2019年09月12日

數學における言語(50)プロティノス(T)

 プロティノス(204年頃〜270年頃)は、ナイル河の中流にあるリュコスといふ町で生まれ、28歳のときアレクサンドレイアの哲學者アンモニウス・サッカスの許で11年間學び、40歳のときローマに赴いて哲學學校を開き多くの弟子たちを育てたと言はれてゐます。弟子の中には女性の弟子たちもゐたやうですが、プロティノスの最期を看取つたのはエウストキオスといふ弟子で、彼は醫者でもありました。
 享年66歳、と言はれてゐますが、彼は「身體の中で生きてゐることを恥ぢてゐた」ので自分の誕生日も氏素性についてもほとんど語ることがなく、また著作も全く殘してはゐません。彼の言葉は弟子たちが殘した『エンネアデス(Enneades)』を通してのみ知ることができます。
 こんにち私たち日本人は、プロティノスの言説を『後期ギリシア哲學者資料集』(山本光雄/戸塚七郎譯編・岩波書店)によつて知ることができます。私はIyinsに從つて、プロティノスの哲學が「遠近法」を生み出したと述べましたが、實際上記の資料集を讀み返すとIvansの炯眼に脱帽したくなります。しかし、私自身は1988年に出た3刷の資料集を初めて讀んだとき、プロティノスと「遠近法」の連關などには思ひも及ばず、實はすぐに聯想したのは十代の頃から愛誦してゐた伊東靜雄の「太陽は美しく輝き/あるいは 太陽の美しく輝くことを希ひ」といふ詩句であり、そして青年の虚榮心から讀み齧つてゐたハイデガー哲學の「現存在(Dasein)」といふ言葉でした。私には、プロティノスが「新プラトン學派である」などといつた彼の哲學史的な位置づけや意味にはほとんど關心はありません。私の興味はプロティノスの言説に繰り返し出てくる言葉、すなはち「かのもの、太陽、光」や「自分の外に逃げるのではなく、自分の内にある光を直視せよ」といふ言葉にあります。言ふまでもなく、前者の言葉からは伊東の詩を、また後者の言葉からはハイデガーの未完の哲學「存在と時間」を聯想するわけですが、「Dasein」の「Da」には「明るみ」といふ意味が込められてゐたのはよく知られてゐます。
 少し脱線します(私の話はいつも脱線しますね)が、伊東靜雄の詩についていましばらく語るのをお許しください。と言ふのも、それがプロティノス哲學を瑞々しい形で把握するのには最適ではないか、また私自身がプロティノスをどのやうに理解してゐるかを讀者の方々にお傳へするには手つ取り早いのではないかと愚考するからです。
 今となつては「若氣の至り」といふほかはありませんが、私は二十歳すぎのとき『夏至の趾』といふ貧しい詩集を自費出版し、その詩集の最後に「伊東靜雄私論」といふ拙論も收めました。「反時代」に固執してゐた當時の私はすべて「歴史的假名遣ひ」で文章を書いてゐましたが、この詩集を、『詩人伊東靜雄』、『蓮田善明とその死』の御著者である小高根二郎氏に獻呈したところ、御丁寧なお返事を頂きました。もはや差し支へないと思はれますので、その一部を紹介します。
 「伊東靜雄私論」を拜讀。「春の雪」に觸れられてをりますが、私は丁度「風土と詩人」といふ主題のもとで、「春の雪」のところを執筆してゐたところだつたので、思はず、はつ!としました。お盆の日だつたので、伊東の導きだつたのかと思ひました。

 ちなみに、『蓮田善明とその死』には「死ぬことが文化だ」と記した三島由紀夫の「序」が付されてゐて、「小高根氏が蓮田氏の愛と死について語る筆致は、清澄高雅で、豪も死者の靈を傷つけず、生き殘つた者の不遜を免かれ、(中略)實證主義の卑賤に陷らず、無禮な分析を避けて」とあります。伊東の詩には「太陽、光」といふ言葉が多く登場します。「が幸福にする」(「冷たい場所で」)、「切に願はれたをして」(「わがひとに與ふる哀歌」)、「あゝわれら自ら孤(こ)寂(せき)なる發なり」(「八月の石にすがりて」)、「六月の夜と晝のあはひに/萬象のこれは自らる明るさのとき」(「水中花」)、「われ秋のに謝す」(「百千の」)といつた具合です。プロティノスにとつても伊東にとつても「太陽、光」は大切なテーマでしたが次囘もこれについて考へます。(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 07:06| Comment(0) | 河田直樹

2019年09月04日

日本語ウォッチング(23)  織田多宇人

斷乎として人間ではありませむ
もう放映してゐないが、昔のTBSテレビの「水戸黄門」で「斷乎として食ひ逃げをするやうな人間ではありませむぞ」と言つてゐたさうだが、「斷乎」はきつぱり押切る積極的行爲につける副詞で、「ありません」と言ふ否定的、消極的な動詞には使はない。恐らく「そんな人間ではないと斷乎として主張する」と言ふつもりだつたのだらう。「斷乎として困ります」と言ふのもあつた。この場合も「困る」は消極的な姿勢であるから、「斷乎として」を使ふことは許されないと、斷乎として主張したい。
posted by 國語問題協議會 at 07:14| Comment(0) | 織田多宇人

2019年08月18日

自炊   高崎一郎

 「自炊」を始めた。といっても料理の話ではない。近ごろの隱語で紙書籍の電子化を意味する。つまりはページごとの寫眞を殘すのだと思へばよい。昔から大きな圖書では貴重書の保護のため、マイクロフィルムによる閱覽があった。その個人版である。

 尤も今囘は保護ではなく、逆に架藏の廢棄整理も兼ねてゐる。歪みのない鮮明な文字を得るため、背中を截斷する。最初は躊躇したが「所有」の觀念から解放されると氣樂になる事を知った。文庫本ぐらゐなら一册5〜10分ほどで完了するから、ゆくゆく本棚のない生活も夢ではない。

 ただしこれは惡くいへば本の脫け殼である。手ざはりも匂ひもない。愛書家なら嫌な顏をするだらう。我々は單純に文字を讀んでゐるのではなく、五感すべてを働かせてゐるのである。一切の修飾をはぎ取った文書データ「テキストファイル」が意外に讀みにくい理由は恐らくここにある。名作のテキストファイル集「空文庫」も、その知名度ほどに廣く活用されてゐるとは言ひがたい。

 もちろん電子化には電子化の良さがある。たとへば漢和字典データに簡單な仕掛けを加へると、調べたい親字の揭載ページが瞬時に表示されるやうになった。またOCR(光學文字認識)をかけた上で、更に正字正假名へと半自動的に改めるのも原理上さほど難しくはない。更にまた、どうしても上卷しか入手できなかった古本も、運がよければ下卷をネットワーク上で讀める時がある。いづれもマイクロフィルムの時代には夢物語であった。

 今や通勤途中で新聞雜誌もしくは文庫本を讀む姿さへめっきり減った。以前には權威であった筈の出版物などで、人氣の失墜著しい例も少なからぬと聞く。昔は「活字を組む」のは明らかな特權であり、「あそこの本なら確かだらう」と漠然とした信ョもあった。たぶん刷りたてのインクの匂ひや、あるいは美しい裝釘の魅力も手傳ったのだらう。それが時には虛飾にもなり得るものだと、大衆は氣づいてしまったのである。確かに「グーテンベルグ以來の革命」なのだと感じる。

 ずいぶん前から、電子化は正字正假名遣復活のチャンスと期待され續けてきた。漢字の存在すなはち近代化の妨げだ、思考の桎梏だと罵られる時代は完全に終った。また「契冲」や「今昔文字鏡」のやうな優れたソフトウェアにより環境整備も進んだ。だが壓倒的多數の場面で「ゐ」や「ゑ」さへまともに扱へないのが現狀である。果して將來の見通しは明るいだらうか。

 じつは電子化により事實上排除されたのは正字正假名だけではない。たとへば「耺(職)」や「㐧(第)」といった、以前は廣く流通してゐた筈の略字もまた簡單には入力できなくなってしまった。それは「標準化されてゐない」つまり「共通の系統として定義されてゐない」事に尽きると思ふ。正字正假名の實踐は、たとへば舊曆(太陰曆)で生活を送るやうな努力を強ひられる。他人とのかかはりにおいて、さまざま調整の工夫が要るのである。

 最近のスケジュール管理ソフトには舊曆表示可能なものが揩ヲてゐる。いふまでもなく中華圈の需要による。ただしこの「舊曆」とは北京での觀測に基くものだから、日本の天保曆との閧ナ最大一日のずれが生じる。つまりは何年かに一度、日付が合はない事がある。今後、電子化が進めば進むほど、しっかり定義してゆかないと思はぬ陷穽があるだらう。

 從來の「正字正假名遣復活」とは、たとへば正しい字體の印刷といった目標が主だった。その努力はしっかり實を結んだと思ふ。しかしこれからは「相手もその系統を認識し、かつ裝備してゐるか」が死活的に重要になってくる。前述の「耺(職)」や「㐧(第)」などでいふと、この漢字を表示できない機器はまだまだ多い。つまり先方の環境を確かめないと、データは正常に送れない。逆にシステムさへ調整できれば、どんな「難しい」漢字でも「易しい」漢字と全く同樣に操作できる。

 殘念ながら現代表記は現代日本の標準であり、ここから外れるものは活用の幅が狹くならざるを得ない。近年は自動飜譯の遠xがかなり向上してきたが、正字正假名遣の文章を投入してもまともな結果にはならないだらう。文章の音聲自動讀み上げ然り、OCR(光學文字認識)然りである。文字や文章は今や工業製品となったのである。

 最近、「舊字」の認識が變質してきたのではないかと感じる場面が揩ヲてきた。たとへば筆者の姓「高崎」は戶籍で「ア」表記なのだが、これがしばしば「舊字ですね」と言はれるやうになった。もちろんこれは毛筆の楷書と康煕字典體との差に過ぎず、しかも戰後の國語改革とは關係ない。しかし「新舊字體對照表」の類がなければ「舊」とは何ぞやといふ認識は生じない。だから「現行の字體とは異り、感覺的に古さうなもの」はすべて「舊字」となるのである。「舊」とは如何なる秩序であったかの定義說明を迫られてゐるといへる。

 近年の事象を雜駁に羅列してきたが、これに對應した「正字正假名遣」實現のための戰略を考へてみよう。

 第一に、公的な位置づけがほしい。たとへば「當然の事ながら文語の表記は歷史的假名遣による」だけでも、さういふ現代のための秩序が存在するといふ強力な說明になるだらう。

 第二に、學術硏究に過度に期待してはいけない。上述の「」など字源說上は「はしご」の方がふさはしい字體であるといふのが常識だし、楷書でも「はしご」が壓倒的に多い。正字正假名といへど細かく觀察すると「あら」は多々見つかるものであり、眞摯に對應しようとすればするほど混亂を招く。表記法とは秩序のためにある事を忘れてはならない。これとは別に學術硏究の成果は常に攝取咀嚼し續けるべきはもちろんである。

 第三に、文明批評などの輿論喚起にのめり込んではいけない。多くは仲內の頷きに終始し、異說との閧ノ建設的な討論が成立つ例は稀である。

 第四に、現代表記をこそよく硏究すべきである。現實にかなりの程度まで自動的な相互變換は可能であり、それらをどう標準化させるかが今後の勝負どころではないかと思ふ。
posted by 國語問題協議會 at 13:58| Comment(0) | 高崎一郎