2018年10月05日

數學における言語(33)(34) 古代希臘の無限思想

古代希臘の無限思想(W)
 前回はパルメニデスと彼の弟子ゼノンについて觸れ、ソクラテスやプラトンがパルメニデスに並々ならぬ敬意を抱いていたことをお話ししましたが、アリストテレスもまたパルメニデスが相當氣になつていたやうで、『形而上學』(出隆譯)第1巻第3章には「すべてを一つであると言つた人々(一元論者)のうちには、誰ひとりとしてあの新たな種類の原因をもあはせ認めるに至つた者はない。ただわづかにその例外ともされさうなのはパルメニデスだけであらう」と述べてゐます。また第5章では、パルメニデスと同じエレア學派のクセノパネス(この人はパルメニデスの師とも言はれてゐる)やメリッソスの考へ方と比較して、「この二人のものは素朴すぎるが、しかしパルメニデスは、ときにいつそう深い洞察をもつて語つてゐるところもあるやうにみえる」とも書いてゐます。
 『形而上學』第1巻第5章の冒頭には、「『ピュタゴラスの徒』は、數學的諸學課の研究に着手した最初の人々であるが、かれらは、この研究をさらに進めるとともに、數學のなかで育つた人々なので、この數學の原理をさらにあらゆる存在の原理であると考へた(傍點河田)」とあり、私のような數學屋にとつてはまことに心躍らされる書き出しです。この章でパルメニデスが特異な哲學者として取り上げられてゐるのはまことに示唆的で、アリストテレスは、上で紹介した文に続いて「けだし數學の諸原理のうちでは、その自然において第一のものは數であり、そしてかれらは、かうした數のうちに、あの火や土や水などよりもいつそう多く存在するものや生成するものどもと類似した點のあるのが認められる、と思つた」と述べてゐます。前回私が「パルメニデスは世界のアルケーを物のレベルから觀念(思惟)のレベルに飛翔させた」と記したのは、このことを意味してゐます。要するに火、土、水といつた「物」から「數」という觀念への飛躍(ジャンプ)です。
 ところで、アリストテレスは『自然學』第3巻第6章でもパルメニデスに觸れ、「パルメニデスの方がメリッソスよりも正しく説いたものと考へねばならない」と述べてゐます。要するにメリッソスを低く見てゐたわけですが、私自身はメリッソスを、「あるまたはあらぬ」の哲學者たち(パルメニデス、ゼノン)と、「原子論」の創始者たち(レウキッポス、デモクリトス)とを繋ぐ結節點に位置する人物だと考へてゐます。
メリッソス(前480年頃〜前400年頃)は、ゼノン同様パルメニデスの弟子でエレア學派の最後の一人ですが、彼は政治家、軍人としても活躍したやうで、紀元前441年ペリクレス率ゐるアテナイの艦隊がサモス島に攻め込んだ折、サモスの海軍を指揮してこれを撃破したといふエピソードも殘してゐます。メリッソスの言論については、例の『斷片集』で「有るものは永遠」、「有る者は無限」、「有るものは不變不動にして、また空虚は存しない」といつた主張を知ることができますが、私が注目してゐるのは、『自然學』第4巻第6章の「メリッソスは、萬有一切が不動であることを證示してゐる。もし、萬有一切が運動するなら、空虚が存在しなくてはならない。だが、空虚はまつたく存在しないゆゑに、萬有一切は不動であるといふのである」というアリストテレスのコメントです。とは言へ、その一方でメリッソスは變轉極まりない現象世界の感覺的認識についても語つてゐて、「われわれには、温かいものが冷たいものになり、冷たいものが温かいものになり、堅いものが軟くなり、軟いものが堅くなるやうに見える。つまり、それら凡てが多様なものになり、かつてあつたものも、現にあるものも何一つとして同様であることはなく、」とも述べてゐます。言葉をかへれば、メリッソスは「萬有一切の運動を是認してもゐる(といふことは空虚の存在を認めることになる)」のです。「空虚」という言葉で何を表してゐるかは、私にはいささか不明ですが、これは明らかにメリッソスの論理的破綻です。しかし、この論理的破綻こそは、「空虚」の存在を積極的に評価したレウキッポスやデモクリトスたちのアトミズムの思想的濫觴になつたのではないか、と私は感じてゐるのです。 

古代希臘の無限思想(X)
 「無限と有限」に關連して「ソクラテス以前」の哲學者で私に強い關心を呼び覺ます人物として、パルメニデス、ゼノン、そしてアナクサゴラスを擧げておきましたが、今回は三人目のアナクサゴラスについて少し述べてみたいと思ひます。
 アナクサゴラスの言説についても『初期ギリシア哲學者斷片集』で知ることができます。彼の名前を聞いて「nous(ヌース、精神あるいは理性)」という言葉を想起する人も多いと思ひますが、「無數の元素(種子)の混合によって萬物が生じ、始原のカオス状態から秩序ある世界を創り出した原動力こそがヌースであると説いた哲學者」といふのが、アナクサゴラスの通俗的イメージではないかと思ひます。
 しかし、ここで少々亂暴なことを言はせてもらふと、私にとっては「ヌース」だか「種子」だかは知りませんが、そんなものは實はどうでもいいのです。實際、私はかういふ言葉をいくら考へてもよく理解できません。ときどき、受驗生や哲學科の學生の中に、かういふ言葉をちやんと暗記してゐて、教科書的に正確に説明できる人を見かけます。惡いとは言ひませんが、かういふ人を見ると、“哲學する”とはいつたい何なのか、自分自身の切實な問題に根ざしてゐるのか、といつた質問をしてみたくなります。私にとつて、アナクサゴラスがなぜ問題になるのか、それは以下のやうな彼の言論のためです。
  「最小なものも最大なものもない」−なぜなら、小さなものに關しては、最小なものといふものはなくて、いつでもそれより小さなものがあるし(といふのは「有るものは有らぬ」といふことは出來ないのであるから)、また大きなものにせき關しても、いつでもそれよりも大きなものがあるからである。
 一讀してお分かりのやうに實に明快かつ素朴な議論ですが、上記の引用の下線部分には、「有るものが分割によって有らぬことはできない」といふ脚注があります。こんにちの私たちは、アナクサゴラスの上の主張をたとへば「數直線」といふものを思ひ描くことで簡單に了解することができます。どんなに大きな數(自然數)を想定しても、それより大きな數を考へることができますし、どんなに小さな數、たとへば、1を百分割して得られる數、さらにそれを百分割して得られる小さい數を作ることもできます。もつとも、アナクサゴラスが“數直線のやうなもの”を考へて上のやうな結論に達したかどうか、むしろ彼はこの世界に「實際に存在するもの」に對して上のやうな思考を働かせてゐたのかもしれません。しかし、「數」にせよ「現實の物」にせよ、「最小のものも最大なものもない」といふ結論の淵源は、どこにあるのでせうか。それは、人間精神(あるいは知性)に備はつた「延長可能といふ属性」(これはデカルトの『精神指導の規則』の問題でもある)によるとも考へられますが、彼が「ヌース」に注目するゆゑんかもしれません。いささか専門的になりますが、彼の上の議論から私は「ある正の整數aを2倍、3倍、・・・としていけば、どんな數よりも大きくすることができる」といふ、全解析學を貫く最も重要な「アルキメデスの公理」を思ひ出します。
 私には、アナクサゴラスの言葉でいま一つ氣になるものがあります。それは「大きなものも小さなものもその部分はその數が等しいのだから、この見方によつても、凡てのものは凡てのもののうちにあることにならう」といふ主張です。「凡てのものは凡てのもののうちにある」とはいつたいどういふことなのでせうか。このアナクサゴラスの主張から私は「二つの集合が共に無限である場合に兩者間の關係として起こり得るきはめて注目すべき特質」の研究を行つた、チェコのベルナルト・ボルツァーノ(1781〜1848)の『無限の逆説』を連想します。この書物は數學者にして宗教哲學者であったボルツァーノ最晩年の作品ですが、私はアナクサゴラスとの非常な親近性を感じます。「無限」の取りもつ“えにし”と言ふべきかもしれません。     
   (河田直樹・かはたなほき)

posted by 國語問題協議會 at 21:58| Comment(0) | 河田直樹

2018年10月01日

庭の千草  

庭の千草庭の千草   作詞 里見義 アイルランド民謠 The Last Rose of Summer
一、 庭の千草も、蟲の音も/ 枯れて 寂しく なりにけり
ああ、しらぎく、嗚呼 白菊/ ひとり 遲れて、咲きにけり。
二、 露にたわむや、菊の花/ 霜に おごるや、きくの花
ああ、あはれあはれ、ああ、白菊/ 人の操も、かくてこそ。

posted by 國語問題協議會 at 11:59| Comment(0) |

2018年09月25日

「つたえること・つたわるもの」31 縱書き思考はロマンの夢、横書き思考はリアリズムの刃。 原山建郎

 49年前、『主婦の友』の新前記者だつた私は、縱書き仕様の原稿用紙(1枚20字×10行=200字)に、万年筆で記事を書いてゐた。料理課の記者の場合は、下書き用紙に鉛筆で書いて、デスクのチェツクを經て、付けペンや萬年筆清書する方式だつたので、提出原稿の書き損じはなかつた。しかし、讀み物課(藝能記事、社會ルポなど)に配属された私は、ぶつつけ本番で原稿を書くので、誤字や書き直しをするたびに、書き損じの原稿用紙を丸めて屑籠に放りこんだ。ちょつと見には、流行作家が原稿用紙を破りながら呻吟する光景だが、「原稿はまだか」といふ鬼デスクの督促に怯えながら、頭の中は真つ白になつていた。
大學(商學部)卒業まで、授業ノートは横書き、教科書の多くが横組み、答案用紙も横書きで、わずかに年賀状と手紙だけが縱書きといふ時代をすごした私が、縱組み(当然、縱讀み)の雑誌『主婦の友』の記事を、縱書きの原稿用紙で書く記者稼業、「縱(組み・書き・讀み)」社会の住人になつたのである。
その私が、當初は止むなくだつたのが、やがてどつぷり「横書き」社会に定住することになつたのは、1980年代後半、「全員、ワープロ(ワードプロセつサ)で原稿作成」といふ社命がその出發点だつた。
慣れない手つきでワープロ(その後はパソコン)をポツンポツンと叩くうちに、ある變化に氣がついた。
それまでは、縱書き原稿用紙1枚、10行のマス目を兩眼(視野)で意識しながら、これから書く200字分の記事内容を構想しつつ、當面の20字を書き進めるので、途中で氣が變はるたびに原稿用紙を屑籠へといふパターンを繰り返してゐた。やがて、ワープロで横書き仕様の原稿に慣れると、文章のセンテンスがどんどん短くなつた。真つ白な文書作成画面にはマス目がなく、英文タイプのやうに文字列が折り返すまでの「目前の1行」に集中せざるをえない。しかも、一定の文字數ごとに「文字變換・確定」を繰り返すので、1センテンスを短く完結させるやうになつた。
すると、縱書きのときより「わかりやすく」なつた。文法的には、主語と述語、目的語の關係が明確になつた。約200字分をイメージしながら書く縱書き原稿用紙では、どうしても前後の文章をつなぐ接続詞(しかし、すると、また)を多用するので、讀者の目には「前置きの説明が多すぎて、何が結論かわかりにくい」と寫つたかもしれない。「回りくどい」文章から、「ひと言で傳達」の文章への變身である。
本格的にパソコン(Word文書)で原稿を書き始めてから、もう30年近くなる。その後の文章修業は、まず40字程度の「ひと言で傳達」を作成し、それに20字前後の「關連情報」を2つか3つ追加しながら、1つのパラグラフ(意味のひとまとまり)を構築する文章作成法(パラグラフ・ライティング)に磨きをかけた。これはワープロでの横書き(Word文書)體験30年から生まれた文章表現メソツドだが、その基礎となつたのは、18年間、ひたすら縱書き原稿用紙に書き續けた月刊誌の取材記者キャリアであつたと思ふ。

京都産業大學文化學部・若井勲夫教授(現名誉教授)が、「私の人生について」といふ課題を縱書きと横書きで書かせ、その違ひをどう感じたかを調べた研究(2003〜2005年)の結果は、とても興味深い。
@ 縱書きによる文章作成では、重みと引き締まりがあり、内面の思考を深める。考へることが重要な論文や、想像力を働かせる小説などに適している。
A 横書きによる文章作成では、輕さとゆるみがあり、物事をスパツと切り分けるのが得意。短いセンテンスによる日記、箇条書きでポイントを示す説明書きなどに適してゐる。

全體の「まとめ」として、私が文教大學の授業(「文章表現」)で用ゐたレジュメ資料(若干加筆)を紹介しよう。

「縱書きの文章腦、横書きの文章腦」
●横書きの「大學ノート」は、1884(明治16)年、東京大學の近くにあつた文房具・洋書店の「松屋」が賣り出したことに由來する名前。當時としては珍しいクリーム色の洋紙を使用した、横罫線のみでマス目のない「大學ノート」が誕生した。
●縱書きの「原稿用紙」は、活版印刷が盛んになつた明治時代中期に登場した。
新聞や雜誌に掲載する原稿は「字數を正確に把握する」必要から、当初は19字×10行(190字詰原稿用紙)だつたが、やがて20字×20行(400字詰原稿用紙)が日本語「作文」のスタンダードになつた。
●A 原稿用紙に「縱書き」で書く、B ワープロで「横書き」で打つ、思考スタイルの違ひ。
A 縱書き思考では、「熟考力」が磨かれる
@ 視線(思考)は、右上から斜め左下へ動く。
縱書きの文章を右の行から左の行へと書くときは、すでに書かれた右側の行(右上の行頭)を視野に入れながら、斜め左下の行末に向かつて書く。「讀みつつ・考へ・書く」文章腦が「熟考力」を磨く。
A 1段落(100字程度)ずつ書きながら、同時に次の1段落(100字程度)を考へる。
400字詰め縱書き原稿用紙では、100字=20字×5行が「ひと思考」の範圍内にある。この「ひと思考」は、同じ事柄に關係する文の集まり、つまり1つのパラグラフ(意味のひとまとまり)を構成する。
B 日本語(漢字・ひらがな・カタカナ)は、ストロークが左上から右下ないし真下に抜けていく。
横書きの習慣が當たり前のやうになつた現在でも、縱書きの歴史が長かつた日本語の書き順(運筆)と視線の移動が同調する。これは日本人の身體感覚、または日本語のDNAがなせるわざであらう!
C 縱組みのコデツクススタイル(冊子體の組み體裁)では、見開き2ページが同時に視野に入る。
斜め(飛ばし)讀み(右上から斜め左下へ、文字列のパターン認識)ができる。縱書き習慣は、上から下に、つまり天から地を貫く「時間の流れ」をとらへ、ロマンティシズムの夢を育む。
B 横書き思考では、「発信力」が身につく
@ 視線(思考)は、左上から斜め右下へ動く。
横書きの文章を左上の行から下の行に順次書いていくときは、視線は現在書きつつある行の左から右を凝視する。すでに書かれた左上の行も一応視界に入つてゐるが、現在の行(40字)を最優先で「讀みつつ・閃き・書く」文章腦が「発信力」を身につける。
A 1センテンスが短く(40字程度)なる。
とくにWord文書ではその傾向が強いられる。横書きの場合は、40字(1行)が標準的なひと思考の単位。
B 日本で日本語の横書きが始まつたのは、明治以降のことである。
明治初期、活版印刷の先駆者・本木昌造が正方形の活字を作るまでは、基本的に日本語は縱向きに書かれてゐた。「日本語が横にも書ける」ことを、日本人はわづか100年前に「發見」したのである。
D 横組みのコデツクススタイルは、見開き2ページで、右・左の1ページ單獨に視野に入る
まづ右ページ、次いで左ページと、1ページづつが視野に入る。1段落(ひとまとまりの文章)ごとに集中して讀むことができる。横書き習慣は、左から右への水平な「空間の廣がり」をとらへ、リアリズムの刃を研ぐ。
(『ゴム報知新聞』電子版 連載コラム 2017年4月25日)

posted by 國語問題協議會 at 11:27| Comment(0) | 市川浩