2022年04月10日

數學における言語(76) 中世~學論爭と數學への序曲−言葉の問題(V)

 日本では“~學論爭”と言へば、「單なる~學論爭に過󠄁ぎない」といつたやうに惡い意󠄁味で使はれ、それは“無意󠄁味な論戰、水掛け論”とほぼ同義語といふことになつてゐます。しかし、滑稽なことに~學そのものに無知である私は、その“~學(theology)”なるものに、若い頃から強い興味關心を抱󠄁いてゐました。といふのも、それは生きてゐる人間の苛烈な“世界解釋衝動”から生まれた莊嚴な言語體系であり、死すべき有限な人間が、その時點でこの世界の未決の問題すべてを見通󠄁し終󠄁はらせるための論理的󠄁言葉の集積點に思はれたからです。なぜ、このやうな言葉を欣求するのか? これについては拙著『數學における言語』(文字文化󠄁協會)の第2章や第9章を參照して頂ければ幸甚ですが、そこでも少し言及󠄁したやうに、私自身はその根源には“エロティシズム”の問題が深く關與してゐると感じてゐて、いづれこのブログで論じる積りです。
 “莊嚴な言語體系”としてすぐに思ひ浮󠄁かぶのは、トマス・アキナスの『~學大全󠄁(Summa Theologicae)』ですが、そもそも日本語にはこのやうな“言語システム”が可能なのか、といふ疑問が私には若い頃からありました。前󠄁2囘と今囘で“言葉の問題”を考へてゐるのもそのためですが、一般に多くの日本人は、なぜ理窟(あるいは屁理窟)を蔑み、言葉の駄洒落や語呂合はせを好むのでせうか? それが惡いと言ふのではありませんが、空疎で“生眞面目な道󠄁コ的󠄁”スローガンを受󠄁け入れるのに吝かではないのに、なぜ正確な言葉を一つ一つ積み重ねていく重厚でニュートラルな數式的󠄁言論を野暮だとして避󠄁けたがるのでせうか?『日本人とユダヤ人』の14章には次󠄁のやうな記述󠄁もあります。
 逆説的な言い方をすれば、まず、日本語が(日本語として)余りに完璧だからである。実に完璧なので、数式的・意識的訓練もうけずに、別の訓練で自由自在に駆使できるからである。一体どうして日本語は、こんなに軽々と(ある意味では無責任に)駆使できるのか。

 筆者によると、「日本語が完璧」である理由は「單語が實に豐富多彩󠄁であり、かつその單語の示す意󠄁味の範圍が非常に狹い」といふことで、I speak the truth to youといふ例をあげて、これは「われ汝にその眞理を吿ぐ」とも「ホントのことをお話しします」とも譯せますが、「眞理」と「ホント」が同一の單語(the truth)であることは日本語ではあり得ない、と指摘されてゐます。さらに、筆者は續けて「言葉を使うということは、『重い戦棍(せんこん)を持ち上げて振りまわすほど』大変なことのはずなのに、日本人は、まるで箸を使うように、何の苦もなく自由自在に使い、かつ使い捨ててしまう。(中略)日本人ほど安直に言葉を使い捨ててしまう民族は、おそらくは他にないであろう」とも語られてゐます。なるほど、戰後日本人が“正字正假名遣󠄁ひ”を何の苦もなく捨󠄁てて、“新かな遣󠄁ひ”をやすやすと受󠄁容したことも頷けます。
 おそらく、多くの日本人には、言葉を使󠄁ふことが、すなはち“重い戰棍を持ち上げて振りまはす”ことだといふ自覺はないと思はれます。そして忘󠄁れてはならないことは、“~學論爭”はすぐに使ひ捨󠄁てられる類の言葉では行はれなかつた、といふことで、これは數學における言葉についても事情󠄁は同じです。
 ソロバン型思考とは、言つてみれば“アナログ的󠄁思考”であり、數式型思考とは“デジタル的󠄁思考”と言つてもいいかもしれませんが、私自身は、さらにマイケル・ポランニーの“暗󠄁默知”のやうなものを考へて、一方が他方を補完する關係にあると感じてゐます。なほ、“アナログとデジタル”については拙著『数学的思考の本質』(PHP研究所)の第2章を、また“暗󠄁默知と數學理論”については『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)の第T章を參照していただければ幸甚です。
 ともあれ「聖󠄁書とアリストテレスの論理學で一千數百年訓練された西洋人の思考の型が數式的󠄁なら、日本人の思考の型は正にソロバン型」であり、私たちはこのことを十分自覺した上で、歐羅巴中世の“~學論爭”を考へていくべきなのです。      (河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 16:15| Comment(0) | 河田直樹

2022年04月04日

國語のこゝろ(15)「『舊字舊かなの復古=國粹主󠄁義』ではない」/押井コ馬

【今回の要󠄁約󠄁】
@いはゆる「舊字舊かな」の復古はしばしば「右翼」「國粹主󠄁義」であると誤󠄁解されます
A中國から學んだ漢字を守り、中國音󠄁により近󠄁いかなづかひを守る事のどこが「國粹主󠄁義」なのでせうか
B政治的󠄁な左右とは關係なく、傳統的󠄁な漢字とかなづかひで讀み書きしたい人はさうしませう

【主󠄁な漢字の新舊對應表】
國(国) 舊(旧) 粹(粋) 學(学) 關(関) 傳(伝) 讀(読) 對(対) 應(応) 斷(断) 產(產) 經(経) 會(会) 廳(庁) 發(発) 數(数) 氣(気) 語(語) 團(団) 體(体) 實(実) 參(参) 黨(党) 續(続) 與(与) 廢(廃) 飜(翻) 獨(独) 處(処) 樣(様) 擇(択) 專(専) 價(価) 廣(広) 寳(寳) 轉(転) 餘(余) 臺(台) 灣(湾) 兒(児) 戰(戦) 當(当) 亞(亜) 榮(栄) 區(区) 藥(薬) 佛(仏) 圖(図) 豐(豊) 擴(拡) 惡(悪)

■傳統的󠄁な漢字とかなづかひは誤󠄁解されがち
 このやうな表記で文章を書く人が、「右翼」だの「國粹主󠄁義」だのと勝󠄁手に極め附けられて非難される事は珍しくありません。
 最初に斷っておきますが、勿論、政治的󠄁な保守派がこのやうな表記で書く事が全󠄁くないわけではありません。なるほど、產經新聞の「正論」欄には、時々、政治的󠄁に保守的󠄁な意󠄁見が、歷史的󠄁かなづかひ(ただし漢字は新漢字……元原稿は恐󠄁らく傳統的󠄁な漢字の手書きだらうと思ふが)により書かれる事があります。國民文化󠄁硏究會の機關誌「國民同胞󠄁」も、~社本廳の機關誌「~社新報」も、歷史的󠄁かなづかひ(漢字は新漢字)により書かれてゐます。三潴修學院(みつましうがくゐん)發行の「八重垣」は歷史的󠄁かなづかひは勿論、漢字も傳統的󠄁な漢字が使はれてゐて、書き部分は右書きです。
 「それ見ろ、やはり舊字舊かなで書く連中は右翼なんだ」とおっしゃるでせうか。しかしこれらは「厖大な政治保守メディアの中でも例外的󠄁な存在」であり、大多數は新字新かなで書いてゐます。君が代の歌詞を平󠄁氣で「いわおとなりて」と書いたり、ヘ育敕語の原文はともかく解說となると平󠄁氣で新漢字や「現代仮名遣い」に直したりするのが殆どです。
 中には右翼を「標榜する」團體のK塗りの街宣車に「國體」の二文字が書かれてゐる事から「舊漢字=右翼で、柄󠄁が惡い、怖い」と思ひ込󠄁んでゐる人もゐます。しかし、よく見てみると、「國體」の二文字と團體名の「會」以外は新漢字で、かなづかひも「現代仮名遣い」である事がほとんどです。これは「極一部の舊字を固有名詞的󠄁に使ってゐる」やうなもので、「舊字舊かなの復古」とは特に關係ありません。もしかしたら「國民體育大會」の方を「国体」と書いて、國柄󠄁の方を「國體」と書き分けてゐるのかも知れません。
 さうなると、いはゆる「舊字」「舊かな」で書く人と書きたがらない人の違󠄂ひはどこでせうか。「政治的󠄁保守」がその境界線ではないのは明白です。
 實際、私が國語問題協議會の講󠄁演會に參加して驚いた事ですが、「私は東京新聞を讀んでゐる」「私は自民黨ではなく野黨を應援󠄁してゐる」といった具󠄁合に、政治的󠄁保守派どころか逆󠄁の立場の人に少なからず出會ひました。いはゆるノンポリつまり政治的󠄁にそれほど關心のない人も少くありません。皆さんも丸谷才一が歷史的󠄁かなづかひで書き續けた事をご存じでせうが、「裏声で歌へ君が代」なんて題名の作品を書くやうな作家だけに、右派からはあまりいい顏をされてゐません。古くは「君死にたまふことなかれ」で有名な與謝野晶子も歷史的󠄁かなづかひを擁護し、かなづかひ表音󠄁化󠄁に反對してゐました。

■中國文化󠄁を愛する者が國粹主󠄁義者でゐられるわけがない
 一方、明治時代から盛󠄁り上がり始めた「漢字廢止論」の背景には「中國文化󠄁の排斥と國語純化󠄁」がありました。
 飜つて日本帝󠄁國の國語のヘ育を見るに,日本人は何時までも支那󠄁の文章を手本として習󠄁はなければならないので有らうか,又は西洋の文章を手本として習󠄁はなければならないので有らうか.この事について私は,日本人が一日も早く外國文化󠄁の覊袢を脫して,獨立した日本文學の下に統一されねばならぬと云ふことを主󠄁張する.
 國語を統一することが日本の一大事業であるとして見ると,我々は先祖代々使つて來た純粹の日本語を何處までも使ふ樣にしなければならぬ.さう云ふ言葉で用の足りる以上は,漢語や洋語を使ふに及󠄁ばないと信ずる.しかし日本語の上に必要󠄁な外國語は擇び採󠄁るべきものである.この日本語を守りたてゝ世の中に出し,之を帝󠄁國の言語として世界に紹介するのは,今後の愉󠄁快な一大事業である.斯う云ふ次󠄁第で進󠄁まうと云ふには,是までの日本文學上の言語文字の體裁は,極めて不便なもので有つて,世界的󠄁のもので無い.是までの文學を國家の貴重な記念物として硏究すること,及󠄁び保存して行くこと,是は專門學者の任務である.普通󠄁一般の世の中から云へば,それらの學者の硏究した賜物が,普通󠄁一般の言語文章で取次󠄁がれれば宜いものである.その普通󠄁一般の言語文章といふものは,何處までも簡便でなければならないし,世界各國人の間に認󠄁識され得るだけの價値あるもので無ければならないと思ふ.斯う云ふ理由で私は,漢字を排斥し,國語を尊󠄁重し,同時にその國語にローマ字といふ着物を着せて,之を世界の廣場に出したいと考へるのである.

「日本ローマ字文自在」日下部重太カ・編󠄁、東京寳文 發行、大正5(1916)、pp2-3
註:覊袢(きはん)とは「手綱」のこと、轉じて行動の足手纏ひとなるもの。

 餘談ながら、臺灣・朝󠄁鮮・南洋群島といった日本の殖民地では、現地の兒童の學ぶ國語(日本語)ヘ科書が「表音󠄁かなずかい」で書かれました。戰後の「現代かなづかい」は「GHQがいきなり改革を押し附けた」と云ふのは間違󠄂ひで、一部の日本人自身が明󠄁治時代から準備してきたものですが、戰前󠄁は別に「國語の民主󠄁化󠄁」とか「反軍國主󠄁義」なんて全󠄁然言ってゐませんでした。むしろ逆󠄁に、當時の殖民地主󠄁義をうまく利用して「殖民地に、大東亞共榮圈に、新しいかなづかひの國語を」廣めたものでした。

 閑話休題。
 漢字制限反對とは「中國から學んだ漢字を守る」事に他なりません。
 傳統的󠄁な漢字を愛するとは「どの字を正統な字とみなすかについて、康熙字典や他の字典をはじめ中國が長年育ててきた傳統的󠄁な規範に學ぶ」事です。
 傳統的󠄁なかなづかひのうち「字音󠄁かなづかひ」は、漢字の音󠄁讀みを中國音󠄁により近󠄁い區別(中國音󠄁よりはかなり大雜把であり、一致するとは言はないが)で書くものです。
 これらのどこが「國粹主󠄁義」なのでせうか。私にはわかりません。このやうな形で中國文化󠄁を愛する者が國粹主󠄁義者でゐられるわけがありません。

 先日亡󠄁くなった國語問題協議會・文字文化󠄁協會の谷田貝會長も、一部の例外を除き原則として傳統的󠄁な漢字とかなづかひで書くやうな方でした。それでも決して「國粹主󠄁義者」ではありませんでした。日本が海外に學んだ二つの言葉の文化󠄁、一つは「漢字」、一つは「梵字」を愛し、硏究してゐました。海外の文化󠄁を無闇に排除するのではなく、それを學んで自家藥籠中の物にするのも、日本文化󠄁のうちです。
(梵字は佛ヘで今なほ使はれるだけでなく、私達󠄁の知ってゐる「五十音󠄁圖」もその影響を受󠄁けてゐます)

 右派には「日本を守る事の一つに、日本の國語文化󠄁もあります」と言ひたいし、左派には「知識階級󠄁と庶民とで國語を分斷する事に反對し、庶民にもより豐かな國語を」と言ひたいし、どちらでもないとしても「慣れるときっと面白いし、視野がもっと擴がりますよ」と言ひたいものです。傳統的󠄁な漢字とかなづかひで讀み書きするのに、政治的󠄁な左右は特に關係ありません。

■「日本語あやとりブログ」原稿募集のお知らせ
 この「日本語あやとりブログ」は、傳統的󠄁な漢字とかなづかひによる皆樣の原稿を募集してゐます。特に、國語國字問題について論ずる內容をお待ちしてゐます。國語問題協議會の會員かどうかは問ひません。國語問題協議會のメールアドレスまでお問合せ下さい(なほ、すべての原稿が揭載されるとは限りません。惡しからずご諒承下さい)。
posted by 國語問題協議會 at 22:15| Comment(0) | 押井コ馬

2022年02月28日

日本語ウォッチング(49)  織田多宇人

勘忍󠄁どすえ

 京美人から「勘忍󠄁どすえ」と言はれたら、すぐにでも許してしまふでせうね。しかし漢字の間違󠄂ひは許すことは出來ませむ。「堪忍󠄁どすえ」でなければなりませむ。「勘」の音󠄁は「カン」ですが、訓は「かんがえる」であり。「勘忍󠄁」では意󠄁味が通󠄁じない。「勘」は「勘がいい」や「勘違󠄂ひ」に使󠄁はれるだけではなく、「勘辨ししてほしい」の「カン」にも使はれ、「勘辨」と「堪忍󠄁」の意󠄁味が似てゐるので勘違󠄂ひして「堪忍󠄁」を「勘忍󠄁」と書いてしまふのであらう。「堪」の音󠄁は「カン」で訓は「たえる」である。そして、「ならぬ堪忍󠄁するが堪忍󠄁、堪忍󠄁袋の獅ェ切れる」等の諺に用ゐられてゐる。
 「堪」は「その道󠄁に深く通󠄁じていること」の意󠄁味で「堪能(かんのう)」にも用ゐられてゐる。堪能ではないことを「不堪(ふかん)」と言ふ。なほ「滿ち足りた」と言ふ意󠄁味で「堪能(たんのう)」と言ふ言ひ方があるが、「足リヌ」の音󠄁便「タンヌ」の轉訛で、「堪能」は當て字。「堪能(かんのう)」と混同した用法で「堪能(たんのう)」と讀むことがある。
posted by 國語問題協議會 at 07:00| Comment(0) | 織田多宇人