2019年01月25日

ほとけごころ (その三)  原山建郎

5.自(おのづから)、然(しからしむ)、
法爾(しからしむる)・はからひ。
「自然法爾(じねんほふに)」は、親鸞聖人が関東各地の門弟に與へられた手紙(御消息)を、曾孫である覺如の子(つまり親鸞の玄孫)・從覺が編集した『末燈鈔(まつとうせう)』に納められてゐます。

自然法爾の事
【「自然」といふは、「自」はおのづからといふ、行者のはからひ(※自力による思慮分別)にあらず、「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからいにあらず、如來のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。「法爾」といふは、この如來の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふなり。法爾はこの御ちかひなりけるゆえに、およそ行者のはからひのなきをもつて、この法のコのゆゑにしからしむといふなり。すべて、ひとのはじめて(※あらためて、ことさらに)はからはざるなり。このゆゑに、義なきを義としるべしとなり。
「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。彌陀佛の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿彌陀佛とたのませたまひて迎へんと、はからせたまひたるによりて、行者のよからんとも、あしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候ふ。
 (※阿弥陀仏の)ちかひのやうは、無上佛(※このうえなくすぐれた佛。ここは、無色無形の真如そのものをいう)にならしめんと誓ひたまへるなり。無上佛と申すは、かたちもなくまします。かたちもましませぬゆゑに、自然とは申すなり。かたちましますとしめすときには、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめて彌陀佛と申すとぞ、ききならひて候ふ。
 彌陀佛は自然のやうをしらせん料(※ため)なり。この道理をこころえつるのちには、この自然のことはつねに沙汰(※あれこれ論議し、詮索すること)すべきにはあらざるなり。つねに自然を沙汰せば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるになるべし。これは佛智の不思議にてあるなるべし。
  正嘉二年(一二五八年)十二月十五日
愚禿親鸞八十六歳】
(本願寺出版・『浄土真宗聖典注釈版』768ページ)

阿弥陀仏の「御ちかひ」とは、行者(信仰者)を無上佛、すなわち如來にならしめるこという願い(弥陀の本願・弘誓=どんな人も救わずにはおかないという、弘い誓い)のことです。そして、如来のすがた・かたちは私たちの肉眼には見えない存在ですが、見えない存在(はたらき・はからい)だからこそ、時間や空間の制約を越えてはたらく力を、自然法爾(※自然のやう)と呼ぶのです。
もうひとつ大切なことは、「必ず如來にならしめる」といふ阿弥陀佛の願ひ(本願)に、すでに掬ひとられてゐる私たちは、自己のはからひで生きるのではなく、如来のはたらきによつて生かされてゐる、それを自然法爾といふのです。
◆如實(※眞如、佛性、法性、無爲法身、實相)より來る。故に如來と名づく。(中略)涅槃(※煩惱を滅盡して悟りの智慧=菩提を完成した、悟りの境地。安樂の世界)を如と名づけ、知解(※智識の力で悟ること)を來と名づく。正しく涅槃を覺するが故に如來と名づく。
(『転法輪論』)
◆真如はすなはちこれ一如なり。しかれば彌陀如來は如より來生して、報・應・化、種種の身を示し現じたまふなり。
(『教行信証』「証巻」 聖典註釈版307ページ)
(武藏野大學非常勤講師)

posted by 國語問題協議會 at 17:14| Comment(0) | 原山建郎

2019年01月19日

郷土のかなづかひ(その一) 大給さん   高崎一郎

大給さん
舊臘に「大給さん」と仰る方と會ふ機會があつた。これで「オギュウ」とはまた典型的な難讀姓である。匆卒の間、由來などについて伺ふこともできなかつたので、歸宅後に少し調べてみた。
大給姓は徳川家の庶流の一つで、本據地の地名にちなむらしい。場所は三河國加茂郡(愛知縣豐田市)大給。松平姓を名乘れる「十八松平」家の一つである。大給藩の藩主松平乘謨(のりたか)公は明治政府から子爵を拜し、名も「大給恆(ゆづる)」と改めた。現在、大給姓の人は300人ほどといふから、その内のお一人だつたことになる。
目黒の庭園美術館はもと朝香宮邸であつたが、朝香宮湛子(きよこ)女王は大給義龍伯爵に嫁してゐる。文京区千駄木には大給坂といふ坂があり、もと大給家の屋敷があつたらしい。また兵庫縣には「大給組」なる建設會社がある。各方面で活躍されてゐるのである。

さて地名にせよ人名にせよ、「給」のつくものは極めて少ない。あつたとしても世田谷區給田のやうに、ほとんどは律令制によるものである。吉田東伍著『大日本地名辭書』には「荻生(をぎふ)の義歟(か)」とあり、やはりさういふ解釋が自然なのであらう。「給」は漢音キフ、呉音コフ。「荻(をぎ)+生(ふ)」に「大(おほ)+給(キフ)」と漢字の「切りかた」が異るあたり、漢字意識の薄い「成熟した」地名であるやうに感じる。

「切りかた」とはどういふ事か。たとへば福井縣「遠敷(ヲニフ)」は字音「遠(ヲン)+敷(フ)」を「小(を)+丹生(にふ)」に宛てる如く、あるいは鹿兒島縣「吾平(あひら)」が「姶良(アヒラ)」の轉である如く、本來の語の構成からすると少々奇妙なのである。もし日常「荻」と「生」の意識があれば、わざわざ「大」と「給」に切り分けようとはしないだらう。

ちなみに「遠敷郡」は大寶律令以來の歴史を誇る一方、「吾平」は近世のもの、また「を・お」の別は平安時代初頭に消滅し始めるから、「大給」地名誕生の時代は全く推定できない。強ひていへば「河内」から「高知(縣)」のやうに、戰國時代前後には「驗をかついだ」地名改稱があるから、その類なのかもしれない。特に「給」の字は縁起がよい。

「生」の讀み方はさまざま變化に富む。「丹生(にふ)」が辰砂すなはち水銀の生産地であるやうに、地名の最後につく「生(ふ)」は何らかの特産を示す。しかし長い歴史のなかで主に四種の讀み方が生じてしまつた。列擧してみよう。

【あふ・おふ→オウ】
「粟生(あふ)」「兵庫縣相生(あふ)」「麻生(あさふ)」「賀名生(あなふ)」「蒲生(がまふ)」「芝生(しばふ)」「園生(そのふ)」「能生(ノふ)」「室生(むろふ)」「名古屋市榮生(さかふ)」
【いふ→イュウ】
「丹生(にふ)」「淺茅生(あさぢふ)」「桐生(きりふ)」「埴生(はにふ)」「日出生(ひぢふ)」「柳生(やぎふ)」。
【えふ→イョウ】
「芹生(せれふ)」「豆生田(まめふだ)」。ただし「武生(たけふ)」はタケフのまま。
【ふ→オ】
「漆生(うるしお)」「高松市浦生(うろ)」

「園生(そのふ)」はたとへば「竹の園生の末葉」ならソノウ・ソノーと讀むだらうが、人名の「園生さん」はソノオサンと微妙に異る。恐らくは「その+男(を)」さんといふ意識が働くのだらう。とすれば人名に限つて「そのふ」ではなく「そのを」と振假名すべきであらうか。しかし作家の「桐野夏生」はナツオと讀み、しかも女性であるから「なつお」以外に選擇肢がないものと思はれる。
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2019年01月13日

日本語ウォッチング(10) 口先三寸 織田多宇人

テレビで「口先三寸で言ひくるめてしまつた」と言ふ臺詞((せりふ)を聽いた。「口先三寸」と言ふのは聞いたことがない。「舌先三寸」の誤りだらう。しかし文化廳が發表した平成23年度「國語に關する世論調査」では、「本心でない上邊(うはべ)だけの巧みな言葉」を表現するとき、本來の言ひ方とされる「舌先三寸」を使ふ人が23.3パーセント、本來の言ひ方ではない「口先三寸」を使ふ人が56.7パーセントといふ逆轉した結果が出てゐるので、餘り責められない氣もする。
「口先」と言ふ言葉は別にある。口の先端と言ふ本來の意味に加へて、「実(じつ)の伴はない、上邊(うはべ)だけの言葉」と言ふ意味がある。「内の子は口先ばかり達者で困つたものだ」のやうに用ゐる。最近では「口先番長」と言ふ言葉もよく聞く。言ふだけで、行動の伴はない政治家に綽名(あだな)として良く附けられる。
posted by 國語問題協議會 at 10:49| Comment(0) | 織田多宇人