2018年05月31日

『雨』 作詞:北原白秋 作曲:弘田龍太郎

雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒(べにを)の木履(かっこ)も緒が切れた

雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びませう
千代紙をりませう たたみませう

雨がふります 雨がふる けんけん小雉子が 今啼いた
小雉子(こきじ)も寒かろ 寂しかろ

雨がふります 雨がふる お人形寝かせど まだ止まぬ
お線香花火も みな焚(た)いた

雨がふります 雨がふる 晝もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる
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2018年05月22日

「つたへること・つたはるもの」「陰」の氣を「陽」に着替へる(26) 原山建郎

「陰」の〈氣を變へる〉には、「陽」に〈着替へる〉だけでよい。
前回のコラムで、「好かれる人物」は「明るい・笑顔・やさしい・思ひやり」の持ち主で、あたたかい「陽」の氣(オーラ)を身にまとつてゐる、また「嫌はれる人物」は「自分勝手、わがまま、惡口・陰口、暗い・陰險・陰氣」な傾向があり、つめたい(冷たい・暗い)「陰」の氣を周囲に放つてゐる、と書いたのだが、六〇〜八〇歳代の高齢者のアンケートを讀み返してゐたら、「嫌はれる人物のイメージは、好かれる人物のイメージの正反對である」といふメモを見つけた。たとへば、「好かれる人物」の反對語(對義語)は、明るい→暗い・陰氣、笑顔→怒りつぽい、やさしい→意地惡、思ひやり→自分勝手・わがまま、のやうになる。

つまり、「好かれる人物」は、明るい笑顔、やさしい思ひやり、外に廣がるオレンジ色のオーラで、相手を暖かく包み込むイメージなのに對して、「嫌はれる人物」は、自分勝手でわがまま、意地惡で怒りつぽい、内に引きこもるダークグレー(暗灰色)のオーラが、相手を冷たく拒絶するイメージを漂はせてゐる。
大學の授業(コミュケーション論)のなかで、「好かれる人物≠ノなるこつはいたつて簡單です。明るい・笑顔・やさしい・思ひやりのある人間に變はるだけでいい」と話したところ、學生の一人から「ちつとも簡單ぢやない。相手がよい人なら自分も變はれるかもしれないが、いやな人だつたらとても無理です。そんなの僞善でせう」と抗議を受けた。そこで、二つのたとへ話をすることにした。

一つ目は、「〈自分の顔〉は、何のためについてゐるのか」といふ話である。
最初に、「皆さんは自分の顔を、自分で見たことがありますか?」と質問した。「はい、鏡で見てゐます」と答へたので、「それは〈鏡に映つた自分〉の顔です。自分の眼で直接見えるのは、鼻先と舌の先端、顔全体のほんの一部にすぎない。したがつて、自分では見られない顔は、實は他人に見てもらふためについてゐるのです」と話した。
すると、「そんなの屁理屈です」といふ女子学生がゐたので、「あなたは、なぜ外出前にお化粧をするのですか? 自分の眼では鼻先しか見えないのに……」と聞くと、「〈鏡に映つた自分〉の顔を見て、お化粧や髪型をチェツクします」と答へた。
そこで、「それは、鏡に映つた〈鏡に映つた自分〉の顔を見てゐる〈もう一人の自分〉がOKを出す行爲、つまり他人に見られてもよい及第點といふ判断であり、それは外出時の服装などの〈身だしなみ〉にも及ぶ」こと、また、「人間の心には、〈鏡に映つた自分〉を見てゐる〈もう一人の自分(本物の自己)〉がゐて、潛在意識のさらに奥底では〈嫌はれる人物〉ではなく、もちろん〈好かれる人物〉でありたいと、つねに軌道修正をはかつてゐる」ことについて話した。

もう一つは、「陰」の〈氣を變へる〉には、「陽」の氣に〈着替へる〉だけでいい、といふ話である。
東洋醫學でいふ「陰・陽」は、善惡二元的な概念ではない。温かい水は「陽」、冷たい水は「陰」、流れる水は「陽」、滯つた(凍つた)水は「陰」であるやうに、相手(周圍)に及ぼす〈はたらき&程度〉をいふ。
たとへば、明るく・やさしい「陽」のオーラ(氣)は〈暖かい〉オレンジ色だが、嫉妬の感情が昂じると、相手を焼き尽くす〈熱い〉真つ赤なオーラがメラメラ立ち昇る。
また、良好なコミュニケーションを拒む〈冷たい〉ダークグレー(暗灰色)のオーラは願い下げだが、興奮のあまり頭に血が上つた相手に鎮静(クールダウン)をうながす〈爽やかな〉水色のオーラなら、ときによい効果を発揮する。つまり、そのシーン(状況)に求められる「陰」、または「陽」の〈はたらき&程度〉を身にまとうことが重要なのである。

トイレ掃除(「陰」のシーン)を頼まれたときに、黒いTシャつに藍色のジーパンなら「いいわよ。任しといて」と言へるが、結婚披露宴(「陽」のシーン)に出席するパーティードレスだつたら「いやよ。勘辨して」となる。「陰」の黒いTシャつに藍色のジーパンで、「陽」の結婚披露宴に出席する氣にはなれない。
したがつて、「嫌はれる人物」の周圍囲に漂ふ「陰」の〈氣を變へる〉には、「好かれる人物」が身にまとつてゐる「陽」の氣に〈着替へる〉だけでよいのだ。この日の授業では、學生たちに「性格はなかなか變へられないが、行動はすぐに變へられる」といふひと言を追加した。

私たちは「好かれる人物」キャラを演ずる大物俳優、舞台は「嫌はれる人物」も登場するビジネスシーン、さて今日の舞台では「明るい・笑顔・やさしい・思ひやり」のうち、どのオーラ(氣)に着替へようか!
posted by 國語問題協議會 at 17:27| Comment(0) | 原山建郎

2018年05月13日

日本語ウォッチング(2) 降り乘りお早く願います 織田多宇人


駅のアナウンスは何氣なく聽いてゐるが、よく考へるとをかしいことが時々ある。「乘り降り」と言ふべきところを「降り乘り」と言つてゐる時がある。どうやら、降りる人が先で乘る人が後だからと言ふことらしいが、これは屁理窟だらう。一人の人間に注目すれば、乘るのが先で降りるのは後になる理屈だが、「乘り降り」と言ふ言葉は二つの動作として扱つてゐるのではなく、慣用句である。「讀み書き」、「飮み食ひ」を「書き讀み」、「食ひ飮み」とは言はないだらう。
posted by 國語問題協議會 at 10:19| Comment(0) | 織田多宇人