2020年06月20日

數學における言語(59) 伊東靜雄と戰後(U)

 「けふ迄での生活の全部をぶちまけてみたい」といふことで書かれた太宰治の『十五年間』は、戰前戰後の人心や文化の變容を如實に傳へてくれる面白いエッセイです。これは、昭和21年4月に「文化展望」に發表されたもので、戰前から終戰に至るまでの「惡夢に似た十五年間の追憶手記」で、この手記は『パンドラの匣』の一節からの、次の引用で締め括られます。

 眞の勇氣ある自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばねばならぬことがある。天皇陛下萬歳!この叫びだ。(中略)昨日までは古かつた。古いどころか詐欺だつた。しかし、今日においては最も新しい自由思想だ。(中略)それはもはや神祕主義ではない。人間の本然の愛だ。アメリカは自由の國だと聞いてゐる。必ずや、日本のこの眞の自由の叫びを認めてくれるに違ひない。


 米國の「眞の惡意」が「日本のこの眞の自由の叫び」を認めてくれるか否かは、怪しいと私は考へてゐますが、それ以前にそもそも日本人自身がこの“自由の叫び”を上げるかどうか、戰後の日本人にとつて「天皇陛下萬歳」はむしろ“不自由”の象徴であつたやうな氣もします。
 また、太宰は「私はやはり『文化』といふものを全然知らない頭の惡い津輕の百姓でしかないのかもしれない」と彼一流の僞惡的な照れを裝ひながら、次のやうなことも書いてゐます。

 西洋の思想は、すべてキリストの精神を基底にして、或いはそれを敷衍し、或いはそれを卑近にし、或いはそれを懐疑し、人さまざまの諸説があつても、結局聖書一卷にむすびついてゐると思ふ。科學でさへ、それと無關係ではないのだ。


 そして、彼は引き續き「科學の基礎をなすものは、物理界に於いても化學界に於いても、すべて假説だ。この假説を信仰するところから科學が發生するのだ。日本人は、西洋の哲學、科學を研究するよりさきに、聖書一卷の研究をしなければならぬ筈だつたのだ」と述べてゐます。
 聖書研究がそのまま哲學や科學に直結するかどうかは疑問ですが、「信仰と科學」の關係は太宰の指摘する通りで、この連載でもすでに述べてきたやうに、「科學は科學ゆゑに、それは絶對ではない」のです。ここで、私が殘念に思ふのは、「物理」や「化學」に言及してゐるにもかかはらず、太宰が「數學」については全く觸れてゐないところです。今も多くの日本人は「數學は理系科目で、それは科學だ」と考へてゐるのかもしれませんが、「數學」は斷じて「言ふところの科學」ではありません。
 ともあれ、『十五年間』は敗戰によつて齎された日本文化の核心的問題を見事に剔抉したエッセイであり、太宰自身の本然の資質を餘すところなく語つてゐる作品です。
 ところで、新潮文庫版「伊東靜雄詩集」が初めて出たのは昭和32年、すでに伊東亡き後ですので「戰爭詩」を割愛する必要はなかつたのでは、と思ひますが、當時はまだ(今でも?)GHQの「War Guilt information Program(WGIP)」が日本中を覆つてゐた時代でした。人のいい私たちはそのWGIPにしてやられたのか、それとも積極的に靡いていつたのかは知りませんが、歴史の授業でも教はつたやうに極東國際軍事裁判がはじまり、天皇の人間宣言があり、新憲法の制定があり、といつたことが次々と實行されていきます。おまけにGHQは「正字・正假名遣ひ」にまで口を出してくる有樣で、それに賛同する“國語改良論者”たちの御蔭もあつて、「ゐ」や「ゑ」も小學校の授業から消されてしまひました。
 當時の日本人がさうした“改革”に唯唯諾諾と從つたのか、あるいは不承不承それに從はざるを得なかつたのかは知りませんが、要するに「(ひやく)(せい)(おほ)()(たから)」とする「天皇陛下萬歳」に象徴される日本文化の華は斷罪され、戰後においてはタブーになり、國體も政體も變容していき、あまつさへ滑稽なことに、日本文化の最後の砦である日本語の傳統的な文字づかひも廢止されたのでした。正に私たちはGHQの言葉を鵜呑みにして戰前を深く「恥ぢた」のです。  (河田直樹・かはたなほき)

posted by 國語問題協議會 at 12:23| Comment(0) | 河田直樹

2020年06月03日

あやとり(18) 中谷信男

八細工七貧乏
八細工とは器用なことをさします。何でもこなす多藝で多才な人は、結局どれも大成せず、貧乏することが多い。
「器用貧乏」といふ言葉がありますが、それに足して「器用貧乏人寶」といふのは、さういふ人がゐると周りの人はたいへん重寶だの意味で、本人は貧乏しても周りの人には役にたつ、利他行爲と言へ、結構なことです。
posted by 國語問題協議會 at 20:49| Comment(0) | 中谷信男

2020年05月23日

日本語ウォッチング(30)  織田多宇人

晴れあがる
「朝から晴れあがつた良い天氣」と言ふ表現は餘り違和感が無いやうだが良く考へると何かをかしい。「ハレあがる」と言ふと、腫物がでも出來たかと勘違ひしてしまふ。多分「雨が霽(は)れる」「雨が上る」と言ふ二つの言葉がくつついて出來たのではないだらうか。良く晴れた日、澄んだ青空のことは、「晴れ渡る」「澄み渡る」と言ふのが本來の言ひ方だらう。明治天皇の御製にも「あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな」と言ふのがある。
posted by 國語問題協議會 at 16:01| Comment(0) | 織田多宇人