「國訓」といって本來の字義とは異るものが少なくない。特に動植物など比較同定は難しく、また社會に定着したものは今さら否定できない。「鮎」が「なまづ」であって「あゆ」ではない事など有名であらうか。

多田南嶺の『南嶺子』は、河豚中毒の患者が「自分が食べたのは鮭≠セ」と言ひ張った愚をあげて「正字せんさく」を戒めてゐる。插話としては一寸とでき過ぎで、文意に添った創作かもしれないが、少くとも江戸中期には認識の不一致が意識されてゐた事になる。

横濱市青木町に洲崎大神といふ古社があり、戰災に罹る前は境内に神木の「檍(あはき)」が茂ってゐた。そもそも「あはき」とは何か。記紀によると伊弉諾尊が「阿波岐原」あるいは「檍原」で黄泉國の穢れを祓ひ、住吉の神が産れたとある。おそらくは「檍」の生ひ茂る場所であったかと思はれるが、具體的にそれが何なのか文獻ごとに矛盾があり、植物學的に全く推定できないらしい。

平安時代には既に「檍」の正體はわからなかったらしく、『和名抄』の記述にはためらひが見られる。中世には「青木」との混同が始まり、洲崎大神の鎭坐する「青木町」もその類らしい。宮崎市には今も「阿波岐原町」の町名があり、また鹿兒島縣囎唹市にも「阿波岐原」の比定地がある。兩地とも「檍神社」や「檍小學校」がありいづれも「あをき」と讀む。能「高砂」にも「西の海 檍が原の波間より あらはれ出でし住吉の神」とあるが、これまた「あをき」である。

「檍」はJIS第二水準漢字でもあり、近年の辭書にはよく收載されるやうになった。如上の複雜な經緯を端的に解説するのはなかなかに難事であるが、
・種名未詳の「アワキ(あはき)」
・學名Aucuba japonicaの「アオキ(あをき)」
・漢籍にある「檍(ヨク)」
の三項目に分けて理解するのがよいやうに思はれる。ちなみに洲崎大神の「檍(あはき)」は樫の大木であったらしく、これは「檍(ヨク)」の解釋に沿ったものといへる。
posted by 國語問題協議會 at 20:50| Comment(0) | 高崎一郎

2019年01月19日

郷土のかなづかひ(その一) 大給さん   高崎一郎

大給さん
舊臘に「大給さん」と仰る方と會ふ機會があつた。これで「オギュウ」とはまた典型的な難讀姓である。匆卒の間、由來などについて伺ふこともできなかつたので、歸宅後に少し調べてみた。
大給姓は徳川家の庶流の一つで、本據地の地名にちなむらしい。場所は三河國加茂郡(愛知縣豐田市)大給。松平姓を名乘れる「十八松平」家の一つである。大給藩の藩主松平乘謨(のりたか)公は明治政府から子爵を拜し、名も「大給恆(ゆづる)」と改めた。現在、大給姓の人は300人ほどといふから、その内のお一人だつたことになる。
目黒の庭園美術館はもと朝香宮邸であつたが、朝香宮湛子(きよこ)女王は大給義龍伯爵に嫁してゐる。文京区千駄木には大給坂といふ坂があり、もと大給家の屋敷があつたらしい。また兵庫縣には「大給組」なる建設會社がある。各方面で活躍されてゐるのである。

さて地名にせよ人名にせよ、「給」のつくものは極めて少ない。あつたとしても世田谷區給田のやうに、ほとんどは律令制によるものである。吉田東伍著『大日本地名辭書』には「荻生(をぎふ)の義歟(か)」とあり、やはりさういふ解釋が自然なのであらう。「給」は漢音キフ、呉音コフ。「荻(をぎ)+生(ふ)」に「大(おほ)+給(キフ)」と漢字の「切りかた」が異るあたり、漢字意識の薄い「成熟した」地名であるやうに感じる。

「切りかた」とはどういふ事か。たとへば福井縣「遠敷(ヲニフ)」は字音「遠(ヲン)+敷(フ)」を「小(を)+丹生(にふ)」に宛てる如く、あるいは鹿兒島縣「吾平(あひら)」が「姶良(アヒラ)」の轉である如く、本來の語の構成からすると少々奇妙なのである。もし日常「荻」と「生」の意識があれば、わざわざ「大」と「給」に切り分けようとはしないだらう。

ちなみに「遠敷郡」は大寶律令以來の歴史を誇る一方、「吾平」は近世のもの、また「を・お」の別は平安時代初頭に消滅し始めるから、「大給」地名誕生の時代は全く推定できない。強ひていへば「河内」から「高知(縣)」のやうに、戰國時代前後には「驗をかついだ」地名改稱があるから、その類なのかもしれない。特に「給」の字は縁起がよい。

「生」の讀み方はさまざま變化に富む。「丹生(にふ)」が辰砂すなはち水銀の生産地であるやうに、地名の最後につく「生(ふ)」は何らかの特産を示す。しかし長い歴史のなかで主に四種の讀み方が生じてしまつた。列擧してみよう。

【あふ・おふ→オウ】
「粟生(あふ)」「兵庫縣相生(あふ)」「麻生(あさふ)」「賀名生(あなふ)」「蒲生(がまふ)」「芝生(しばふ)」「園生(そのふ)」「能生(ノふ)」「室生(むろふ)」「名古屋市榮生(さかふ)」
【いふ→イュウ】
「丹生(にふ)」「淺茅生(あさぢふ)」「桐生(きりふ)」「埴生(はにふ)」「日出生(ひぢふ)」「柳生(やぎふ)」。
【えふ→イョウ】
「芹生(せれふ)」「豆生田(まめふだ)」。ただし「武生(たけふ)」はタケフのまま。
【ふ→オ】
「漆生(うるしお)」「高松市浦生(うろ)」

「園生(そのふ)」はたとへば「竹の園生の末葉」ならソノウ・ソノーと讀むだらうが、人名の「園生さん」はソノオサンと微妙に異る。恐らくは「その+男(を)」さんといふ意識が働くのだらう。とすれば人名に限つて「そのふ」ではなく「そのを」と振假名すべきであらうか。しかし作家の「桐野夏生」はナツオと讀み、しかも女性であるから「なつお」以外に選擇肢がないものと思はれる。
posted by 國語問題協議會 at 13:45| Comment(0) | 高崎一郎