2020年05月09日

數學における言語(58) 伊東靜雄と戰後(T)

 「8月15日のあのシーンとした靜まり返つた一瞬」については、私自身ここでどうしても書いておきたい思ひ出があります。私は昭和28年生まれですので、勿論あの一瞬を直接體驗したわけではありません。しかし、玉音放送のあつたあの暑い夏の盛りの思ひ出話を母から聞いて、小學3年だつた私は母に「その年、冬は來たの?」と訊ねたのです。その答は言ふまでもありません。あの年にも當然寒い師走は訪れたのですが、私にはそれが「あり得ないこと」のやうに感じられたのです。
 8月15日の「思ひ出」とはこれだけのことです。しかし、小學生の私には、その年、冬が到來したことがどうしても信じられず、それは誠に奇妙なことに感じられたのです。母の話によつて私の心に廣がつたあの「8月15日」は、一體何だつたのか?母の言葉によつて喚起されたあの日の心象風景によつて、緩やかなサインカーブを描いて進む季節は突然斷罪され、「8月15日」といふ“1點”における接線ベクトルの極太の矢は、永遠に眞夏の太陽を射拔き、私の心の時間を停止させてしまつたのです。しかし、それにもかかはらず、自然の時間はさうした私の時間とは全く無關係に、たんたんと時を刻んでいつたのです。
 私は自分の思ひ出を決して誇張して語つてゐるのではありません。「冬が來たの?」といふ無邪氣な“言葉”は、その言葉が無知な子供のものゆゑに、かへつて「8月15日正午」の少年の私の心を正確に“證明”してゐるやうに思はれてなりません。おそらく「冬が來たの?」といふ“言葉”によつて、戰後生まれの私も日本人として「あのシーンとした靜まり返つた一瞬」、日本民族の未曾有のあの體驗を共有したのです。そして、あの一瞬、私の内部でも何かが起きたのです。
それにしても、なぜ詩人伊東靜雄は「戰爭詩」を恥ぢたのでせうか?時代がそれを彼に強ひたと言へばそれまでですが、しかしなぜ詩人はそれをやすやすと受容したのでせうか?實は、「時局に便乘」して後悔してみせたのは、伊東ではなく「日本文化」ではなかつたのか?「漢口突入の光景」、「雲の上の空中戰」、「アッッ島玉碎」のやうな「戰爭畫」を描いた愛國者藤田嗣治が戰後日本畫壇から追放されたのはなぜか?藤田は「戰爭畫」を描いたことを「日本人として祖國を思ふ日本人がしただけの事です。した事は後悔もしてゐません」と語つてゐますが、「戰爭は絶對惡」といつた程度の認識しかない者にとつては、「戰爭詩や戰爭畫」も惡そのものだつたのでせう。伊東も藤田のやうに斷固として「恥ぢてゐない」と語ればよかつたのです。しかしさうするには伊東は生涯餘りにも時代に寄り添ひ過ぎてゐたのかもしれません。
 唐突ですが、私は「異邦人」ムルソーが獄中で司祭に語つた次の言葉を思ひ出します。「少なくとも、この真理が私を捉えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捉えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ」(窪田啓作譯)。さうです、眞の詩人の存在は「両手は空っぽのよう」でもあつても、常に正しくなければならないのです。しかし、昭和25年楠正成の千早城近くの國立病院に入院してゐた伊東は、彼を見舞つた同僚に次のやうに語つたといひます。
いやになってしまいました。五十年ただ感傷ばかりで生きて来たと思いつまらんとね。徹した悟性を持ちたいと思ってね。考え方をかえて落ち着いたところですよ。強盗でもした方がよい。私など感傷の連続だったのですよ。(小高根二郎著『詩人伊東静雄』)

 「額に鳴る太陽のシンバル」のせゐで殺人者となつたムルソーは、處刑される前に「世界の優しい無關心」に心を開き、「自分を幸福だ」と感じ、最後の最後まで後悔することはありませんでしたが、しかし伊東は「強盜でもした方がよい」と放言してみせ、「詩とか、酒とか、感傷だけにかかづらはつた生涯を後悔」してゐるのです。
「新古今集以來もつともきらびやかな日本語」の詩を體現した伊東靜雄に反省を強ひたのは、一體何だつたのでせうか?これこそは、日本文化の核心的問題のやうに思はれるのです。(河田直樹・かはたなほき)
posted by 國語問題協議會 at 15:58| Comment(0) | 河田直樹

2020年04月19日

あやとり(17)  中谷信男

三人寄れば人中(ひとなか)
三人寄れば文珠の智慧
三人旅の一人乞食
三人が集ればそこは人中、つまり公の場となつてしまふので、そこで言つたことばは祕密にはできないといふ意味です。智慧を出しあふのもそのゆゑでせう。
ところがその三人で旅をすると、その中の一人が窮乏するとか、仲間外れになることが起り勝ちだともいひます。
二對一となつてそこに對立關係が生れ、一人が彈きだされることが多いものです。
鼎談(ていだん)といふのは、主として食物の煮炊き用に用ゐられる青銅器鼎(かなへ)が三本足をしてゐるので、三人向ひあつて座談することを言ひます。若くしてなくなつた遠藤浩一さんは、三島由紀夫は鼎談に向いてゐたが福田恆存さんは對談(二人で向合つての座談)が秀逸だつたと言はれてゐました。思考パターンのそれぞれの違ひがよくわかります。
posted by 國語問題協議會 at 14:46| Comment(0) | 中谷信男

2020年04月04日

日本語ウォッチング(29) 織田多宇人

波紋を投ずる
新聞等記事に「波紋を投ずる」と言ふ表現を見ることがある。波紋とは、水に物を投じたとき波が水面につくる模樣であり、影響と言ふ意味に用ゐられることが多い。波紋そのものを投ずると言ふのはをかしい。「波紋を生ずる」、「波紋を起す」、「波紋を及ぼす」、「波紋を擴げる」、「波紋を呼ぶ」と言ふ言ひ方は出來るが、いきなり「波紋を投ずる」は無理がある。
posted by 國語問題協議會 at 17:00| Comment(0) | 織田多宇人