2019年05月26日

日本語ウォッチング(15)コーヒーは薄いめに

テレビ等で「湯はぬるいめ・・・・・」と言ふやうなことを時々耳にする。これは喋り言葉だけでなく書き言葉にもしばしば見掛ける。「一般に、日本人の口には、紅茶は濃いめで、コーヒーは薄いめに感じる」の「薄いめ」は「濃いめ」に引つ張られてしまつたのか。「め」は「ぬるい、薄い、硬い、淺い、高い」等の形容詞に附く場合、形容詞の語幹に附く。つまり活用語尾の「い」は取つて、「ぬるめ、薄め、淺め、高め」としなければならない。「濃いめ」は「濃め」とは言はないので、例外的な使用例か。
なほ、たまに見掛ける「たつぷりめ、はつきりめ」等と副詞に「め」を附けるのには無理がある。
posted by 國語問題協議會 at 10:45| Comment(0) | 織田多宇人

2019年05月04日

數學における言語(45)幾何學の意味の變容(T)

幾何學といふ日本語は英語で「geometry」と言ひますが、これは希臘語の「geometria」といふ言葉から生まれてゐます。言ふまでもなく[geo]は「土地」を、そして「metria」は「測る」ことを意味してゐて、したがって、幾何學は「土地を測る」こと、すなはち測量から發達してきたといふことができます。

實際、古代エジプトではナイル河が毎年氾濫して耕地が失はれたため、これらを復舊するためや治水灌漑工事の必要上、測量技術が發達しました。「エジプトはナイルの賜物」と述べた歷史家ヘロドトスはその著『歷史』で次のやうに述べてゐます。すなはち「もし河が、何人かの班地の一部を持ち去るやうなことがあれば、その人民が王を訪ねて起こつたことを知らせ、そして以後彼が、それに應じて指定される年貢を納めるやうに、王はその土地がいかほど減少したかを測量させたものである。私はそれが幾何學の案出された淵源であり、それがギリシアに渡來したものであると考へる(傍點河田)」と。

ちなみに、私は「幾何(きか)」といふ言葉を最初に用ゐた人については寡聞にして知りませんが、すでに明治30年代には使はれてゐたやうで、長澤龜之助著『幾何學辭典』が世に出たのが明治39年のことです。「幾何」はまた「幾何(いくばく)(幾許)」とも讀み、これは「數量や程度の不確定であること」を意味してゐますが、初歩的な幾何學が「圖形の計量」についての學問であるゆゑこのやうな言葉が用ゐられたと推測されます。『方丈記』の四章には「たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばく(幾そ許)ぞ」とあります。

ともあれ、ユークリッド幾何學が「土地の測量」といつた素朴な經驗から得た知識と論理とを通して確立されていつたことは、すでに第6囘でも述べたことで、しかも、ユークリッド幾何が「現實の唯一無二の正確な寫し繪である」といった認識は、搖るぎないもの、不動なものとしてその後1500年以上に亘って人類史に君臨してきました。とは言へ、その認識に常に懐疑の眼差しを突き付けてゐたのがあの「平行線の公理」で、この「無限」を内包していた公理は、結果的に「現實の寫し繪」であるといふ「幾何學の意味」を變へていくことになります。その端緒となるのが「射影幾何」でしたが、すでに述べたやうにこれはまだ畫家や建築家たちの經驗的、感性的世界からは完全に獨立したものではありませんでした。もつとも、數學者クライン(1849〜1925)の登場により射影幾何學は「ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何」を包括した、より一般の幾何學であると認識されてくるのですが、平行線の公理が「幾何學の意味の變容」をもたらしたことは、驚くべきことです。

スティーブン・F・バーカー著『數學の哲學』(赤攝也譯・培風館)には次のやうな記述があります。

わけても哲學者カントは、眞の幾何學はただ一つしかなく、それがユークリッド幾何學であることは必然的かつ永久不變のことであると考へてゐた。この考へ方は、新しいタイプの幾何學の出現によつてはつきり反駁されたわけではなからうか?しかし、ユークリッド幾何學の法則と相反する法則をもつたこのやうな別の幾何學の展開を數學者が許すとしたら、いったい數學における眞の概念はどうなつてしまつたのであらうか?(ゴシック河田)

1968年に翻譯が出たこの本は中學生の私を虜にし、善かれ惡しかれ私に深く鋭い知的traumaを殘しました。そもそも、幾何學の言葉とは何なのか?「幾何學が初めて歷史に登場した−−登場しなければれならなかつた−−ときの意味を問ふのである」といふ問ひを發したのは、『幾何學の起源』(土社・田島節夫他譯)の著者フッサール(1859〜1938)でしたが、私たちもまた「無限」を契機にして生まれた「幾何學の言葉の意味の變容」の、その根源を問ふ必要があります。なほ、この本には私の嫌ひな反構造主義者ジャック・デリダの長い序説も付されてゐて、これはデリダのデビュー作でもありました。
(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 18:53| Comment(0) | 河田直樹

數學における言語(44)射影幾何の創始者たち

射影幾何と無限遠點(vanishing point)を通して、有限と無限の問題を考へてゐるうちに、身の程もわきまへずに魂と肉の問題にまで踏み込んでしまひました。これについては論じるべき問題(たとえば、キリストヘの「靈肉分離思想」、デカルト的「心身二元論」など)は山のやうにありますが、ひとまづは打ち切つて再び射影幾何に話を戻します。

射影幾何が、遠近法(あるいは透視書法)の書家たちの實踐的研究から生まれてきたことはすでに述べましたが、その遠近書法に論理的な裏付けを與へたのがデザルグ(1591〜1661)、パスカル(1623〜1662)、ブリアンション(1783〜1864)、ボンスレ(1788〜1867)といつた人たちでした。

原民喜の「壞滅の序曲」といふ小説には「ナポレオン戰役の時、ロシア軍の捕虜になったフランスの一士官が、憂悶のあまり數学の研究に没頭していたといふ話は、妙に彼の心に觸れるものがあつた」とありますが、この「フランスの一士官」こそボンスレに他なりません。ボンスレは1812年ナポレオンの敗戰とともにロシア軍に捕へられ、サラトフの獄舎に2年間繫がれてゐましたが、その間に“憂悶のあまり”發見したのが「射影幾何学における雙對原理(principle of duality)」でした。ちなみに、原民喜(1905〜1951)は「夏の花」といふ小説の作者として有名ですが、彼自身原爆の被災者で戰後は鬱々として過ごす日々が多く、昭和26年中央線の吉祥寺・西荻窪間の線路に身を横たへ自殺してゐます。原の生涯を思へば、ボンスレーのエピソードが「妙に彼の心に觸れるもの」があつたのも頷けます。數學は、悲慘と滑稽の人生(=牢獄)に捉はれた人間にとつて、時にこれ以上はない慰藉になります。おそらく、パスカルにとつても數學はそんな存在だつたにちがひありません。

ここで少し「雙對原理」について説明しておきます。一般に平面上の1つの圖形Fに対し、その圖形に屬する「點を直線」に、「直線を點」に置き換へて得られる圖形F'を、もとの圖形Fと雙對的であるといひます。また、空間圖形Fにおいても、「點を平面」に、「平面を點」に置き換へ、直線は直線のままにして得られる圖形F'を、やはりもとの圖形Fと雙對的であるといひます。このとき、射影幾何においては、圖形Fの點・直線・平面の關係を表した1つ命題から、Fと雙對的な圖形であるF'についての命題(雙對命題)が得られますが、一方の命題が眞であれば、その命題の雙對命題も眞である、といふのが「雙對原理」です。數學の授業ならば、このやうな説明のあとで「その具體例としては」といふことになるのですが、いまは數學の時間ではありませんので、ここでは射影幾何の有名な定理だけをいくつか紹介しておきます。
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デザルグの定理−「空間」にある2つの△ABCと△A'B'C'とが背景的(perspective()であるならば、對應邊ABとA'B'、BCとB'C'、CAとC'A'との交點は一直線上にある」。
“背景的”というのは右圖のやうに、對應する點を結んだ直線が1點Oで交はることをいひます。3點P、Q、Rが一直線にあることを實感してください。

パスカルの定理−「圓錐曲線に内接する6邊形の相對する3組の邊を延長して得られる3つの交點は1直線上にある」。“圓錐曲線”とは、圓錐を平面で切つたときその切り口に現はれる曲線のことで、基本的には楕圓、雙曲線、抛物線のことです。

ブリアンションの定理−これは上のパスカルの定理において、「内接する」を「外接する」とし、「3組の邊」を「3組の頂點を結ぶ線分」として得られる命題です。

(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 18:46| Comment(0) | 河田直樹